暗電界/黒天獣

『ナオ、コノ戦闘ニヨル損害ニ関シ、当局ハ一切ノ保証ヲ行イマセン』


 そして閃光が巻き起こった。

 肌の焼けるような、熱と衝撃に、目をつむる。それらが一瞬で過ぎ去ると、今度は建物のくずれるガラガラという音が辺りに響く。


「あちゃ~、失敗したなぁ……」

「名桐、さん?」


 声がして目を開くと、僕の目の前には、名桐さん。

 ボロボロだった。さっきまでキレイに輝いていた鎧は、どこもかしこもひび割れていて、所によっては砕け落ちている。

「名桐さん、僕をかばって……?」

「お師匠さまだからねー、弟子は守れなくっちゃ」

 それでも風は吹かせられるのだろう。なだれ落ちるガレキを竜巻で抑えていた彼女は、「よっこらせ」と言いながらそれを余所へと投げ捨てる。

 辺りは壊滅状態だった。密集していた建物の多くは崩落し、跡形もない。

「これ、あの蜂が……?」

「だねぇ。見誤った――っていうより、私が甘かったなぁ」

 けほっ。煙を吸ったのか、名桐さんは小さくせき込みながら背後へと向き直る。

 そこにはまだ、件の蜂がいた。ただ一度の射撃で半径百メートルほどの街を消し飛ばす、異質なほどの火力を有した機械の蜂。

 僕はこの世界の人々を、直接は見ていない。どんな生活をしているのかも、どんな性格をしているのかも知らなかった。でも。

 らいら、りらりら。

 破壊をまぬかれたであろうスピーカーが、ガレキの下で歌っている。

 悲し気なフレーズの意味はまだ分からないけど、それがあの蜂と無関係とは、思えない。

「……<暗電界機>」

 脳裏に浮かんだ言葉を、ぽつりと吐いた。

 なに? と名桐さんが耳をすませる。


「<暗電界機ホウメツ>。多分これが、あの蜂を呼ぶ名前です」


 確信があった。

 暗く、希望の光が途絶えかけた、電子が主流の世界。

 ホウメツは、その世界で人々を抑え込む為に作られた、重い正義の象徴だ。

 ホウメツの存在がこの世界にとって正しいモノなのか、それを判断する権利は僕に無い。

 それでも分かるのは、ホウメツを僕らの世界に呼び出してはいけない、ということ。

「名桐さんは休んでいて下さい。あとは僕がやります」

「心配してくれるのはうれしいけど、それは無理。だって君はまだ、」

「いえ、出来ます。今なら出来る」

 心に湧き立つものがある。それは以前、魚龍を前にした時の気持ちと同じだ。

 なんとかしたい。悲しい出来事を起こしたくない。

 そう思う気持ちが、僕のわき腹のアザに熱を与える。

(きみの名前は、まだ分からないけど)

 ホウメツの名は知れたのに、自分に浮かぶ『境界紋』の正体は分からない。

 それでもこの気持ちが、紋のむこうのあいつに繋がっている気がしたから。


「起きて、<黒い空のきみ>」


 今の僕に形容できる、最大限を口にして。

 彼の姿を想起した。夜空色の、ツメの生えた大きな手足と、羽ばたく翼。

 そして思い浮かべる。かつて共に見た、消えゆく銀河を。

 すると心の奥底から、一言だけ返って来た。


『いいのかよ』


 以前、僕はこいつに身体を乗っ取られた。

 だからだろう。どこか遠慮がちな、心配するような声音に、僕は小さく微笑む。

「ありがとう。いいよ」

 身体を貸すから、力を貸して。

 僕が答えると、やや間を置いて、うなづくような気配を感じた。

 それから僕の身体は変化する。魚龍の時と同じく、いつか見た彼の姿に。

「うっそ、もう自分の意志で転写できるの……?」

「……やり方は、さっき見せてもらったので……」

 名前を呼んで、その世界を自分とつなげる。

 ぶっつけ本番だったけど、上手く行って良かった。でも問題は、もう一つ。

『あァー、忠告しとくぞ。テメェの意識、持って六十秒だ』

 だよね、と思う。こいつの力を借りて――名桐さんは転写と言っていた――僕の意識はすでに消し飛びそうだった。眠気を必死にこらえるみたいにして、僕は僕の身体にしがみついている。


