第11話 ピンク尽くしのイヤリング
結局、スサニタはいつまでもデザイン画を堪能していた。
手持ち無沙汰になったエレンデルたちはコーヒーを飲み、用意された菓子を平げながら時間を潰している。最初のうち、カリストはスサニタの客前での自由すぎる姿に慌てたが、ケスターが「好きにさせてやればいい」となだめたことで安心したようだ。
しばらくして、パタンとスケッチブックを閉じる音がした。エレンデルがスサニタのほうに顔を向けると、彼女はやる気に満ちた顔でこう言った。
「奥様のデザイン、どれも最高でした! ぜひあたしにやらせてください!」
気に入ってくれたことは表情からわかっていたが、改めて言葉にしてもらえると嬉しくなる。
「このピンク系統のデザインを最初にやりたいんですよね?」
「ええ、そうなの。でもこの淡い色の部分はピンクダイヤのつもりで描いたから……」
最初の店で相談した時のことを思い出し、エレンデルは口ごもった。
ピンクダイヤモンド自体、母の知り合いが付けていた指輪に嵌っていた小さなものしか見たことがない。その小さなピンクダイヤモンドすら希少だとはわかっているのだが、エレンデルが欲しいのは存在感のある大きなルースだ。
そんな彼女の苦悩を知ってか知らずか、スサニタはにんまりと笑った。
「それがですね、うちにはとっておきの原石があるんですよ」
「…………っ?!」
驚くエレンデルを小気味良さげに見てから、彼女はさらに続けた。
「工房長があたしのために用意してくださったピンクダイヤ、奥様のジュエリーに使ってみません? こう見えてダイヤモンドのカッティングには人一倍自信があるんですよ。空前絶後の大きさとかではないんで、さすがにイヤリング一対分にしかなりませんけど」
エレンデルはケスターと目を見合わせてから、彼女に向かって大きく頷いた。
「一対でもできるなら、こんなに嬉しいことはないわ!」
「よかった! 旦那様もそれでよろしいですか?」
「ああ。最初の一対は客に買ってもらうというより、これから立ち上げるブランドの宣伝用だからね」
ケスターからもお墨付きが出たので、スサニタは両手を振り上げてガッツポーズをした。作法を咎めるカリストの声もなんのその、実物を持ってくると宣言して部屋を出ていってしまう。
「本当に申し訳ありません……」
「いえ、熱心にやってくれるのはこちらも助かるので」
もはや目が死に始めたカリストにフォローを入れつつ、エレンデルは彼女が戻ってくる前にいくつか尋ねることにした。
「スサニタとは知り合って長いのかしら?」
「そうですね。妻のいとこの娘で、家も近所なものですから」
聞けば、スサニタは子供の頃から工房に出入りしていたようだ。最初はカリストも「ここは女の子が来る所じゃない!」と追い出していたのだが、あの性格なので結局は押し負けて弟子にしたらしい。
今では他の職人たちも彼女の存在に慣れきっており、スサニタはカリストに次ぐ実力の持ち主となった。とはいえ工房の外に出れば、女性の職人というのは異端の存在だ。彼女がカッティングして磨いた石は使いたくないと言われることが多く、カリストは彼女の将来を案じていた。
「お二人が来てくれて助かりました。このままでは宝の持ち腐れでしたから」
「助かったのはこちらのほうだよ。君の弟子を偶然見かけたおかげで、作りたかったものを諦めずに済んだ」
しみじみと語るカリストに、ケスターが感謝の言葉をかける。
「ありがたいことです。旦那様も——」
「持ってきましたよ!」
師匠の言葉を遮り、スサニタが応接室に飛び込んできた。
「スサニタ、お前という奴は……っ」
「ひえ?! もしかしてお邪魔してしまいました?!」
深い溜め息をついて顔を覆ったカリストの背に、ケスターが「まあまあ」とばかりに手を置いた。
「旦那様は少し優しすぎやしませんか?」
「時と場合によるよ。今は私たちと君たちしかいないし、彼女の場合は勢いも大事そうだから」
「………………確かにそうなんですが、はぁ……」
男性陣がそんなやり取りをしているのを尻目に、エレンデルはスサニタの持ってきた原石をまじまじと眺める。
