第9話 思いもよらぬ出会い
ルタ・デ・ラス・ホヤスの街並みは、一言で言えば壮観だった。
大通りに立ち並ぶ店はどれも見栄えが良く、花々や蝶、海の生き物といったヴィリディスの定番のモチーフで彩られている。
温暖な気候で海に面したこの国では、建築にも自然物を模した飾りを付けるという。どこを見ても華やかで、エレンデルは不思議の国に迷い込んだような感覚に襲われた。
「いつまででも眺められそうです」
「はははっ、私が初めて来た時も同じことを思ったよ」
素直な感想が口から飛び出すと、ケスターが笑いながら同意してくれる。
先ほどまでのエレンデルなら恥ずかしさに頬を染めていたが、今の彼女は浮かれ切っていて、そんなことはどうでもよくなっていた。
「本当ですか? 気が合いますね!」
満面の笑みで答えると、ケスターは一瞬目を見開いた。そんなに驚くことなのか、とエレンデルが首を傾げると、彼は目を逸らし、何やら自分の胸元をぎゅっと掴む。
「あの、どうかしました?」
「……っ! いや、なんでもない!」
何かあったのかと考えて尋ねると、大袈裟な仕草で否定された。
(ふふっ、なんだかさっきとは逆だわ!)
彼の隙を見せたとも思える様子に、エレンデルは嬉しいような、胸の辺りがむずむずするような感触を覚える。それが何だかわからないまま、照れ隠しのように先へ進もうと促す彼に着いていった。
ややぎこちない、けれども不快ではない空気。終わってほしいような、そうでないような、よくわからない気持ちが頭の中を巡る。
そうして通りの三分の一まで進んだところで、ケスターが立ち止まった。
「この店に入ろう。いい
「は、はい!」
返事をしようとして声が裏返りかけ、一瞬ヒヤリとする。しかしどうにか誤魔化せたので、エレンデルは何事もないような顔をして店の中に入った。
扉をくぐると、猫足のテーブルがいくつかあり、その上にそれぞれ金の装飾が施された箱が置かれていた。蓋はガラス張りになっていて、一番近くにあった箱の中を覗いてみると、室内の灯りを反射して輝く宝石たちが並んでいるのが見える。
(本当に素晴らしい石ばかりじゃない! 色もカッティングもいいわ!)
ケスターに目配せをすると、彼は抱えていた小さなバッグの中からスケッチブックを取り出した。結婚式の夜、二人で最後の一枚を仕上げたあの模写集だ。
「最初はどれがいいかな? 実在する宝石は大概揃っていると思うから、最初は君の好みで決めようか」
「いいんですか?」
「もちろん」
エレンデルは一枚ずつゆっくりとページをめくり、赤やピンクを使った絵のところで手を止めた。
(女王陛下の赤い瞳と、殿下の淡いピンクの瞳。どちらの色も入ってるわ)
もしできるのならこのデザインで作ってみたいが、エレンデルの考えるジュエリーは大ぶりの石を使ったものが多い。ただでさえ貴重なピンクダイヤモンドをこのサイズで用意できるかと考えると、少し難しいような気もする。
眉間に皺を寄せて考え込んでいると、ケスターが話しかけてきた。
「何か悩んでいるようだが、どうしたんだい?」
「それが、その、このピンクの部分のことが気になって。わたしの理想ではで……キットの瞳みたいなピンクダイヤモンドなんですが、この大きさのルースというのは出てくるものでしょうか……」
「なるほど、そうだね……」
エレンデルが事情を説明すると、ケスターもすぐには答えを出せないのか、少し考え込むような仕草を見せる。
「確かにこれほどの大きさのピンクダイヤともなれば、この通りの店を全て回って一個見つかるかどうかだね」
「ですよね……」
思った通りの答えを聞いて、エレンデルは溜め息をついた。
「もしもピンクダイヤにこだわらなくていいなら、他にも似たような色合いの石はあると思う。が、それは嫌だろう?」
「はい。微妙なニュアンスの違いかもしれませんが、わたしの思う色と合致するのはピンクダイヤなので」
どうしたものかと考え込んでいると、他の客を見送った店主が近づいてきた。
「お客様、何かお探しの宝石がございますか?」
「ああ。一センチ以上のピンクダイヤモンドとルビーを二個ずつ。ガーネットやサファイアでピンクのものがあればそれも見たい」
ケスターが絵を見ながら答えると、案の定、店主は申し訳そうな顔をする。
「ピンクダイヤ以外でしたらお店できるのですが……」
「やはり難しいか」
「はい。ピンクダイヤは出てくること自体が稀ですので」
一同に気まずい雰囲気が流れてすぐに、ドアベルがチリンと鳴った。シンプルなワンピースをきた女性が一人で入ってきたので、エレンデルは少し目を丸くした。
