抹殺者/大破壊
燃える町に、石造りの宮殿が生えている。
元々あった図書館や家々はどうなったんだろう。押しつぶされたのか、消えたのか。
大騒ぎになっている町を空から見下ろしながら、僕らは病院まで飛び、その入り口に傷ついた漆原さんを寝かせた。
すぐに誰かが気が付いて、適切な治療をしてくれるだろう。
僕らは眠る彼女の顔を少しの間見つめてから、もう一度空を飛ぶ。
迷宮にもどるつもりだった。けれどそんな僕らの背後から、鋭い風がビュンと吹く。
身をひるがえして避けた僕らは、後から思う。あの風をモロに受けていてら、身体が裂かれていたかもな。
「状況、教えて」
風を吹かせたのは、マキュイアを転写した名桐さんだった。
宮殿の出現を察知して、大急ぎでここへ来たんだろう。仕事が早いなぁと胸の内で想いながら、答える。
『色々あってなァ。世界の壁をブッ壊した。だから境界もあのザマだ』
口を開いたのは僕じゃない、あいつだ。
そう、僕らは世界の壁を壊した。世界と世界の接点に穴を開けて、そこから漆原さんを連れ出したんだ。結果として、境界の中の迷宮はこの世界にあふれ出したけど……
(まぁ、仕方ないよね)
境界ごと壊すようなやり方じゃ、漆原さんまで巻き込んでたし。
これがあの魔術師の狙い通りなんだったら、それはムカつくけどさ。
「……ミツル君。私には、君が『境界紋』を制御できなかったように見える」
『あァ。まァ……間違ってネェだろ』
僕はもう、転写を解くことが出来ない。いくら自分の姿をイメージしても、あいつの形からもどる事は出来なかった。
『アイツが自分で選んだからな。心がもう、コッチに染まッちまってる』
あいつの言葉に、名桐さんは兜の奥の目を見開いた。それから間を置いて、告げる。
「なら、殺さないとだね」
今の君は、すっごく危険だから。
名桐さんの言葉に、あいつは深く息を吐く。
『テメェが嫌がっても、オレはやるゼ』
分かってる。僕は名桐さんと戦いたくないけど、君は殺されたくないよね。
『じゃなくて……あー、まァいいか……』
ぼりぼりと頭をかいて、あいつは苦笑いする。
なにか間違ったことを言ったみたいだけど、細かい感情までは分からない。
そうこうしてる間にも、名桐さんが突撃してきた。
ひゅおッ。両脚から吹く風は強烈で、速度だけで言えば、ホウメツのジェットとそう変わりない。そのスピードで僕らの背後を取った名桐さんは、回し蹴りを、僕らのわき腹に命中させる。ぎゅいッ。打撃の瞬間、脚にまとわせていた竜巻が、僕らの表皮をねじる。
(すさまじいな……)
たった一発食らっただけで分かる。
名桐さんは今まで戦ったどの界獣よりも強くて、本気だ。
皮膚の剥がれる激痛と共に、吹き飛んだ僕らはだけど、それだけでは終わらない。
空中で翼をふるい、姿勢を整えながら、両の腕から炎を噴いた。火炎は名桐さんを包み込む……かに思えたけど、両の腕から竜巻を放って、名桐さんはそれを防ぐ。
ぼばっ。火炎を含んだ竜巻が散り、火の粉が花火のように飛び散る。その花火のすき間を縫い突撃した名桐さんは、己自身を杭にするように、竜巻回転しながら飛び蹴りを僕らに食らわした。ぎゅるる。回る爪先が、僕らの身体に深く深く食い込む。
『グッ、ガァ……!』
あいつは両手で名桐さんを捕まえようとしたけれど、名桐さんは全身に竜巻をまとっていたから、カンタンにはつかめない。弾かれ、時に手の平を削られながらも、両手に力を込めて回転を止めようとする僕らは、しかしそのまま、町に生える宮殿の壁へ激突した。
ドゴンッ! あいつの巨体と名桐さんの蹴りの勢いが合わさり、宮殿の壁はウエハース並みにあっさりとくずれる。見覚えのある石造りの廊下や天井に、はぁとため息を吐く。
「この境界の処理もしないとね~。重労働だなぁ」
『ンなら手伝ってやろうか? ここ全部ブッ壊せるゼ?』
