転写練/護森界

 それからの日々は、大変だけど充実していた。

 放課後、学校を終えた僕は名桐さんと待ち合わせ、街中に『境界紋』を探しに行く。

 事前に情報がつかめていれば良いのだけど、毎回そう上手くは運ばない。ひたすら歩き回りながら、面白そうなシミや汚れがあれば「これは?」と二人で頭をひねる。

「面白い形ですよ、恐竜みたいで!」

「あれが前足でこれが尻尾ね? 確かにそれっぽいけど、『境界紋』ではないね」

「そうですか……恐竜の界獣に会えるかと思ったのになぁ」

「私、それっぽいの倒したことあるよ。幽霊だったけど」

「恐竜の……幽霊!?」

 なかなか『境界紋』は見つからなかったものの、名桐さんとなんでもない会話をしながらシミを観察するのは楽しかった。

 観察自体はふだんからしてるけど、基本的に一人だから、考えたことや感じたことを、その場で誰かと共有できる機会は、僕には無かった。名桐さんとだったらそれが出来るし、『境界紋』を見つけたら、またこことはちがう世界をのぞくことも出来る。


 数日調査を続けたところ、次なる『境界紋』にも出会えた。

 町はずれの神社に置かれた、力石と呼ばれる大きな石。その表面が、一夜にしてコケに覆われてしまったのだという。

「話聴いてきたよー。なんか、掃除してもすぐコケ生えるんだって」

 名桐さんが神主さんに聞いたところ、コケは洗い流しても一夜経てば生えてくるらしい。

『境界紋』は、たとえ人の手でキレイにぬぐっても元へともどる。このコケが『境界紋』であることは間違いないと思えた。

 コケはところどころで色がちがって、色の濃い部分をぼんやりながめていると、やがて一つの形が浮かび上がってくる。

「巨人、ですかね? 多分大きいんだろうなぁ」

「コケって形で出たのも気になるね。自然の多い異世界なのかも」

 話し合いながら境界へ飛び込むと、果たしてこそは自然豊かな世界であった。

 見上げても空が見えないほど、高くそびえたつ木々。森の中に立つ僕らは、まるで虫かネズミのように小さい。

 その森を進んでいくと、陽の光の差す広い草原がぽっかりと空いており、その真ん中に、草木の生えた岩の巨人が眠っている。

「森の守護神ってとこかなぁ。さてミツル君、教えたことは覚えてる?」

「はい、まずは限定転写ですよね」

 答えながら、右の腕に意識を向ける。

『境界紋』を探し歩く中、僕は紋の取り扱いについて色々な話を聞いていた。


(『境界紋』を扱うコツは、自分がその異世界とつながっていると思うこと)


 僕の身体をその異世界のモノだと認識すれば、身体はその通りに姿を変える。

 けれどこれは危険な行為だ。自分というものの認識を変えるのだから、やり過ぎれば、自分自身を忘れてしまう。そこで名桐さんが教えてくれたのが、限定転写という方法だ。

(僕の腕だけを、あいつの世界のモノにする……)

 転写範囲を体の一部にすることで、僕は僕を維持したまま異界の力を扱える。

 既に体の全てをあいつに貸していた僕にとって、この方法はそう難しくなかった。


「ちょっとだけ、力を借りるよ、<黒い空のきみ>」


 仮の名を呼んで、僕の腕に力を満たす。

 腕を夜空色のそれへと変えた僕は、相手の動きを観察しながら、一歩を踏み出した。

(今回は、最初から僕が戦う)

 これも名桐さんの指示だった。戦いを通して、僕は界獣との付き合い方を知る。

 草原に足を踏み入れた途端、巨人はゴゴゴゴと音を鳴らして立ち上がり、侵入者である僕へと顔を向ける。

『ロロロ、ラロ、ロロラ』

「ごめん、よく分かんないですっ!」

 答えながら、ぶおんっ! 腕を振るって巨人に爪を立てようとしたけれど、巨人は己の拳でそれに対抗し、ガギンッ! 爪は刺さらず、僕は体を大きく弾かれる。

「硬いなぁ! すごい!」

 ただの岩、ではない。重さも硬さも、鋼鉄以上のモノだと僕は感じる。

『ルララロ、ルラ、ロララ』

「伝わるか分からないけど、言っておくね! 僕らは世界を守るために、君と戦う!」

 界獣も、異世界のなにかの転写に過ぎない。

 あの巨人の本体は、今も異世界の森で眠っているのだろう。だから転写した巨人を倒したところで、本当の巨人には影響がない。

 それでも僕は、伝えようと思った。僕らが戦う理由を。

 だってそうじゃなきゃ、あんまりにも一方的じゃない?

