破滅考/破滅行

「境界は本当に世界を壊すのか、試したいと言ったんだよ、お嬢さん」

「……っ!?」


 今度は、日本語だった。

 世界を通した翻訳ではなく、男自身が、己の頭で考えて日本語を話した。

「そっ、そんなの試して、もし本当だったらどうするの!?」

「もし。もしと言ったねお嬢さん。なら君は、少年の言葉を完全には信じていない」

 当然だ、信じるに値しないのだから。

 男は演説を続ける。異世界があり、触れあう面に境界が表れる。それは事実と言って差し支えないだろう。実際に境界の主となっている己がいるのだから。

 けれど世界の崩壊。これはうなずけない。何故なら観測した例が無いからだ。もし本当に世界が崩壊すると言うならば、誰かがそれを観測している必要がある。

「それを試さずに『世界が崩壊するから今すぐ死ね』などと言われて、左様ですかとうなずく者がいたとしたら、それはとんでもない阿呆だよ」

 男はうす笑いを浮かべて言う。

 それに、もし実験して、世界が崩壊しなかったとしたらどうだろう?

 我々は二つの世界の文化や有り様を共有できるのだよと、男は笑う。

「君らの服装や立ち振る舞いを見ているだけで分かる。限られた上位階級以外の子どもにも勉学の門を開き、また恐ろしい怪物などは夢か幻。さぞいい世界だろう」

「……いや、でも、それは」

 言い返そうとして、言葉につまる。

 何故ならそれは、僕自身思っていたことだからだ。

 もっとちがう形で、他の世界を知られたら。他の世界のいい所を、学べたら。

 僕はこの男の言葉に、共感を覚えてしまっている。

(だけど……)


『だけど私たちは『境界紋』を消す為に動いてるんだって、忘れないでね』


 名桐さんの言葉を思い出し、踏みとどまる。

 かたわらの漆原さんを見て、決意を固める。

 これは呑めない。呑んじゃいけない言葉だ。


「ダメです。それを試すってことは……たくさんの人を危険にさらす」

「ふむ。君には見込みがあると思っているんだがね、少年。まぁいい……ではどうする?」

「戦います、あなたとッ!」


 答えを叫び、両の脚に転写して床を蹴った。

 部屋は広いけど、あいつの脚ならすぐ距離をつめられる。

 駆けながら、右手首の先にも転写をする。一度に多くの部位をやるのは危険だけども、いちいち引っ込めるより、短時間で攻撃を済ませてしまう方が良いだろう。

「これでッ」

「残念ながら、それはすでに視た。<パリェドロ>」

 男は呪文のようなものを口にする。と、ギャギィッ! 僕と男の間に赤い煙で出来た壁が生まれ、爪での攻撃を防がれてしまう。

「そんな、のッ」

 かまわず振りぬいて、壁を爆散させる。

 だけど壁が消えると、そのむこうにいたハズの男の姿が消えていた。

 どこに、と探そうとした瞬間、僕の背後で声がする。

「<リァ・ディアルド>」

 読み上げると共に、めきめきめきっ!

 背後で男がふくれ上がる気配。振りむく僕の頭の上から、太い腕が拳を叩きつけてくる。

「ッッ」

 振りぬいたばかりの右手じゃ間に合わない!

