近未来/警備兵

 異世界の夜の町には、不明な言語の歌が響いていた。

 らいら、りらりら。

 さびしげな声でくり返されるフレーズが、言葉の伝わらない僕の心をきゅっとさせる。

 町に人の姿は無かった。境界に、界獣以外の生物は表れない。ここの界獣が機械なら、今この世界にいる生き物は、僕と名桐さんの二人だけだ。

 けれど町をよく見れば、ポイ捨てされた紙のパックが落ちてたり、注射器みたいなものが落ちていたり……人が住んでいた気配を感じられる。

(治安は悪いのかなぁ)

 路地裏の壁は落書きだらけだし、やたらと監視カメラが多いし。

 しかも路地裏は、空気がよどんでいる。壁に無数に取り付けられた、エアコンの室外機らしいもののホースから、延々と水が垂れ流されているからだ。水たまりの形が気になって足を止める僕に、「行くよ」と名桐さんが声を掛けてくる。僕はハッとして、先を行く名桐さんにあわてて追い付いた。はぐれたら、何が起こるか分からない。

 暗い部分を見ているだけだと、なんだか不安になる怖い世界だった。けれどその反面、明るい大通りには、面白そうなものがいくつもある。

「あっ。これ、ゲームの広告ですかね。アクションゲームかなぁ、主人公カッコいい」

「そうだね……キャラの体格は私たちと同じくらいだし、この世界の人類と私たち、ほとんど同じ生き物だって考えても良いかも」

 店頭のモニタの映像を見て僕が話しかけると、名桐さんは真面目な顔でそう答えた。

 なるほど、言われてみれば確かに、出てくるキャラクターは僕たちとソックリだ。

 異世界と言っても、僕らの世界と同じ生き物が住んでいるってこともあるのかな。

 更に歩いていくと、コンビニエンスストアのような店も発見出来た。ガラスから店の中をのぞいていると、「入る?」と名桐さんが提案してくれる。

「いいんですか?」

「まー、調査は必要だし。それに考えてることもあるからさ」

「じゃ、さっそく入りましょう! わぁ、文字が読めない!」

 お店の中には、さまざまな商品が並んでいた。日用品、食品、ダウンロードカード。

 紙の雑誌はほぼ置いてなかったけれど、その代わりにダウンロードカードのコーナーがやけに充実している。電子が主体になってるんだろうか。

 中にはさっき広告されていたゲームも置いてあって、値段らしい文字も合わせて書かれている。言葉はやっぱり、読めないけれど。

 食べ物のコーナーには、いろんなスナック菓子が置かれていた。パッケージの写真を見るに、ジャガイモのお菓子やチョコっぽいお菓子はこっちにもあるみたいだ。

 時々、正体のよく分からないものもあるけど。小さい箱状のお菓子。グミやアメみたいに色があざやかだけど、パッケージを見るにサクサクしてるみたいだ。

「美味しいのかなぁ。っていうか、なにで出来てるんだろう」

 手に取って裏の成分表を見てみても、当然ながら分からない。

「この字もまた不思議ですよね。アルファベットに似てるけど」

「漢字圏じゃないんだねー。もしくは表意文字が衰退したのか」

「どんな味だと思います? 美味しそうに見えますけど」

「……食べてみたい?」

「出来るなら! でも、お金持ってないですし」

 お店にはセルフレジが設置されていたけれど、こっちのお金は持っていない。お菓子を棚に戻そうとすると、名桐さんがそのお菓子を横から取り上げ、ながめた。

「ヘンなの食べるとお腹壊すんだよね~。でもまぁ、この世界の様子なら平気かな」

「平気って、どうするんですか? ……まさか」

「勝手に食べちゃえ。どのみち、この世界は写し絵でしかないんだからさ」

 無銭飲食したところで、現実にこのお店が困ることはない。

 名桐さんの理屈は分かるんだけど……

「それはなんか、ダメですよ! この世界に対して失礼というか――」

「あはは。真面目だねぇミツル君。いやうん、それはそれで大事な感覚なんだけどさ」

 困ったように苦笑する名桐さんを見て、僕はとまどう。

 おかしなことを言ったつもりは、無いんだけど。僕が返事できずにいる間に、名桐さんは別の小さなお菓子も手に取り、見比べる。


「ミツル君はさぁ。この境界、けっこう好きだったりする?」

「んんと……住めるかって言われたら無理そうですけど、こうして見てる分には」


 行った事ないけど、海外に旅行に行ったような気持ちだ。

 空気からしてちがうし、慣れなくて怖いけど、だからこそ面白い。

「じゃ、前の海龍のとこは、どう?」

「水ばっかりだし、わけ分かんないことばかりだったので、あまり……けど、海龍自体はキレイでしたよね、あのヒレ!」

 答えてから、思い返す。僕は衝動的にあの海龍を消し炭にしてしまったのだけど、それはちょっと海龍に対してヒドかったんじゃないだろうか。