『新タナ脅威ノ出現ヲ確認、排除対象ニカウントシマス』


 僕の転写を見て、ホウメツは危ないと判断したのだろう。

 そう警告して、銃口を僕らにむける。もう一度撃たれたら、今度こそ名桐さんが危険だ。

「行くよっ!」

 なので、僕らは先手を取った。相手が動くより先に、羽ばたきと共に接近。

 魚龍を倒した炎熱で、一気に相手を消し飛ばす……と、思ったんだけど、

 ぶおんっ! ホウメツはジェット機を吹かし、高く空へと飛び上がる。

『速ェッ! キッチリ追い付けよ!?』

「やってみる……!」

 と言いつつ、翼での飛翔じゃ速度が足りない。

 上空で構え始めたホウメツは、全砲門を僕らへ向けている。このままの速度で上がっても、狙い撃たれて終わりだろう。

「ミツル君、体だけじゃなくて、異界の力を意識して!」

「異界の力……!?」

 地上から、名桐さんのアドバイスが投げかけられる。

 今の僕は、転写した肉体の力で空を飛んでいる。他にも使える力があるんだろうか。

『あるゼ? なにせオレは世界を壊すンだからなァ』

 高速飛行の一つも出来ずに、どうして世界を壊せようか。

 その言葉に僕は考える。あの日見たのは燃え尽きた世界。魚龍を倒したのは、炎熱の力。

 名桐さんが竜巻を自在に操ったように、僕も炎熱を自由に扱えるハズだ。そしてそれを速度に繋げるとしたら――


「そうだ、ジェットエンジン!」


 空を行く、ホウメツこそが手本となった。

 僕は両の手の平を下へむけ、体の熱を外へ逃がすようなイメージをした。

 と、ぶおおッ! 白く輝く炎が、僕の手の平から放出。その反動で、僕らの速度はグンと増した。ホウメツでさえ、ロックオン出来ない程に。

「上、取ったァッ!」

 そしてホウメツより高く飛んだ僕は、炎熱の方向を変え、上方からホウメツに飛び掛かった。ザンッ! ツメがホウメツの機械の身体を裂いた……けど、浅い。

『当機ヘノ破壊行為ハ、貴方ノ罪状ヲ重クスル行為デス』

「ごめんねッ! でもどっちみち、生きて帰す気無かったでしょ!?」

 僕らは界獣を倒さなきゃならない。

 ならホウメツは、己のプログラムに従って、犯罪者を排除しようとするだろう。

「世界の危機とか、無かったらなァァッ!」

 のんびりゆっくり、この世界の事を知れたなら。ホウメツと戦うことなく、この世界の面白い部分に触れられたかもしれないのに。

 ひゅんッ! 放たれるレーザーを、翼をはためかせて避ける。

 頬にちょっとかすめたのか、ほんのり熱さと痛さを感じるけれど……僕をかばった名桐さんは、もっと熱くて痛かったと思うし、気にしない。


「お菓子、食べておけばよかったかなァ!?」


 どのみちホウメツに怒られるなら、お菓子を食べても一緒だったかも。

 あぁ、でも。それはやっぱりちがうんだよなぁと、僕の中の理性が止める。

 僕らは『境界紋』を消さなきゃいけない。だから僕らは界獣と敵対してしまう。

 それでも僕は、異世界自体と敵対したくないのだ。


「君のいい部分とかも、もっと知りたかったなァ!」


 強さとか、怖さだけじゃなくて。

 もしかしたらなにか、あったかもしれないじゃないか。ホウメツという存在が、誰かの助けになっていたりとかさ。

 思いながら、ガンッ。両手で僕はホウメツをつかみ、グァと大きく口を開く。


「ブッ……壊れ、ろッ!」


 思いながら、熱線を吐いた。まるで怪獣だ、僕は。

 青白く光る熱線は、ホウメツの上体を焼き溶かし、爆ぜさせる。

 バチバチ、バゴンッ。力を失って落下していくホウメツを見下ろしていると、僕の身体からも、だんだんと力が抜けていく。

「あぁぁ……つかれた」

 界獣になるって、体力使うんだな。

 もはや飛ぶ気力も無くなって、僕は落下していく。

 六十秒。あいつの言っていたタイムリミットと、僕が地面に叩きつけられるの、どっちが早いだろうか。そんなことを思っていると、とんっ。僕の身体が、優しい風に抱き留められる。