 僕は左の腕に転写して、相手のパンチを受け止める。身体全体に重みが走って、ずざりと僕の身体が押し込まれる。脚の転写を解いてたら、危なかったかも。

「反応は良い。異界の力をよく使いこなしている」

「……なに、その姿」

 つぶやく男の姿は、大きく変化していた。

 鹿の角が生えた魔人、という感じだろうか。筋肉質な肉体と、ライオンを思わせる頭。全長は三メートルに届くかという大きさで、力だけでも、僕は圧倒されてしまいそうだ。

「魔変と呼ばれている。人が有り様を変えた姿だ。力の出自や規模はちがうが……」

 君らの使う転写とそう変わりないよ、と魔人は答えた。

 よく分からないけど、つまりは戦いに使える魔法みたいなものだろう。

 動揺する心を抑え、僕は男に挑みかかる。

 両腕、両脚。四肢の転写を維持していれば、僕と男の力量は同じくらいだ。

 僕が炎熱で攻撃をするたびに、男は魔法で壁を作ったり、攻撃をそらしたりして防ぐ。

 魔人がその力で僕を攻撃したとして、気を付けてさえいれば、止められない力ではない。

「……ふむ。埒が明かない」

「勝負がつかないってこと? 僕もそう思うよ……」

 できるだけ、余裕そうに答えてみせる。

 本当の所、時間が長引いて困るのは僕の方だ。この間にも、『境界紋』は外の世界への影響を強め始めているだろう。それに限定転写だって、長く続けば悪影響がある。

「……っ」

 相手の拳を受け止めながら、意識がぐらりとゆれた。

 ただの立ちくらみ、と思いたかったけど……きっとこれは、制限時間だ。

(どこかで転写を解かないと。でもそうしたら、追い込まれる!)

 四肢への転写で互角。裏を返せば、僕に転写を解くヒマは無い。

 でも今のまま戦い続けたって、勝機は見えてこない。だったらいっそ、全身を転写してしまおうか? あいつの力の全てなら、魔人相手にも負けはしない。

(……でも、もしも失敗したら)

