君のそれは病気だからいつか治るよ。

ㅤ彼と出会ったのは、真冬のことだった。降り積もった雪の中に真っ赤な染みと共に倒れているものだから、初めは死んでいるのかと思った。


ㅤ近付いて、その染みはシャツに付いた返り血だということがわかった。本当に返り血だとわかったのは彼が後にそう語ったからで、このときの私は奇抜な模様だなと思っていた。こんな薄着でこんなところに倒れていたのでは凍え死んでしまう。死体のように冷たい体を引きずるような形で家に招き入れた。


ㅤ彼は、目が覚めると、私のことも今いる場所のことも目に入らないようで、すすり泣き始めた。理由を問うと、友人を食べたのだという。“友人”と“食べた”という単語が上手く結びつかず首を傾げる私に、彼は事細かに人間の肉の食感を語ってみせた。味はよく覚えてないのだという。


ㅤ何がどうしてそうなったのかはわからないが、彼が人を食べたのだということを私はようやく理解する。とっくに成人していそうな見た目をしながら、わんわんとベッドを濡らす彼を見て、どうにかしてあげたいと思った。


ㅤ救ってあげられると思った。


ㅤ幸運なことに、我が家には世界の珍味が溢れている。人肉の記憶などすぐに掻き消えてしまうだろう。味はすでに覚えていないらしいが。


「忘れさせてあげよう。」


ㅤ差し出した右手を見もせずに、彼はただ泣いていた。無言を肯定と捉え、私は彼を家に置くことにした。


ㅤそれからの日々は忙しかった。朝昼晩、彼の元に食べ物を運ぶ。彼はそれら全てを口にしようとはしなかった。惨劇の記憶が薄れていないからかと思ったが、ある日、ぽつりと、自分は人の肉しか食べられないのだと溢した。それは食わず嫌いではないだろうか。まさか赤子の頃から人の肉を食べて生きてきたわけでもあるまいに。成人して味覚が変わるというのはよくあることだが、ここまで限定的なものしか食べられないとなると不便でしかないだろう。何度も説得したが、彼は何も口にしたがらない。


「君のそれは病気だからいつか治るよ。」


ㅤそう言うと、彼はいつも視線を伏せて力無く笑った。


ㅤどんな珍味を運んでも一向に興味を示さない彼は、次第にやつれていった。彼をそのまま見捨てられなかったのは、意地だったのかもしれないし、情だったのかもしれない。そして、きっと、どうしようもないエゴだった。


「いつか君のそれが治ったら一緒に食べたいものが沢山あるんだ。」


ㅤ私は人肉の味は知らないが、ものを食べるという行為が好きなので、美味しいものを沢山知っている。それらの味を教える前に君に死なれるわけにはいかなかった。


「これはね、私が開発した人肉と同じ成分の特別な肉なんだよ。」


ㅤだから嘘をついた。

ㅤ隠しきれない笑みを浮かべる私を不審そうに見つめる君を促す。恐る恐るフォークを口に運ぶ君に快哉を叫びそうになった。歓喜に打ち震える私とは対称的に、一度瞬いた君の瞳からは涙が一粒落ちた。


「ほら、ね。君は人の肉以外も食べられる。」


ㅤ結論から言えば、それはただの人の肉だったのだけれど。ようは、君が人以外を食べられると思い込めばいいと思ったのだ。それから彼は食事をするようになった。相変わらず私が食べているのと同じものには手をつけようとしなかったけれど、そのうちきっと同じ食事ができるようになるとそのときの私は信じて疑わなかった。


ㅤ彼が首を括っているのを見つけたのは、初夏のことだった。彼のシャツは血に塗れていなかったし、どう見ても既に事切れていた。


ㅤ私は何をどこで間違えたのだろうか。


ㅤそっと降ろした彼の遺体を見つめ、しばしの思案の後、厨房に運ぶ。

ㅤ私は大人なのできっとベッドを濡らすことはない。

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