第13話 二人が下した結論
ケスターのことを愛称で呼ぶことができたのは、彼の提案通りに成金夫婦を演じるという大義名分があったからだ。それを抜きにして日常でも彼を〝キット〟と呼ぶことには抵抗を感じる。
彼は生まれつきの王族であり、エレンデルは本来やんごとなき人間とは結婚するはずもない家柄の令嬢である。妻は夫を敬うべきという以前に、本来の地位の隔たりが頭をよぎってしまうのも無理はない。
「えっと、どうしてもですか?」
「ああ、どうしても呼んでほしい。公の場以外では、王族のケスターではなく、君の夫のキットでありたいんだ」
寂しげな子犬のような眼差しで見つめられ、エレンデルは思わずたじろいだ。
「だめかな?」
本来であれば、断るべきなのだと思う。けれど今日のエレンデルには、彼に散々気を遣ってもらった借りがある。
(あるいはそれを言い訳にして、殿下のお願いを受け入れたいと思ってしまってるのかも)
いずれにせよ、動揺はしたが、最初から自分の中の結論は決まっていた。
「はい……えっと、キット」
エレンデルが希望通りに彼の愛称を呼ぶと、ケスターは美しい顔に喜色を浮かべる。結婚式の日にも見た、無邪気な少年のような笑顔だ。
なぜか、あの時よりも心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われた。胸の奥できゅうっという音がして、無性にそこを掻きむしりたい衝動に駆られる。
(あれ? なんか変……変だよ、わたし!)
エレンデルはぶんぶんと頭を振り、よくわからない感覚をどうにか振り払ってから席に着いた。それを見ていたらしいケスターが首を傾げるが、恥ずかしいので見なかったことにする。
シェフの渾身のメニューを次々と口に含んでいくが、味はいまいちわからなかった。美味しい……はずなのだが、先ほどの妙な〝きゅう〟のせいで食事に集中できない。
(考えるな、考えるな……)
そう言い聞かせれば言い聞かせるほど考えてしまうので、途方に暮れているうちに夕食が終わってしまった。
(も、もっと味わいたかったのに! なんなのよ、きゅうって!)
場所を移動し、二人でソファに腰掛けても、エレンデルの頭の中は先ほどの感覚のことでいっぱいだ。あまりにも気がそぞろだったので、次に彼から声をかけられた時には大げさに驚いてしまった。
「どうかした?」
「いえいえいえ、なんでもないです。はい」
「……? まあ、それならいいけど」
ところでね、と彼は続ける。
「あくまで私個人の意見として聞いてほしい。いいかい?」
「大丈夫です!」
「ありがとう。スケッチブックの中に南国の海のような色合いのイヤリングがあっただろう? あれを付けた君を見るのも悪くはないと思うんだ」
そう言われて、エレンデルはケスターが言っているであろう絵を思い浮かべた。卒業パーティーで着たドレスと同じく、お気に入りの絵画から発送を得たデザインだ。
太陽をイメージし、ダイヤモンドで縁取った大きなパール。その下にぶら下がる部分は、淡い水色と緑がかった鮮やかな青の宝石をひし形にカットしたものを、波打つ海に似せてパズルのように並べている。
「わたしもあのデザインは好きなんです。父がどこからか貰ってきた南国の海の絵があって、それをモチーフに描いたんです。とても気に入っている絵なので、嫁入り道具と一緒に持ってきてしまいました」
エレンデルがそう言うと、ケスターが目を見開いた。演技ではなく、本当にびっくりしているように見える。
今のどこに驚く要素があったのかと不思議に思っていると、彼は何やら恥ずかしそうに口を開いた。
「その絵は、その、たぶんわたしが子爵にあげたものだと思う」
「そうなんですか! じゃあ、作者の方のこともご存じだったりします?!」
「…………私だよ。各地を遊学していた時に描いたんだ」
予想外の事実を知って、今度はエレンデルのほうが驚いた。全てが吹っ飛ぶぐらいの衝撃に、目も口も開いたまま固まってしまう。
(ええええええええ?! そんなことある!? 確かに絵がお上手だと思ったけど、まさかあの絵の作者が殿下だったなんて!)