 あいつに体を乗っ取られたら、僕になす術はない。

 近くには漆原さんがいて、名桐さんはいないのだ。危険すぎる。


「また、つまらない考えを抱いているな?」


 僕の迷いを察したのか、男はふぅとため息を吐く。

「どうであれ、不憫なモノだ。それだけの力を秘めているというのに」

「……あなたに僕の何が分かるって言うんです」

「分かるとも。この眼は少々特殊でね、迷宮に立ち入ったモノの特性を読み解ける。少年は、一言で表すなら『破滅』と呼べる力を宿しているだろう?」

「っ!?」

 アスドゴルドに言われたのと同じ言葉を、この男も口にした。

 破滅。それは確かに、僕の『境界紋』のあいつの力なんだろう。

「だとしても……だからこそ、使うわけには」

「その恐れがよくない。綺麗な部分、都合の良い部分だけを見て、相手を知れると?」

「……」

 それは、そうだ。僕が以前にホウメツの名前を知れたのは、ホウメツの恐ろしいまでの火力を目の当たりにしたからだ。

 ホウメツの力が、あの世界でどのように受け止められていたか。想像することで、僕はホウメツを知れた。だったら、僕があいつを知る為に出来ることは。

 でも、と留まる。男の言う事は、全部周りの事を考えていないのだ。

 自分さえよければそれで良いと、周囲を無視してしまっている。

「踏み込むつもりはないか? なら手助けしてやろう。お嬢さんにも協力してもらってな」

「はっ!? お前、一体なにを――」

 止める間もなく、男は漆原さんにむけて、小さな結晶のような弾を撃ちこんだ。

 うっと漆原さんがうめき、倒れ込む。その左足からは、だくだくと血が流れていた。

「漆原さんっ!?」

 戦う手を止めて、僕は漆原さんに駆け寄る。

 あわててハンカチで傷口をおさえるけれど、血は止まらず、彼女の顔は青ざめていく。

「……ごめん……足手まといになった……」

「なに言ってるのさ!? 漆原さんが境界に入ったのは、僕のせいで、」

「うぅん。ちがうの。本当は……多分、私のせい」

 漆原さんの息は荒い。苦しいんだろう。なのに彼女は泣きも叫びもせず、転写したままの僕の手にそっと触れた。

「だって……だってね? 私、あの魔術師の言う事……なんか、分かっちゃうんだ」

「え……」

 彼女は言う。男の語る無茶苦茶な理屈に、心の何処かで納得してしまう自分がいたと。

「言ったでしょ? ちがう世界に行きたいって思ってたことがあるって。自分の世界が、あんまり好きじゃなかった、って」

「でもそれは、前の話だって言ってたでしょ?」

「うん。今はちがう……秋目君がいたから。周りの人を気にしてない秋目君を見て、そういうのもアリなんだって思えたから……」

 なにかを知りたい。それ以外はどうでもいい。

 周りの世界のことなんか考えたくない。自分の願いを貫きたい。

 そういう生き方にあこがれて、そんな人の事を、深く知りたいと願って。

「秋目君を知るためだけに、ついてきた」

 きっとそういう気持ちが……あの魔術師に通じる気持ちが、『境界紋』に通じてしまったんだろうと、彼女は笑う。

「だからさ……あの魔術師が次になんていうかも、なんとなく分かるんだけど……」


 気にしなくていいよと彼女は言った。

 自分の好きに生きる君に、勇気をもらったんだから、と。


 言い切ってから、漆原さんは目を閉じた。

 眠った……気絶したのかもしれない。どちらにしても、危うい状態だ。

「……では、分かりきった問いを投げよう。力を開放しなければ、お嬢さんは死ぬ」

 このままずるずると戦いを続けてもいいけれど、その場合、漆原さんは助からない。

 もしも漆原さんを助けたいならば、全ての力を使ってみせろ、と。

「なんでそんなことするのか、分かんないよ……」

 男の狙いは読めなかった。ただ僕に勝ちたいんなら、このまま時間を掛けてても良かったハズだ。漆原さんを巻き込むにしても、別のやり方があったろう。

(気にしなくていいなんて、言わないでよ)

 目を閉じ、考える。助けてと言って欲しかった。そうすれば、自分で決断する必要なんてなかったのに。そうしなくちゃいけないから、で力を使えたのに。


「……ねぇ、聞こえる? <黒い空のきみ>」


 十秒だ。すぐに済ませればもどれる。

 そう心に決めて、僕は全身への転写を行う。

 夜空色の肌、大きな体、空をつかむ翼。形は分かるのに、自分では見られない姿。

『聴こえてる。けどヨォ、お前……』

「やれるだけ、やらせて」

 深く息を吐きながら、僕は思いきり翼をふるった。

 飛ぶ為ではない、風を生む為だ。

 ばさばさと吹く風に、魔人は目を細めながら、そっと両の手の平をかざす。

「<ヘリゥ・メギァ・フレ――>」

「やらせない」

 言い切る前に両の腕から火を噴いた。

 爪の先から、炎熱を吐き出すイメージ。それは僕の翼が生んだ風に乗り、爆風となって魔人を消し飛ばす。

 でどりと迷宮の壁が溶け、本棚の本は焼け落ちる。魔人は、炭となってくずれ落ちた。

「よし、これで『境界紋』も――」

 界獣の消えた『境界紋』は消滅する。

 だから漆原さんを病院に連れていく事が出来る、と思ったのだけど。

 おかしい。少し待っても、迷宮はうすれていかない。

「どうして? 界獣は今、たしかに……」

 いや。思い返せば、この境界には界獣でないモンスターが何体もいた。

 おかしいとは考えてたんだ。界獣以外の存在が、どうしてこんなに多いんだって。

(暗電界でも、警備ロボットはホウメツしかいなかった)

 あの世界なら、何体かのホウメツがいたっておかしくはないのに。

 けれど一方、あの世界では監視カメラなどに連動した警備システムは動いていた。

 この迷宮のモンスターは……どちらかといえば、そっちに近い存在なのか?

『まァ、ンなことだろうとは思ってたゼ』

「……気付いてたの? 魔術師が界獣じゃないって」

『知るかよ。オレに分かるのは、それじゃ壊れないッてことだけだ』

 オレに出来るのは壊すことだけだから。

 壊せないのなら、そうと分かるとあいつは言う。

『で……どうするよ?』

「漆原さんを助けたい。方法、あるかな」

『どうだかな……何度も言うが、オレは壊すだけだ。可能性はあるが、その代わり色んなモンがブッ壊れるゼ?』

 ため息混じりにあいつは答える。

 本当なら……世界の安全を考えるなら、僕は何もするべきじゃないんだろう。

 転写を解き、名桐さんが気付いてくれるのを待って……漆原さんを見捨てて、このままここで過ごしているべきなのだ。


(……ああ、もう)


 嫌になる。どうしてこう、何度も何度も突き付けてくるんだろう。

 言ったじゃないか、僕はあの魔術師に。世界の為に死ねと。だというのに、自分の大事な友だちが危なくなったら、手のひらを返すのか?


「いいよ。漆原さんが助けられるなら、他はブッ壊れても」


 当たり前でしょ。そうするよ。

 本当は分かっていたんだ。僕も、あの魔術師と変わらない、自分勝手な人間だって。

 自分の周りの世界と、本当に大切な何かだったら、迷わず大切な何かを取る人だって。


 そうして僕は、意識の主導権をあいつに渡して。

 世界の壁を、破壊した。

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