『ルラリロ、ラ……アナタの言い分は、理解し得ます』

「わっ、なに!?」

 ずざっ。着地した僕が姿勢を整えていると、巨人の言葉が理解できるようになった。

 音は、元と変わらない。ルラルロ言っている言葉のまま、意味だけが伝わるのだ。

(ホウメツの時と一緒だ)

 具体的な条件は分からないけど、僕らは時として、界獣の言葉を理解できるようになる。

 ここが境界だからだろう。僕らの世界の理屈も、この境界には反映されている。それが界獣の言葉を翻訳して、僕らへと意味を伝えるらしい……と、名桐さんが言っていた。

『森がひどく小さい。ここが本来の世界でない事を、ワタシは理解しています』

「なら、話し合いでなんとかなったりとか――」

『否定します。ワタシは森を守る者。小さな写し絵であろうと、ここはワタシの森です』

 本物も偽物も、巨人には関係が無いのだろう。

 だったら、と僕は再度踏み込む。非常に残念ではあるけれど、戦う他はないのだ。

「実力で決める。君も、それでいいんだね!?」

『望む所です。ワタシの存在は、故にこそ意義を持ちます』

 守る為に生まれたのだから、守る為に戦いたい。

 それが転写された偽物でも、オリジナルと変わらぬ在り方を貫きたい。

 巨人の言葉に僕はうなずいて、爪を振るう。ギィンッ! やっぱり通らない。

「ミツルくーん! 攻めだけじゃどうにもならないよ!」

「分かってます! まずは、えーっと」

 一歩退いて、腕の転写を解除する。

 元の僕の腕の形をイメージすれば、戻すのは一瞬だ。

 それから僕は、今度は両の脚にあいつのイメージを重ねる。

 そして脚への転写が済んだと共に、ドンッ! 強く地面を蹴り、さっきの倍以上の速さで飛び出した。

『……』

 ぐぐ、と巨人が両の拳をにぎる。

 むかえ撃つつもりだろう。脚だけで速度を付けた所で、巨人の身体は砕けない。そう見込んでのことだろうけど、僕は更に動きを足した。

「今度は、翼ッ!」

 たんっ。ジャンプしながら足を元に戻し、急いで翼を展開。羽ばたいて、巨人の上を取る。巨人の方はその動きを想定していなかったんだろう、反応がおくれて、ガードが低い。

「んでもって……!」

 翼をしまって、改めて腕へ転写する。

 そして爪の先に、僕は体の熱を溜めた。全身を転写した時と比べて威力は落ちるだろうけど、この爆発力を加えれば――

「どう、だッ!」

 ばぎゃんッ! 炎熱を秘めた爪が、巨人の頭部を破壊した。

 これで勝ち、と思ったんだけど……

『なるほど、破滅の力。アナタは恐ろしいモノを抱えていますね』

 巨人はそれでは倒れなかった。

 攻撃を終え、無防備な僕は空中で目を見開く。

 たった今砕いたはずの巨人の身体が、めきめきと音を立てて変形していた。

『なんとしても止めなくては。アナタ自身の為にも』

「――え」

 目前に、岩の拳がせまる。

 完全に勝ったつもりでいた僕は、回避の手段を考えていなかった。


「はい、あとは私が引き取ります」


 そこへ、ぶおっとするどい風が吹き、僕の身体を空へ飛ばした。

 マキュイアを転写した名桐さんが、その力で僕を巨人の腕の射程から外したのだ。

 ぐるぐると回りながら吹き飛んだ僕は、空の上で翼を生やして立て直す。その間にも、鎧をまとった名桐さんは、再生する巨人へと痛烈な蹴りをぶち込んでいた。

『やはりアナタも異界の力を。しかしまた、ずいぶんと――』

「ルラルラ言われても困るんだよね。悪いけど、すぐ処理しちゃうから」

『――おや、お話が通じていない』

 冷たく言い放つ名桐さんに、巨人は困惑しながら対応する。

 削れた巨体をガラガラと落とし、よりスリムなボディになって、素早い名桐さんの動きについていく。けれど名桐さんの強さは速さだけじゃない。

「これ、借りるよ」

 巨人が落とした岩の欠片を、名桐さんは竜巻で巻き取った。

 そしてその竜巻を、ぎゅいんッ! 巨人へとぶつけることで、その体を削っていく。