アーリフティアと同様に、西方諸国では女性が一人で宝石やドレスなどを見に来ることは珍しい。大概こういった店に入るのは男性のみで、女性はたまに男性の同伴者として訪れる程度だ。
(宝石が好きなのかしら。話したら気が合うかもしれないわ)
エレンデルが勝手に仲間意識を抱いていると、すぐ横にいた店主が顔を歪ませるのが見え、びくりと飛び上がりそうになる。
『お前! 何をしに来た!』
店主は大股でドアに近づくと、ヴィリディス語で女性を怒鳴りつけた。
『女のカットした宝石なんぞ店に並べられるわけないって言ったよな? 帰れ、このど阿呆!』
『工房長はあたしのことも職人として認めてくださってます! これならお客様にお出しできると言ってくださいました!』
罵声を浴びせられたにもかかわらず、女性は一歩も引かない。
王立学院時代に多言語を学んでいたエレンデルには、彼らの会話の内容がわかってしまった。
(すごい……彼女は強い人なのね……)
エレンデルは彼女の気丈な姿に目が釘付けになった。自分がここまで言われたら萎縮して逃げ帰ってもおかしくないのに、この女性は勝ち気な表情を崩さず、あまつさえ店主に言い返してもいる。
『口答えをするな! お前んとこの工房長は常識知らずだが、俺は違う。俺の店ではお前のカットした宝石は扱わん! 帰れ!』
『なんですって?! あたしのことは何度でも馬鹿にしてくれて構いませんけど、工房長を侮辱するのは許せません! 謝ってください!』
『お前がいなければ工房長は侮辱されないだろうが! 女なら黙って家庭に入って、夫に従って子を産み育てるもんだ! いい加減にしろ、この出来損ない!』
口論はその後しばらく続いたが、最終的に店主が女性を無理やり外に追い出すことで終わりを迎えた。
(やっぱりだめなのね。わかってはいたけど、女がこの業界に携わることは歓迎されてないって思い知らされた感じがする)
彼は今のところエレンデルを〝夫に連れられてきただけの妻〟だと思っているが、実はデザイナーとして来ていることを知ったらどんな顔をするのだろうか。
あの女職人と同じように嫌悪を向けられる自分を想像すると、ほんの少し前までうきうきしていた気分が沈んでいくのを感じる。店主にとっては彼女も、自分も、理解し得ない招かれざる客なのだ。
「ああ、お客様。お騒がせしてしまって申し訳ありません。全くけしからん女でして」
店主はこちらのほうを振り返り、揉み手で近づいてきた。自分は真っ当な人間だと言わんばかりに、先ほどの女性の悪口をベラベラと喋りだす。
一般的な客であれば同調するのかもしれないが、エレンデルはそれに当てはまらない。そっと隣にいる夫の姿を盗み見れば、彼も静かに嫌悪の眼差しを浮かべていた。
「店主、もういい」
ケスターが口を開くと、その冷たい表情を見た店主が慌て出す。
「ど、どういたしましたか?!」
「私は愛妻家であり、大切な妹を持つ兄でもある。女性を怒鳴りつけるような男はどうにも好かん」
「え、ええっと、どういうことでしょうか……?」
「君の言動を不快に感じたということだ。ここには二度と来ない」
そう言うなり、ケスターはエレンデルの腰を抱いて歩き出した。店主が何かを言い募る姿を一顧だにせず、さっさと外に出てしまう。
(えっ、いいの? ここが気に入ってたんじゃ……)
彼の表情は終始険しく、エレンデルは彼がここまで怒っているとは思わず驚いた。
「彼はだめだ」
ケスターはどこへ行くでもなく歩き続けていたが、ふと足を止めるとぽつりと呟く。
「これから付き合っていくことは考えられない。きっとデザイナーが君だと知ったら、あんなふうな態度になる」
「そうですね。でもキットには悪い態度は取らないのでは……」
「いいや、あの職人のところの工房長も馬鹿にしていただろう? きっと私のことも散々に言うよ」
エレンデルは内心、一介の工房長と元国王とでは対応も変わってくるのではないかと思ったが、それを言うのは論点がずれる気がしてやめた。
(わたしをメインデザイナーにする話、やっぱり本当に本気なのね)
なんと恵まれた環境なのかと嬉しく思うと同時に、前途に立ちはだかる障害のことを思うと怖くなる。
エレンデルが知る中で、女性が芸術やファッションなどに携わることに好意的なのは
王族と結婚し、ケスターから肯定され続けて、エレンデルの心には案外なんとかなるのではないかという楽観的な気持ちも芽生えていた。けれども今日は、そんなことはない、侮るなと、現実を強く突きつけられたような気がした。
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