彼女がとっておきだと言っていたピンクダイヤモンドは、やや小さめの苺くらいのサイズ感だ。透き通っているが、表面がザラザラしていてすりガラスにも似ている。
「絵を見た感じ、八カラットぐらいですよね。同じ大きさで二つは取れると思います。あとは余った部分で一カラットを二つか三つくらい」
スサニタは絵の上に定規を起き、石の大きさを測った。
「十三ミリ弱、と。やっぱり八カラットで良さそうですね」
恥ずかしい話、エレンデルは宝石の大きさの単位をあまり考えて描いていなかったので、彼女があれこれ言うのを見守るしかない。
(わたしって、こういう基礎が全くわかってないのね)
帰ったらしっかり勉強せねばと、心のメモ帳に書き込んでおく。
「余った部分から取ったルースもこちらで買い取ろう」
「本当ですか! 腕が鳴りますね!」
いつの間にか一緒に聞いていたケスターが会話に加わり、カリストも巻き込んで値段交渉が始まった。原石やルースの金額に関してもわからないことが多いエレンデルは、ひとまず内容を聞くのに必死になる。
あれやこれやと議論するうちに、このイヤリングにどの石を使うかなどの話がまとまった。
「お二人はヴィリディスにはいつまでいらっしゃるんですか?」
「あと五日の予定だ」
「さすがにその日数でお渡しするのは無理ですね。一石につき三週間ぐらいかかるので」
スサニタがさらりと言った言葉に、エレンデルは目を瞬かせる。
(えっ、嘘……ダイヤモンドのカットって、そんなに時間がかかるの?)
漠然と一週間ぐらい待てば全ての石が揃うような気がしていたが、見通しが甘かったらしい。
「エリーはどうしたい? 別に私たちはジュエリーブランドがなくて食べていけるから、君が待ちたいのなら一緒に待つよ」
「……そ、そうですね……どうしましょう……」
「ここで決めるのが難しければ、今日は一旦持ち帰って考えてみようか」
ケスターがそう言ってくれたので、エレンデルは彼の言葉に甘えることにした。
工房の面々に見送られ、護衛とともにホテルへと引き上げる。
(どうしよう……考えなしにも程があるわ……)
迎えの馬車の中で、エレンデルはすっかりしょげていた。
今までの自分は本物のジュエリーを作るための納期や、使う宝石の大きさの単位や、そもそも実在している宝石かどうかということはどうでもよかった。想像力の赴くままに絵を描き、それをケスターが形にしてくれると言うので、深く考えることなく任せることにしたのだ。
別に焦っているわけではないし、ピンクダイヤモンドが揃うまでに二ヶ月半ほどかかること自体が嫌なわけではない。ただただ自分の甘さに怒りが湧いている。
「エリー」
歯を食いしばって俯いていると、見かねたケスターから声をかけられた。
「ここには私と君しかいない。何か嫌だと感じたことがあれば、話してくれないかい?」
「…………さ、です」
「えっ?」
「自分の甘さです。ジュエリーのこと、少しも勉強していなくて、知らないことばかりで、情けなくて」
思っていたことを口に出すと、我慢していたはずの涙が決壊したようにこぼれ落ちていく。
「悔しいんです。スサニタは努力を重ねて、知識や技術をちゃんと身に付けて、だからこそ自信があるじゃないですか。でもわたしは? 家に引きこもって逃げてばかりで、なんにも努力してない……!」
自分には罵倒されたとしても揺らがない根拠がない。元の性格があるのだとしても、頑張っていないから自信がないのだと、エレンデルは思ってしまった。
「わたしも、ちゃんと自信が欲しいです」
「なるほど、そんな風に思っていたんだね」
ケスターは彼女が涙ながらに吐き出す考えを、ひとまずは否定せず聞いてくれる。
(なんて出来た人なのかしら。やっぱりわたしにはもったいないんだわ)
彼の優しさに甘えることを情けなく思いつつも、エレンデルは促されるままに心情を吐き出し続けた。
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