二年前/遠日常

 放課後、図書館へと行くと、漆原さんは確かにそこにいた。

「ごめん、待たせた?」

「ううん。ついでに本の返却してたから、待ってない」

「ああ……漆原さん本好きだもんね、よく借りるんだ?」

 僕が問うと、彼女はこくりとうなずく。

 僕の中での漆原さんの印象は、本が好きな女子だった。

 友だちと話している時もあるけれど、休み時間のほとんどは、本を読むことに費やしている。大人しくて、頭のいい子。

「でもさぁ、よかったの? 漆原さん、シミ自体は別に好きじゃないよね」

「今はね。正直、よく分かってない。でも、秋目君がそんなに熱中する理由は知りたい」

「……そう、なんだ?」

「うん。なんか不思議なんだ。今までそういうチャンスはあった気がするんだけど」

 記憶が失われたせいだろう。

 漆原さんは、魚龍の『境界紋』の時、僕の話に興味を持ってくれていた。

 僕がシミを見て思ったこと、感じたこと、それを話して欲しいと言ってくれていたのだ。

「……じゃあ、今日はそれが出来るね」

 息を吐いて、切り替える。

 今まで出来なかった分、今日その約束を果たそう。

 僕がシミを見て感じた事を、漆原さんに伝えよう。

 答えると、漆原さんは嬉しそうに笑って「そうして」と言った。

 その笑顔に、どくっと心臓が鳴る。なんだろう、変に緊張してきた。

「じゃ、じゃあ行こうか! 場所はどこだっけ?」

「本町の方。むこうの図書館に変なシミがあるって、昨日司書さんに聞いて」

 この町には、いくつかの図書館がある。

 今待ち合わせした図書館とは別に、本町という地区にも図書館があった。

 漆原さんが見つけたというシミは、その図書館の棚に浮かんでいるらしい。

「すごいね。そんなところから情報が……」

「ここの司書さんとは、ちょっとだけお話する仲だから……たまたま話の流れで秋目君のこと話したら、覚えてたみたいで」

「ん~。なんか照れるね、それ」

 僕自身は図書館に通ってないのに、漆原さんのクラスメイトとして知られているらしい。

 とはいえ、それで情報を拾ってくれるのだから、漆原さんには感謝しかない。

「でも、変なシミってどういうこと?」

「何をしても消えないんだって。しかもそのシミ、なんていうか……」


 血に似ているらしい、と漆原さんは言う。

 流れる血の跡。まるでホラーのような、おぞましい話。


「……」

「あ、もしかしてこういうのダメだった!? 趣旨ちがう!?」

「いや、大丈夫。それがシミなら問題ないよ。どんな形かなぁ」

 あわてる漆原さんに、僕は軽い調子で答える。

 問題ないのは事実だ。ただ、これが本当に『境界紋』だったら、僕はどうすべきだろう?

(今日は名桐さんがいない。実際に見て確信が持てたら、改めて行く?)

