第10話 オルネラス宝石研磨工房
「わたしがデザイナーだと知った上でお仕事をしてくれる方って、本当にいるんでしょうか?」
エレンデルは不安な気持ちのまま、ケスターに疑問を投げかけた。
「宝石の研磨工程はともかく、石座を作って加工する工房は見つけてある」
「そうなんですか……?」
「君がデザインすることは話してあるし、向こうもそれで構わないと言っているよ。だから大丈夫」
彼女の無意識に少し丸まった背中をなでてながら、ケスターはさらにこう続ける。
「それに、カッティングだって良さそうな工房は見つかったじゃないか」
「……あっ、もしかして先ほどの……?」
ひどいことを言われても毅然としていた女職人の姿が思い浮かび、エレンデルは目を瞬かせた。
そうだ。そうだった。マイナス思考に陥って頭から飛んでしまっていたが、あの女性の所属する工房の長は、彼女を一人の職人として認めている。
「あの女性が所属している工房なら、デザイナーとしての君を頭ごなしに否定することはないよ」
そう言われると、少しずつ力が湧いてくるのを感じた。
「そう、ですよね……!」
「ああ。周辺で聞き込みをすれば見つかるだろう。……ただ、あの店主のような考えの人間は多い。不愉快な言葉も聞くはめになるとは思うが」
辛ければ護衛と一緒に待っていてもいい、とケスターは逃げ道を用意してくれたが、エレンデルは自分も行くことを決意した。
女性が宝飾品業界に携わることへの反対は、この後もいくらでも出てくるだろう。その度にいちいち逃げていたのでは何もできなくなる。
「いえ、その、わたしも行きます!」
「……そうか。だが、限界のときは教えてくれ」
「はい! ありがとうございます」
二人は気を取り直して、先ほどの女性がいる工房を探し始めた。
最初の店では〝女性の職人〟という言葉を出すだけで「その話はしたくありません」と言われた。次に訪れた場所でも同じ反応をされ、その次の店の主人は話をしてくれるかと思ったら、長々しく悪口を聞かされて終わる始末だ。
決意はしていたものの、あまりにも成果がないので心が折れそうになる。
「これ、うちの店長には内緒にしてくれます?」
聞き込みを始めて十三件目。小さな宝飾店の店員が、周りに他に人がいないのを確認してから、こっそりと情報を教えてくれた。
「僕も彼女の腕自体はいいと思うんですが、いかんせんね……」
「その工房自体とはお取引があるんですか?」
エレンデルが尋ねると、店員は頷いて肯定する。
「ええ。悪口を言う人も多いですが、あそこの工房長はすごく腕利きで有名なんですよ。数年前には国王から勲章を受けています」
「ほう? フェルナンデスとオルネラスのどちらだ?」
ケスターがピンときたらしく、具体的な名前を出した。
「オルネラスさんです」
「なるほど。彼の工房の場所はわかるか?」
一番聞きたかった質問を投げかけると、店員は再度周りの様子を伺ってから、小さな紙に地図を書いて手渡してくれる。
くれぐれも自分から教えられたことは内緒にしてくれ、と念を押されたので、エレンデルたちの側も秘密を守る約束をした。この店員に売り上げが付くよう、お礼を兼ねてピンキーリングも購入する。
店を出ると、早速教えてもらった場所に向かった。
オルネラスという人物の工房はやや奥まった場所にあるらしく、大通りを外れて小さな道に入っていく。地図に従って進むと、やがてこぢんまりとした建物にたどり着いた。
表通りの華やかな店とは違い、白壁とオレンジの屋根という、この地域の一般住宅のようなデザインだ。しかしドアには《オルネラス宝石研磨工房》と書かれたプレートが下がっており、ここが目的地だとはっきりわかる。
何回かノックを繰り返すと、まだ成人前の若い徒弟が出てきた。
『こんにちは。何かご用ですか?』
観光客慣れしている表通りの店員とは違い、ヴィリディス語で声をかけられる。
『こちらに女性の職人がいると聞いて、仕事の相談に来たんだ』
ケスターが彼と同じ言語で用件を述べると、徒弟の少年は大きな声で『えええええ?!』と叫んだ。
『あの、罵倒しに来たとかでなはく?』
『いいや、彼女に仕事を頼めるかどうか確かめたくてね』
事態を理解した徒弟は、見開いたまん丸な目のまま走り去っていった。
ドタバタと走ったからか叱られつつ、事情を必死に説明しているらしいボーイソプラノが聞こえてくる。
しばらくして、髭を無造作に伸ばした気難しそうな人物が奥から出てきた。