「黙って。それ町ごと全部いくやつでしょ? そのくらいの火力あるの、知ってるからね」
『ぐぇッ』
僕らの腹を脚でグリグリ踏み付けながら、名桐さんは冷たく言い放つ。
魚龍の境界で水を蒸発させた時の話だろう。あの火力があれば、この宮殿なんて一瞬だ。でもその時、この町もかなり吹っ飛ぶ。
話している間に迷宮の何かが反応したのだろう。わらわらと湧いてきた骨騎士に、名桐さんが眉をひそめたような気配がする。
「なにあれ」
『迷宮が湧かしたザコ。界獣じゃネェ』
「そうなんだ。ジャマだね」
名桐さんは答え、風で骨騎士を一蹴。
そのスキに、僕らは名桐さんの脚をどかして迷宮の奥へと駆ける。
「あっ! 逃げるの!?」
名桐さんは言うけれど、別に逃げたいわけじゃないらしい。
『都合が良いからだよォッ!』
せまい迷宮の廊下を利用して、名桐さんを呼び込んだ僕らは、火炎で名桐さんを攻撃した。今度はさっきみたく、避ける事が出来ない。こいつはそう考えたみたいだけど、名桐さんはあわてず、廊下の壁を蹴り砕いてそれを避ける。
『だぁぁッ! ちょこまかしてんなアイツ!?』
(慣れてるよね。本当強いんだなぁ名桐さん)
『テメェはどっちの味方だよ……!』
(それは……あんまり……考えたくない)
こいつを制御できなかった僕が殺されるのは、まぁ仕方がないことだと思う。
だけどそうしたら、『境界紋』のこいつは僕と一緒に消されてしまうのだ。
それに賛成は出来なかったし、かといって、名桐さんを倒したいわけでもない。
『決めずにいたいってか? ンなモン、いい加減止めとけよ……』
「どっちに味方、とか言った?」
がらんッ。別の部屋の壁から、ガレキを撒きつつ名桐さんが蹴り込んでくる。
僕らが腕でガレキと名桐さんの脚を払うと、彼女は僕らの腕を足場に、たんっと天井へ跳んだ。
「ミツル君の意識、まだそこにいるんだ? なら私も気になる、なッ!」
ダンッ! 天井を破壊する勢いで蹴り、名桐さんが飛び込んだ。
今度は片腕じゃ足りない。両の手で名桐さんの竜巻混じりの体当たりを止めると、僕らを支え切れなかった床がくずれ、もろともに落下する。
迷宮には地下室があった。部屋の中央には、バリアのようなもので守られた、紅の結晶体が置かれている。その結晶の色に、僕は魔術師の瞳を思い出した。
『なァオイ、聞かれてるぜ? どっち取るンだよテメェは』
(どっちの敵でもないよ……)
「どっちでもないとかはナシね。これは本気で、よく考えて決めて欲しい」
僕の言いそうなことを見透かしたのか、名桐さんは甲冑の脚に竜巻を溜めながら、真剣な眼差しで問いかける。ぎゅるぎゅるぎゅる。脚の竜巻は、時間が経つほどに速度を増す。
(僕は……)
僕は、自分の世界に興味が無かった。
身の回りのモノや人を、好きになったり楽しんだりすることはあったけど、心の底から
大切だと思えたことは、ほとんど無いんだろう。
今日まで、僕はそのことをハッキリとは自覚していなかった気がする。
だけど僕は名桐さんと出会い、境界を知った。
ちがう世界、ちがう文化、ちがう考え。それらは僕の心を刺激して、同時に強い想いを抱かせた。もう一度、あの日あったあいつに会いたい。
(……僕は)
あの焼けた世界で見た銀河に、心惹かれていた。
あの綺麗な世界をもう一度。だけどそれが叶わない事は知っている。
あの世界の銀河は、もはや消え失せた。それはあそこが境界だったからでは、ない。
「君を一人にしたくなかった」
夜空色の手の平を見て、つぶやく。
迷子になった僕に出会って、守ってくれた君を。
あの日、翼を広げた君は、きっとあの境界と僕の何かを破壊したんだろう。
そして僕を元の世界へ帰し、またあの境界で一人ぼっち。
そんなこと、僕は受け入れられなかった。
「今の声、ミツル君の方だね。なんだ、しゃべれるんだ」