 名桐さんの操る竜巻は、ふつうの竜巻ではないんだろう。多くのモノを巻き取って、己の力に変える事が出来るのだ。

『ル、ラッ……!』

 巨人はうめく。削れていく体の中、なにかが日の光に反射し、きらりと光った。

「……見えた。そこだ」

 名桐さんはつぶやいて、しゅんッ。

 岩のかけらを吹き飛ばし、代わりに己の爪先を、光る何かへと叩きこむ。

 翼で下降すると、僕にもその正体が分かった。丸い宝石のようなものだ。

 恐らくは、これが巨人の核にあたる物体だったのだろう。


『お見事です、異界の戦士たち』


 ぱきっ。核にヒビが入り、巨人を構成する岩は一つ残らずくずれ落ちる。

 ころんと転がった核から、最後の声がした。か細い、けれど楽器が鳴るような声。

『ワタシの森を守れなかったことは遺憾ですが、最期まで務めに忠実でいられました』

「……そっか」

 死ぬまで、森を守る。

 なにが巨人をそうまでさせるのか、僕には分からないけれど。

「君のそういうところ、すごいと思うよ……<アスドゴルド>」

『おや……名前を呼ばれたのなど、何千年ぶりでしょうか』

 頭に浮かんだ名を口にすると、懐かしい響きですと言いながら、核は割れ、砂となって消えていく。

 森の境界もそれによって地球を離れ、僕らは神社へと戻っていった。

「ミツル君。あの界獣、最後はなんて?」

「懐かしいって。もしかしたら、ずっと昔に約束したのかもしれませんね」

 森を守り続けろ。そう命じ、彼の名を読んだ誰かとの絆が、境界であっても彼を戦いへ駆り立てたのかもしれない。それは悲しい事かもしれないけれど、分からなくはない。

<護森界岩アスドゴルド>。彼が守ろうとした森のオリジナルを、『境界紋』を消すことで守れたのなら……僕は嬉しい。

「……。本当に、君は封紋師にむいてるんだねぇ」

 僕の言葉を聞いて、名桐さんはしみじみとつぶやいた。

 そういえば……なんで名桐さんはわざわざ僕にアスドゴルドの言葉を聞いたんだ?


「名桐さん、もしかして、言葉伝わってなかったんですか?」

「そうだよ。私、界獣の言う事なーんにも分かんないんだよねぇ」


 状況から推測くらいは出来るけど、と名桐さんは付け足す。

 じゃあもしかして、ホウメツの時も? 更に問うと、彼女はこくりとうなずいた。

「私はねー……師匠にも言われたけど、才能は全然無いから」

「で、でも名桐さん、めちゃくちゃ強いですよ!?」

「そこは経験の差だね。もう十二年は封紋師やってますから!」

 にへっ。名桐さんは照れくさそうに笑う……けど、十二年!?

「僕が生まれる前から戦ってたんですか!?」

「うッ。くそぅ、うすうす分かってたけど突きつけられると重いなコレ……」

 名桐さんはなぜか苦し気な表情を見せる。

 それにしても、十二年って。名桐さんは大人だけど、まだ若そうだ。一体何歳の頃から封紋師をやっているんだろう?

「聞きたそうな顔をしてるねぇ。でもダメ、教えない」

 僕の心を読んだのか、名桐さんはそう言って僕の質問を封じにかかる。

「でもまぁ、マキュイアの話をするには避けて通れないから……これも、君が自分の紋を操れるようになったら、だね」

 名桐さんの『境界紋』を見せてもらう時、一緒に話してくれるらしい。

 だけど、紋を操れるようになったら、か。

「名桐さんから見て、まだ足りませんか?」

 最後は危なかったとはいえ、限定転写のコツはつかんだ。

 あの戦い方なら、暴走をする心配もないと思うんだけど――

「言ったでしょ。名前を見つけないとダメ。まぁ、君ならすぐだよ」

 必要なのはキッカケだけだと、名桐さんは言う。

 僕としては、そのキッカケを見つける方法が知りたい所なんだけど。


「さっ、今日は疲れたしもう帰ろう!」


 僕の疑問に答える前に、名桐さんは解散を告げる。

 最後一つの『境界紋』は、また明日以降に探し出そう。

 そう語る彼女と別れ、僕は家へと帰った。

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