ケスターの初めて見る顔——耳まで真っ赤になっている姿を見れば、彼の言っていることが本当だと確信せざるを得ない。
「思ったより、君との繋がりは長いようだね」
「本当ですね……」
新たな事実を踏まえると、単にお気に入りの絵のおまけのように思っていたデザインがやけに特別に見えてきた。
テーブルに置かれたスケッチブックを手に取って、パールと青のイヤリングのページを開く。
(殿下の瞳をイメージした石は使えなくても、一緒に作ったって感じがするわね。最初のジュエリーはこっちでもいいかも!)
エレンデルは自分の中で納得した答えを、ケスターにも伝えることにした。
「ピンクのイヤリングもいつか絶対作りたいです。でも、わたしたち二人の絵の融合みたいなものだと思えば、最初はこれがいいと思います」
「そうだね。私もそう思う」
午後に納期の話をした時にはどんよりと曇っているように思えた先のことが、一気に晴れ渡ったような感じがする。
こうして二人は、次の日に工房で何を相談するかを決めた。
翌朝。ケスターとエレンデルは馬車に乗り、オルネラス宝石研磨工房へと向かった。
扉を開けて二人を迎えた徒弟が最初に口にした言葉は『誰?』である。今日は変装をしていないので、彼の反応は予想の範疇だ。
ケスターは寝る前に染め粉を落とし切って、生まれたままの銀髪を肩に垂らしていた。身繕いもカチカチの正装ではないものの、王族としての品格を感じさせる。
その隣のエレンデルは元々髪や目の色は特に変えていなかったが、装いは全く違う。王族の妃らしい品のあるドレスに身を包み、薔薇の香水をほんのりと香る程度にふりかけてきた。
『どちらさ……ええ!?』
カリストは眠そうに目を擦りながら出てくると、いかにも上流階級らしい二人組を見て仰天した。
片方は昨日見た顔だが、もう片方は髪の色も違うし、そばかすも付いていない。おまけに彼らの背後には護衛が控えているので、最初は彼らがどういった用向きで訪れたのか理解できなかった。
「昨日ぶりだね、カリスト」
ケスターが固まっている彼に声をかけると、昨日来た成金夫婦と同一人物だと確信したらしく、膝から崩れ落ちる。
「……アーリフティアの王族方でいらっしゃいますか?」
「まあ、一応そうかな」
「ご案内いたします」
必死に正気を取り戻したらしい彼から案内され、エレンデルたちは再び応接室に入った。
中で待っていたスサニタは、彼らの姿を見てあんぐりと口を開ける。
「え? え? あの、奥様、もしかしてご夫君を取り替えました?!」
彼女が混乱のあまり妙なことを言うので、カリストは卒倒しそうになった。ケスターが苦笑いを浮かべながら彼を宥める。
エレンデルは頭の中に疑問符を浮かべているであろうスサニタの両肩に手を置き、彼女にゆっくりと言い聞かせた。
「同一人物よ。昨日は変装していたの」
「な、なんでです?! こっちのほうがかっこいいじゃないですか!」
「そうよね。わたしもそう思う。でもこの格好だとふらふら歩き回ることはできないから、仕方がなかったの」
「えっ、なぜ?」
スサニタは何を言っても混乱しているようで、話が噛み合わない。
しかし、我慢しきれなかったらしいカリストが事情を説明するなり、彼女の活発そうな顔からすうっと血色が失せた。
「銀髪の王族で、男性……まさか、前国王陛下……?!」
「ああ、そのまさかだ。私はブラウリー大公ケスター・エムリス・フェアベインという」
「わたしは先日殿下と結婚したエレンデル・フェアベインよ。昨日は黙っていてごめんなさい」
いかに勝ち気な彼女とはいえ、王族の前に出るというのは緊張するらしい。スサニタは昨日の天真爛漫な様子とは打って変わり、身を小さくして縮こまってしまった。
(彼女も無敵というわけではないのね)
自分とは正反対の遠い存在のように感じていたが、少し親近感が湧いてくる。
「すすすすすすすすみません昨日はなんてご無礼を!」
「いいの! 気にしないで! 大丈夫だから!」
懸命に詫びる彼女を落ち着かせる。
これからこの工房の人々には、二人で決めた新しい〝最初のジュエリー〟のことを相談しなくてはいけないのだ。
エレンデルは徒弟が入れてくれたであろうコーヒーをスサニタに勧め、ここからどう本題を話そうか思案した。
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