名桐さんに言われて気付く。なにもかもダメになったと思ったけど、声だけはまだ、出せるらしかった。
「で、さっきのはその界獣にむけての言葉だ。ってことは、決まったんだ?」
「……えぇ、はい」
僕は名桐さんに、自分の考えをはっきりと伝える。
自分勝手で、ひどい判断なのは分かっているんだけど。
「こいつの為にも、僕は殺されたくないです」
「…………そっか。それじゃあ私は、秋目ミツル君を界獣として扱わなきゃね」
はぁ、と名桐さんはため息を吐く。
心なしか、その声は震えていた。申し訳ないなとは思う。今まで色々教えてもらってたのに、こんな結果になって。
名桐さんが、すっと身をかがめる。きっと、次の一撃が勝負だ。
彼女の脚の竜巻は、今や翡翠色の光の束のように変化している。あれをモロに食らったら、こいつの身体といえど危ないだろう。
代わりにこいつは、全身から炎を吹き出した。炎は赤から青へ変わり、やがて白い光になる。まるで銀河の光だなと思いながら、僕はこいつの動きに身をゆだねた。
地面を蹴る音は、しなかった。
名桐さんは浮いていたし、僕らはその場で名桐さんを待ち受けていたから。
そしてお互いの手足が届くようになった刹那、がらり。
名桐さんが転写を解き、鎧が光となってくずれて消えた。
「なッ――!?」
おどろいた僕は、とっさに止まれと心でさけぶ。
止まれ、止まれ、止まれ! 確かに僕は名桐さんと戦うと決めた、でもこんなの!
だけど転写はすぐには解けず、ザンッ! 火力だけがおさえられた、夜空色の爪の一撃が、名桐さんの生身の体を引き裂いた。
ぼた、ぼた。肉を切った感覚と、ヒジまで伝う血のほのかな熱。
僕の転写は、おくれてようやく解けた。
「あはは……やっぱり、思った通りだ」
けふっ。血を吐きながら、名桐さんは力なく微笑む。
思った通りって、これが? 僕の転写が解けるかどうかに掛けて、こんな危険なことを?
「なんで……僕は名桐さんのこと、倒そうと」
「うん……そうだね。でもさ、君は完全には消えてなかったでしょ?」
一度は界獣に体の支配権を持って行かれて、それでも意志を残して、語る。
結果として選んだ道が、自分と戦うことだったとしても……
「まぁ……もどれそうなら、頑張るのが師匠の役目かなぁ、って」
私もそうだったから。右手の甲の『境界紋』をながめながら、名桐さんはつぶやく。
「私ね。『境界紋』が浮かんだ時、知らない内に転写して、たっくさんの人を――」
「――っ! 言わなくていいです、それは」
名桐さんの声はふるえていた。思い出したくもないことなんだろう。僕があわてて止めようとすると、彼女は小さく首を振って続ける。
「なにもかも上手く行かなくて、全部壊れればいいって、思ってて。その気持ちとこれは、つながっちゃった……」
公的には、台風による被害とされているらしいが。
一つの街で、多くの死傷者を出してしまったのだと、彼女は話す。
「だけど、私の師匠がそれを止めてくれて、辛くて死にたくなってた私に、言ったんだ」
その辛さは、もしかしたら一生癒えないかもしれない。
だとしても、死ぬならばその前に、やれるだけ償ってみてもいいだろう。
「……それが、十二年前。キミより二つ年上だった時」
十四歳。名桐キウはその時に封紋師となり、以来戦い続けた。
「結局、死にたさは消えなかったけどね……」
心の底で自分を嫌いながら、『境界紋』を憎みながら、彼女は今まで生きて来た。
そう言われて、ああと思う。時折名桐さんがのぞかせる後ろ向きな面。『境界紋』への突き放したモノの考え方。それは全部、嫌いって気持ちから来ていたんだ。
「ミツル君のいい師匠をやれたら、ちょっとは自分が好きになれるかも、とかさ」
甘いこと考えてたんだよねと、彼女は苦笑した。
才能も無いのにね……そう自分を悪く言う名桐さんの手を取って、僕は「ちがいますよ」と首をふる。