 少なくとも、僕一人で『境界紋』に飛び込む真似はするべきじゃない。

 前回の戦いで、僕は少しだけ『境界紋』を扱えるようになったけど、名桐さんと比べたらまだまだ不安定だし、危険だろう。

「本当に平気? 真面目な顔してるけど」

「うー……ん。本当はちょっと怖いかも? まぁ、見てみない事にはね!」

 完璧にごまかすのは無理だったので、部分的に本音を話した。

 怖いのは、血の跡そのものじゃないんだけど。漆原さんは僕の言葉で納得して、「そうだよね」とうなずいてくれた。


 現地までは、バスを使って行った。

 子ども二人でバスに乗るのは、僕にとっては珍しい経験だったりする。


「漆原さんはよくバス乗るの? なんか入る動作、慣れてたけど」

「わりと。塾帰りにバス乗るし、本町の方には博物館もあるでしょ?」

「……あるっけ、博物館」

「あるよ! 小っちゃいし、展示も地味だから、私もあんまり行った事ないんだけど」


 バスに乗る十数分は、話をしていたらあっという間だった。

 漆原さんが最近読んだ本の話、学校の先生の話、最初に会った時の話。

「私が転校してきた時のこと、覚えてる? 私、あんまりクラスの子と仲良くなれなくて」

「そうだっけ?」

「そうだよ。声かける勇気がなくって、ずーっと一人で本読んでたんだけど」

 漆原さんは、四年生の時に転校してきた子だった。

 思い返せば、当初の漆原さんは、今よりなんだかおどおどしていた気がする。

 クラスの子が話しかけても、なんだか会話が上手く行っていないような感じだ。

「そこに秋目君が声かけて来たんだよ。なにか変わったシミを知らないか、って」

「あー……覚えてないけど、言ってるねきっと」

「そう。私、記憶力が良いから覚えてる。変な人がいるな、って思った」

「あはは。そりゃまぁ、思うよねー……」

 素直な物言いに、僕はついつい笑ってしまう。

 自分では情熱をかたむけるだけのモノだけど、人からみたらそうじゃないのは知っている。一、二年生から……三年生の始めくらいまでは、よくからかわれてたから。

「その後かな。クラスの女の子に、秋目君のこと聞いて……色々話してる内に、気付いたら馴染めるようになってたんだよね」

「へぇー……ってその流れ、僕の陰口じゃないよね!?」

「全然。あぁいや、ちょっとは入ってたのかな? でもそんなに悪い雰囲気ではなかった」

 あいつはそういう人だからという、あきらめにも似た理解。

 変だけど、変なだけで、悪いやつじゃないからいいんじゃない、という切り分け。

 それが僕に対してむけられていた言葉だと、漆原さんは言う。

「んー。んー……すっごく微妙なライン」

「だよね。でも私は、それが良いと思ったな。自分の好きを貫いて、周りに認めさせてる……って感じ?」

「……あぁ、うん。どうなんだろう、それは」

 僕は走るバスの窓の外を見ながら、考え込む。

 漆原さんの言う事は、おおむね正しい。僕は自分が好きだって思ったものを曲げないと決めて、その結果、周りの人々はそれを受け入れてくれてる、ハズだ。

 でもその理由は、もっと――

「――どうでもよかった、だけかも?」

「どうでもいいって……周りの人が?」

「うん。漆原さんは知らないだろうけど、前は思いっきりからかわれてたんだよ? 変なアザ、変な趣味って。でもまぁ、それは別にいいかってあきらめた」

 アザや趣味を隠して、みんなに合わせて生きていくか。

 それとも、からかわれながらも、自分の好きな事に時間を使うか。

 どうしようと考えた僕は、あきらめたのだ。合わせて生きることを。

 僕がそう語ると、漆原さんは「知らなかった」と小さくつぶやく。

「もしかしてこれ、秋目君的にはイヤな話だった?」

「いや全然。それはそれだし、今はちがうから。クラスのみんなとも仲悪くないし、シミのこと、共有できる人も出来たし」

「……前一緒にいた女の人?」

「その人もだし、漆原さんも。まぁ面白がってくれるかどうかは、今からだけど」

 がんばりたいところだね、と僕は拳をにぎった。

 もしここで漆原さんに不定形の面白さを伝えられたら、同士が増える。

「そっか。私もがんばるね」

「いや、なんでそこで漆原さんががんばるのさ」

 変なこと言うなぁと思っている内に、バスは目的の場所へたどり着く。

 料金を払ってバスを降り、図書館へ入った僕らは、やがて例のシミを発見した。

 難し気な本が並ぶ、哲学のコーナーの本棚の横にそれはある。


「本当に、血の跡みたいだ」


 迷惑にならないよう、小声で話した。

 シミは確かに血の跡の様に、赤黒く垂れたような形をしている。

「ちょっと怖いね。ただのシミなんだろうけど」

 漆原さんが眉をひそめる。シミの上には「清掃中」と書かれた張り紙がしてあるけど、話によれば、このシミが消える事は無い。

(……直感的には『境界紋』だなぁ)

 状況だけでなく、実物を見て僕は思う。

 ここ最近『境界紋』とそうでないシミを見分けて来た僕には、パッと見ただけでこれらの区別がつくようになっていた。これは『境界紋』。だとして、問題は……

「なんの形に見える、秋目君?」

「ん~。まずこれ、横長の四角でしょ? 地図、みたくみえる」

 果たしてこの『境界紋』につながる異界はどのようなものか。

 浮かび上がる形から、僕はそれを推測していく。

「細かく色んな部屋が書かれた地図。でもここは広い空間が空いていて……」

 地図の右上。他と比べて大きく開かれた空間の中に、そのシミはある。

 顔? いやちがうな、もうちょっと別のモノだ。

 ずっと昔のゲームの、ドット絵にもどこか似てる。

「私もちょっと考えてみる。人っぽくはあるよね?」

「うん。手足と頭があるし、ここに住んでる人だね」

 実際に人間なのかはさておき、そのような形の生き物ではある。

 僕が同意すると、うぅんと漆原さんは考え込んで例を挙げ始めた。

「大きな地図だし、王様とか?」

「にしては、ちょっと地味に見えない?」

「だよね。でも若くは見えない。色のせいかもだけど……」

「確かにこの色だと、イメージは老人になるかも」

 血のようだと思わせる赤黒い色は、若者や子どもという想像をさせない。

 老人ではあるのだろう。しかし王のようなきらびやかな人物ではない。


「……魔術師?」


「それだ!」

 思いついた言葉を口にすると、すかさず漆原さんが反応した。

「もうちょっとで出てきそうだったんだけど、それだよ秋目君!」

「あ、漆原さんもそう思う?」

「思った! モヤがかかったみたいにハッキリしなかったんだけど、これで分かったよ。これは魔術師で、ここは魔術師が作ったダンジョン。そんな感じでしょ!」

「そうそう! これ自体が一個のダンジョンの地図で……えっ?」

 待って。僕は今、漆原さんが言い出した言葉に納得したのか?

 なにか大事なことを忘れてる気がする。胸の底が冷えるような、やってしまった感覚。

「そっかぁ、秋目君がいつもしてたのは、こういう事なんだね」

 青ざめる僕に気付かず、漆原さんはシミを見て嬉しそうに話す。

「これかな? って形を考えて、当てはまったらスッキリ楽しい。うん、これは分かるよ。ただのシミのむこうにちがう世界があるみたいで、面白いよね!」

「いや漆原さん、それって――」

 僕がくわしく聴こうとしたのと同時、漆原さんは、棚のシミへと指を伸ばしていた。

 ああこういうことかと、楽し気な彼女の様子が僕の目に焼き付いて。

 マズイと思いながら彼女の手を取った、次の瞬間には。


 ……僕らは、境界へと迷い込んでいた。

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