「お疲れさま」

 それは、名桐さんの両腕から吹く風だった。宙に浮きあがる名桐さんは、動かない僕の身体を支えながら、一番近いビルの屋上へと降りる。

「名桐さん……動いて大丈夫なんですか……?」

「色々痛いけど、今の君より平気。それより想像して、元々の自分の身体を。出来るだけリアルに。そうしたらもどれるハズだから」

「ん……はい……」

 名桐さんに言われた通り、僕は自分の姿を強く頭に思い浮かべた。

 日焼けの無い肌に、筋肉のない腕。どこまでもふつうで、どっちかと言えば弱そうな、いつもの僕の身体。

『そうだな。テメェは弱い。オレとはちがう』

(どういう目線で言ってるんだよ、それ……)

 頭に響くあいつの声に、心の中で苦笑する。

 そりゃあ、僕ときみとはちがうけどさ。……本当、きみは僕はどう思ってるのさ。

『…………』

 内心で問いかけた頃には、あいつの声は聞こえなくなっている。

 そうして気が付くと、僕の身体は元の小学生のそれにもどっていた。


 要を失った境界も、すでに崩れ始めている。

 色があせ、景色がだんだんとぼやけていく。全ては煙のように形を失って、やがて僕らは、元の世界の自販機の前へと帰っていた。


『境界紋』はすでに無い。当たり前のように動いている自販機から、名桐さんがICカードで飲み物を買う。スポーツドリンクだ。

「今回は、なんとかなったねぇ」

 買ったスポドリを一口飲んで、名桐さんは深く息を吐く。

 その顔には、傷が残っていた。ガレキでケガをしたのだろうか、いくつかの切り傷と、ホウメツのレーザーを浴びた時に出来たであろう火傷。名桐さんは冷えたボトルを火傷に当てて、少し歩こうか、と僕をうながした。


 *


「ごめんなさい、僕のせいで」

「なんのこと?」

「僕がいなかったら、名桐さんケガしてなかったですよね」

「……ああ……」


 夏の町をしばらく歩いてから、話しかける。

 名桐さんのマキュイアには、レーザーを弾いたり、空を飛んだりする力があった。それなら、ホウメツの一斉射撃だって、なんとかしのげたかもしれない。

 でも名桐さんは僕をかばって、敵の攻撃を受けてケガをした。そのことを話すと、彼女は「否定はしないけど」と前置いて答える。


「それでも、君が気に病む必要は全くない、かな」


 ケガをしたのは自分が未熟だからだと、名桐さんは言う。

「私はね、君を連れて行っても何とかなるって判断した。近くで戦いを見せて、それからゆっくり転写や解除の方法を教えよう、ってね?」

 でもダメだったんだよねぇ、と彼女は肩を落としてため息を吐いた。

 ちょっとわざとらしい、大げさな仕草だと僕は思う。

「だから、君は気にしない! あーでも、焦って転写しちゃったのはマイナスかな?」

 私、まだ戦えたし! グッと右の拳を握りしめて、彼女は笑った。

「お師匠さまの言う事は、ちゃんと聞かなきゃダメだよ? 私が止めようとしたんだから、君は止まるべきだった。ここはゆずれない点だね」

 結果として転写が上手く行って、ホウメツを倒せたとはいえ。

 一歩間違えばどんなことになるか分からなかったんだからと、名桐さんは言う。

「君が負けて死んでしまう可能性もあったし、暴走してもどれなくなる可能性もあった」

「……死……」

「うん、死。今の私を見たら分かるでしょ? 境界での傷は、夢にならない」

 あちらで傷つけば、戻って来たって傷ついたまま。

 死んでしまえばそれっきりだと、名桐さんは言う。

(あの時は夢中で戦ってたけど……)

 それはちゃんと想像出来てなかったな、と僕は思った。

 でも、待てよ? もしそうなら、あの時のアレはなんだったんだ?