「名桐さん、強かったです。あのまま戦ってたら、僕らは負けてて、だから、」
そうじゃない。名桐さんに言うべき言葉は、そうじゃないだろう。
僕はくちびるを噛んで、それから続ける。
「いいお師匠さまでしたよ、名桐さんは」
「……ほんと……?」
「本当です。僕は名桐さんと出会えてよかったです」
手に力を込めて、ハッキリと言い切った。
すると名桐さんは、安心したように息を吐き、「良かったぁ」と言って目を閉じる。
動かなくなった名桐さんの顔は、僕とそう変わりない、少女のように見えた。
もしかしたら名桐さんは、十四歳の頃から、心を変えることが出来ていなかったのかもしれない。小さな頃の後悔を抱えたまま、今の今まで生きていたのかも。
「……」
名桐さんの手を――『境界紋』の消えた白い手を放して、考え込む。
僕は、今この瞬間まで、自分の好きに生きることだけを選んでいた。
その結果、名桐さんに殺されるとしても……抵抗はするけど、仕方のないことだと。
名桐さんだってそうなんだろう。『境界紋』への使命感とかじゃなくて、自分がしでかしてしまった事への償いと、好きになれない自分の為に戦っていた。
だけど、もし。この先僕が道を間違ってしまったら、それは僕だけではなく、僕を救うことにした名桐さんの間違いだということになってしまう。
「……ズルいですよ、名桐さん」
僕はもう、本当は色々なことがどうでもよくなっていたのに。
名桐さんを「いい師匠」だと言うには、僕がいい弟子にならないといけないじゃないか。
『結局、そちらの道を選ぶのかね』
地下室に声が響く。きっとあの魔術師の声だ。
生きていた……というのは正確じゃないだろう。あいつは元々、死んでいない。
「<魔迷界廊ラビュラドリ>。迷宮自体が、あの境界の界獣だったのかな」
『ご明察だ。生きた迷宮、とでも言うのだろうな』
「あなたの気持もちょっとだけ分かった。縛り付けられるって、苦しいかもね」
『……ああ。我が魂は迷宮の暴走を防ぐ要石だ。迷宮から出る事は叶わない』
なぜあの境界に様々なモンスターが湧き、魔術師を倒しても境界が消えなかったのか。
それは、迷宮自体が界獣だったから。そう理解すれば、魔術師の言動も理解出来る。
封じられて動けなくなり、心が折れ、外の世界の存在に活路を見出した。
『他者の期待を軽々しく背負うな。くずれ落ち、一歩も進めなくなるだけだ』
「ん……経験から言ってくれてるんだろうけど、大きなお世話」
僕は深く息を吐く。
僕は面白いシミが見られればそれでいい人間だった。
あの日あった大事な友だちに会えれば、それでいい人間だった。
これからもそれは変わらない。もしかすると、大切なものがこれから先に増えるかもしれないけど……きっと僕は、正義の味方にはなれないんだ。
「迷宮自体が界獣ってことは、迷宮全部消し飛ばさないと切り取れないかな?」
『その通りだ。だがそんなことは不可能だろう? やれば少年の『境界紋』がこの世界に傷を与える』
「もうここ、境界の外だもんね。まぁでも、それは、別に」
考えはあった。
だから僕は、静かに己へと転写を行う。
夜空色の怪物が、僕の身体を包み、問うた。
『テメェ、ちょっとマジでどうかしてるぞ。次は何を壊すんだ?』
「迷宮と……もう一つ、これって君の力で壊せるかな?」
『……ハ? いや、出来なくはネェが……正気か、テメェ』
「もちろん!」
胸を張って答え、まずはと迷宮の床に手を置いた。
それから身体中、全ての熱を高めていく。赤から青。青から白。
体内からあふれ出る炎は光となり、凝縮され、やがて――
『――待て少年、そんなことをすればこの町諸共ッ――』
夏休みに入る、一週間前の平日の夕方。
この町は、爆発によって消し飛んだ。
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