「海龍……界獣にも、痛いとか苦しいとか、あるんでしょうか」

「さぁ。モノによるだろうけど、私はそこに重点は置いてないかな」

 やっぱりこっちにしよう、とカラフルな箱状のお菓子を手に取り、名桐さんは答える。

 その声音は、現実での名桐さんとちがって、どこか冷たくて重かった。

「じゃ、ミツル君は気が向いたら食べるってことで」

「ええっ。名桐さん、本当に食べちゃうんですか!?」

「味は教えてあげる。どれどれ」

 ばりっ。袋を破って、名桐さんはお菓子を手に取った。

 パッケージ通りのあざやかさだ。四角いけど、色合いだけなら金平糖にも似てるかも。

 名桐さんはそのお菓子を、お店の天井のすみ――監視カメラらしき機械を見ながら口にする。ばり、ぼり。噛みくだく音は大きくて、静かな店によく響いた。

「……これは……」

「ど、どうですか!? 美味しいんですか!?」

「ヤバいね。あまじょっぱくて歯ごたえも良い。ものすごく美味しいよ」

 眉を寄せながら、名桐さんが答える。

 美味しいんだ! それなら僕も食べてみたい……と、思った次の瞬間。


 ビー、ビー、ビーッ!


 警告音のようなものが店中に響き、店の入り口に赤いライトが灯った。

 もしかして、勝手に食べたのがバレた!? 僕が焦る中、名桐さんは「きたきた」と、境界に来て初めて嬉しそうな顔を見せる。

「名桐さん!? やっぱり盗み食いダメじゃないですか!?」

「そりゃまぁ、住んでる人間以外は転写されてるわけだから、警備システムも動くよね」

 あっけからんと言い放つ名桐さんに、僕は目を丸くした。

 もしかしてこの人、分かっててやった!? お店入る時も「考えてることがある」とか言ってたし!


「ミツル君。『境界紋』を楽しめる君は、本当に才能あると思うよ」


 楽しいから興味を持てる。

 興味を持って見つめれば、多くの事を発見できる。

「だけど私たちは『境界紋』を消す為に動いてるんだって、忘れないでね」

 言いながら、彼女は店の外へ出る。

 自動ドアが開くと共に、ぶおん。外からすさまじい風が吹き込んで来た。

 原因は、空から訪れた一機のマシンが吹くジェットエンジンだ。

「わ、蜂の界獣……!」

 黄色と黒の警戒色。全長二メートルを超すその機械は、虫でいう腹の両横に備えられたジェットエンジンと背中の羽でバランスを取り、店の前でホバリングしている。

「私たちの予想と同じ姿だね。ちょっと想像足りてなかった部分もあるけど」

 蜂の姿をモデルにしたからだろう。蜂でいえば針の伸びる腹の下部からは、銃口らしきものがこちらにむけられている。

「でも、なんで急にここに――」

『――□□△、△〇××』

 僕の疑問に、蜂の界獣は機械音声で答える。

 やっぱり言葉は分からない……のだけれども、言いたい事は不思議と伝わった。

「通報を受けて来た、大人しく捕まりなさい、ってとこかな?」

「ですよね。どうするんです……?」

「もちろん抵抗する。私は蜂を呼ぶためにお菓子を食べたんだしね」

 名桐さんの返答に、僕はうわっと思う。やっぱりわざとなんだ。

 けど、抵抗ってどうやって? 相手は大きな機械で、銃も備えている。

 僕が緊張しながら見つめていると、名桐さんは右手の手袋を脱ぎ払う。

 わずかに見えた手の甲には、アザが浮かび上がっていた。

 翼の生えた、鎧だろうか? タトゥーのようにも見えるアザからは、絵画的な美しさを感じられる。

『□△□、△▽▽!』

 名桐さんの動きを不審に思ったのだろう。

 蜂は名桐さんに更に何かを言い立てたけど、名桐さんは動じない。


「私たち封紋師はね、自分の『境界紋』に名前を付けてるの」


『境界紋』は一つの世界の写し絵だ。

 その世界を理解し、運用する為には、名を付ける事が必要なのだと彼女は言う。

「だから私は、この世界と界獣に名付けた。呼ぶことで、私はその界獣と繋がる」

 名桐さんが従わないからだろう。

 蜂は最後にもう一度警告音を発してから、きゅいぃ。

 下部の銃口に光を溜め、名桐さんへとレーザーを照射する。


「<吹き荒べ、嵐鎧界鳥マキュイア>ッ!」


 それと同時。名桐さんが叫ぶと、ゴウッ。

 突風が巻き起こり、周囲のモノを巻き上げ煙を起こした。

 ぎちぎち、ばちっ。煙の向こうで蜂は音を鳴らし、背の羽をふるって煙を払う。

 と……レーザーを受けたハズの名桐さんは、平然とした様子で蜂の目前に立っていた。

 ただしその姿は、さっきまでの名桐さんとはちがう。

 彼女は、手足に鳥の翼の装飾がほどこされた、白銀の鎧に身を包んでいた。

 光沢はなく、金属とはどこかちがう、不思議な印象のその鎧には、翡翠色の光のラインがいくつも走っている。

(蜂の界獣も未来っぽいけど……)