「アーリフティアの方々ですか?」
少し癖のあるアーリフティア語で尋ねられる。
「はい。こちらには買い付けに」
「さようでございましたか。私はこの工房の長をしております、カリスト・オルネラスと申します。失礼ですが、うちの職人のことはどこで?」
「先ほど立ち寄った店に売り込みに来たところを見かけたんだ」
ケスターが説明をすると、工房長——カリストは少し遠い目をした。
「ああ、それはなんとも……」
「私はこれからジュエリーブランドを立ち上げる予定なんだが、研磨職人を探していてね。失礼、中に入っても?」
玄関口では話したくない、という意思を伝えると、カリストは二人を中に入れてくれた。職人たちが宝石を削る音を聞きながら、応接室に通される。
「私のブランドのジュエリーは、全て私の妻がデザインすることになっているんだ」
そう言って、ケスターはスケッチブックを見せた。
「……これを、こちらの奥様が?」
「ああ。これは私が描いた模写だが、元の絵自体は彼女が描いている」
カリストは見せられた絵がエレンデルのものだと知ると、しばし黙ったままページをめくり始めた。時折唸りながら、最後までじっくりと眺める。
その姿を見ながら、エレンデルはごくりと唾を飲み込んだ。個展での客の反応について聞いた時のことを思い出し、緊張で手が湿ってくる。
「拝見させていただきました」
カリストはスケッチブックをエレンデルに手渡し、何度かゆっくりと頷いた。
「確かにいいデザインですね。再現できない色のものがあるのが気になりますが、既存の石を使えるものについては問題ないでしょう」
「ありがとうございます!」
身内以外から褒めてもらったことで、エレンデルは顔を綻ばせる。
『おい、スサニタを呼んでこい!』
立ち上がったカリストが控えていた徒弟に託けると、しばらくして一時間ほど前に見た人物がやってきた。
強めのカールが特徴の黒髪を一つに束ねた、飾り気のない女性だ。琥珀色の瞳には生気が満ちあふれていて、表情からは彼女の自信が伝わってくる。
「初めまして、宝石研磨職人のスサニタ・コロンです!」
目の前にやってきた女職人ことスサニタに手を差し出され、エレンデルは彼女と握手を交わした。
ざっくりとした用件は彼女にも伝えられたようで、嬉しさと意気込みが伝わってくる。
『お前、旦那様を差し置いて奥様に挨拶するのか?!』
『ほえ?! あっ、す、すみません! じゃなかった……』
母国語で謝ったことに気付き、スサニタは慌ててアーリフティア語で言い直した。
彼女のそそっかしさにカリストは頭を抱えていたが、怒鳴りつけることはないのを見ると、二人の関係が窺い知れる。
「申し訳ありません。子供の頃からそそっかしいもので……職人としての腕はピカイチなんですがね……あはは……」
「構わない。あまり気にしないでくれ」
冷や汗をかきながら弁明する彼に好感を抱いたようで、非礼を働かれたケスターも穏やかな態度で許した。
「デザインは奥様がやっていらっしゃると聞いたのですが、本当ですか?」
自分の師匠とケスターの会話を聞き、気持ちを切り替えたらしいスサニタが尋ねてくる。
あまりにもけろりとしているので、またカリストがあわあわしているが、エレンデルはそんな彼女のことが好きになれそうだと思った。さっぱりして付き合いやすそうな女性だ。
「ええ、そうよ。よかったらあなたも見てくれる?」
「ぜひ! 喜んで!」
スサニタはスケッチブックを受け取ると、食い入るように絵を眺め始めた。
感情が顔に出やすい性質らしく、わかりやすく驚いたり、うっとりした表情を浮かべたりと、彼女を見ているだけでも楽しい気持ちになる。
(わたしにもこの明るさがあったらいいのに)
落ち込みやすいエレンデルからすると、少々どころでなく羨ましい。女性が職人になるというのは非常に厳しい道だ。進むためにはこのくらいの性格でなくてはやっていけないのだろう。
とはいえ、どんなに頑張っても自分以外にはなれないので、エレンデルなりに少しずつでも前に進むしかない。まずはその第一歩として、空想の中にしかなかったジュエリーの一つを現実に送り出すのだ。
エレンデルは自分の手のひらをしばし見つめ、小さく口の中で「やればできるんだから」と呟いた。
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