「名桐さん、僕のこと刺しましたよね」

「刺した刺した。ブスッと貫いたよ、この手で」

 よくよく思い出してみると、あの時僕の胸を貫いた金属の手は、名桐さんがマキュイアを転写した時と同じだった。名桐さんもそれを朗らかに肯定して、「あれは別」と語る。

「あの時は、私の腕を通して『この世界』の有り様を君に伝えたというか……なんていうのかな、「もどれー!」って念じながら刺したら、なんとかなった」

「………………それ、もしかしてかなりギリギリのヤツですか?」

「まさか上手く行くとはね! もうちょっと強固に張り付いてたら、はがせなかったよ」

 その場合は、界獣もろとも僕は死んでいたらしい。

 私がそうはさせない、とか言ってたのに……

「お医者さんが重傷の患者に「助かるぞ!」って言うみたいなノリだね、それも」

「うわぁ。危機一髪」

「そう。で、それは今もあんまり変わってない」

 笑っていた名桐さんは、急に真面目な顔になって忠告してくる。

「君はまだ、自分の『境界紋』に名前を付けられてないでしょ?」

「そう、ですね。なにかしっくり来る名前が浮かばなくて」

 ホウメツの事はすぐに頭に浮かんだのに、自分のアザはやっぱりダメ。

 あの時は仮の呼び名を使ったけど、それもあんまり納得できないのだ。

「名前がちゃんと定まってないと、形を頭で明確に出来ない。そんな状態で全力の転写を続けてたら、遅かれ早かれ呑まれるよ」

 もっともな意見だった。今も僕は、あいつの姿をハッキリ思い浮かべられない。

 だけど、そもそも僕があいつに名前をつけられないのは、あいつの姿を見ていないからだ。変化した手足や体の感覚だけじゃ、あいつの輪郭はつかめない。

「……思うんですけど、名桐さんにつけてもらうわけにはいかないでしょうか」

 それと引き換え、名桐さんは転写した僕の姿を目の当たりにしている。それも、二回も。

 僕はホウメツに名を付けた。別に自分に浮かんだ『境界紋』でなくとも、名前を付ける事は可能なハズだ。

 僕の提案に、名桐さんはぴくっと肩を反応させ「それは無理かな」と硬い顔で答える。

「確かに理論上は可能だよ。私がナイスなネーミングセンスを発揮して、君が「それこそあの『境界紋』の名前だ!」って納得が出来れば」

「なら、どうして?」

 問い掛けると、彼女はフッとさびしげに微笑む。


「むいてないからさ、私」


「……え」

 予想していなかった答えに、僕は返事をつまらせ足を止めた。

 名桐さんは二、三歩進んでから、僕が止まった事に気付いて振り返る。

「合わない名前じゃ、上手く転写できないしねー。本人が付けるのが一番だよ!」

「そう、ですか……?」

「どうしてもって言うなら付けるよ? えーっと、<呪爆界獣デスボンバー>!」

「うわぁ本当にむいてないッ!?」

 冗談にしてもあり得ないネーミングセンスだった。

 僕がのけぞって否定すると、「あはは」と名桐さんは笑ってまた歩き出す。

 ネーミングセンスがひど過ぎるから名前を付けられない。名桐さんはそういうことにしたいみたいだけど、それだけじゃないなと、流石に僕も気が付いた。


(名桐さんって、何を考えている人なんだろう?)


 出会ってから二日目。

 最初に抱いた苦手意識はどこかへ消えて、僕はこの人の事を前より知りたくなっていた。 それから、もう一つ。


「名桐さん、お願いがあるんですけど」

「なーにー?」

「名桐さんの『境界紋』、よく見てみたいんですが、いいですか?」


<嵐鎧界鳥マキュイア>の模様も、よく見てみたい。

 ふつうの『境界紋』は解決したら消えちゃうけど、人に浮かんだ紋なら見放題だし!


「えー。それはイヤ」

「なっ、なんでですか!?」

「あんまり言わない方がいいよ、そういうの。人のアザとか火傷の跡とか、ジロジロ見るのは失礼でしょ?」

「あっ。あー……そうですね」

 言われてようやく気が付いた。

 僕にとって『境界紋』は魅力的な模様だけど、人の肌に浮かぶモノだ。

 それをじっくり見たいなんて、確かに失礼だったかも。

「でも、そうだなぁ。君がちゃんと『境界紋』を扱えたら、その時はいいよ」

「……本当ですか?」

「私は出来る師匠だからね! 弟子のモチベーションアップにつながるなら、それくらい全然オッケー! 尊敬したならお師匠さまって呼んでいいよ!」

「あきらめてなかったんですね、それ」

 どうしても弟子に「お師匠さま」って呼ばれたいらしい。

 いい年してどうなんだろう、その欲求。僕は不思議に思うけど、境界で身体を張って助けてくれたからだろうか、今は最初に聞いた時ほどイヤな気もしない。

(流石にはずかしいけど、全部終わったら、一度くらい呼んでみようかな)

 今、町にある『境界紋』を解決して、僕があいつの名を呼べるようになったら。

 その時は名桐さんの『境界紋』をじっくり観察して、「お師匠さま」と呼んで別れよう。


「うん、よし! がんばります!」


 僕が気合を入れ直すと、名桐さんは不思議そうに目をぱちぱちさせてから、「その意気だぞ」とうなずいた。

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