 名桐さんの鎧は、それよりも更に進んだ文明のモノに思える。

 これが、名桐さんの界獣の姿なのか?

 考える間に、ふわり。名桐さんは踏み込むと、足音も無く蜂へと接近した。

 いや、足音が無いっていうか、浮いてるんだ! 名桐さんの足元には、今も風が吹いている。ただ、それだけで体が浮くっていうのはちょっと、信じられないけど。

 ガンッ。名桐さんが蜂に膝蹴りを喰らわせると、グラついた蜂は、羽とジェットで体勢を整えながら距離を取り、下部のレーザー砲から連続で攻撃を行う。

 だけど、名桐さんにレーザーは効かなかった。彼女が両手を前に突き出すと、緑に光る竜巻のようなものが盾として現れ、レーザーを巻き取って弾く。

(レーザーって巻き取れるんだっけ……)

 光なんだし、反射は出来てもああはならなくない?

 僕は思うけど、名桐さんは当たり前のようにそうしてしまった。

「よーく見ててね、ミツル君!」

 マキュイアの主な攻撃方法は、蹴りだった。膝蹴り、回し蹴り、カカト落とし。なんとか相手から離れようとする蜂に、マキュイアは重力を感じさせない動きで追いつき、叩く。

 よくよく見れば、それらはただの蹴りではない。膝や足先の当たる瞬間、名桐さんの鎧からは、さっきレーザーを防いだのと似た竜巻が発生している。


(これが『境界紋』を使いこなすってことか……)


 名前を呼んで、境界のむこうの力を己のモノとする。

 僕にも同じことが出来るだろうか? わき腹のアザに、あいつに名を付けて――

(――ダメだ)

 考えるけれど、しっくり来ない。

 夜空。銀河。炎熱。破壊。浮かび上がる言葉のどれも、あいつを示す文言にはなっていないと感じる。そんな名前で呼んだとして、僕の声が届くとは思えない。

(なら、練習あるのみだ!)

 たとえば、目の前の界獣はどうだろう?

 あの蜂だって名前をつけて呼んでみたら、今までとちがう面に気付けるかもしれない。

 そう考えながら、僕はマキュイアと化した名桐さんと蜂の戦いを観察する。


(あの蜂は、コンビニの警備システムの通報を受けて来たんだよね)


 僕らの世界でいうパトカーや警官の役割を持っているんだろう。

 境界を見回った限り、この世界の治安は悪い。あちこちに監視カメラがあるくらいだし、蜂も毎日のようにどこかへ出動していたのかもしれない。

(界獣は、その世界で特に強い力を持つモノだって言ってたっけ)

 名桐さんの説明によれば、界獣になるのは力を持つ存在だけ。

 以前出会った海龍は、恐らくは生態系の頂点に君臨する生き物だったんだろう。

 名桐さんのマキュイアは、くわしいことは分からないけど、とにかく強いし。

 僕のアザのあいつも、元の世界ではなにか特別な存在だったのかもしれない。

(じゃあ、あの蜂は? 特別な存在という割には、なんか……)

 弱い、と感じる。蜂は名桐さんの速度とパワーについて行けてないし、このままならカンタンに倒されてしまうだろう。そんなものが、界獣として写し出されるんだろうか?

 違和感。なにかが変だ。


『■■××、▼▲▲ヲ■■▲▲――』


 ばぎゃんっ。蹴り飛ばされて地面に転がる蜂が、何事かを叫ぶ。

(……あれ)

 いま、一瞬。蜂の言葉が変に聞こえた。

 音は変わらないハズなのに、その意味が頭に伝わるような。

「やばっ。ミツル君、店内もどって身を守って!」

『――コ×、ケ■コ×、警告! 危険ヲ情報修正、殲滅モードニ移行シマス!』

「せんっ……?」

 理解する間もなく、蜂の界獣は変形した。

 尾の銃口がマシンガン状のモノに切り替わり、腹からも六門の砲手が飛び出してきた。まさに全身火器といった有様で、蜂はその銃口の全てを、名桐さんへとむけていた。


『ナオ、コノ戦闘ニヨル損害ニ関シ、当局ハ一切ノ保証ヲ行イマセン』

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