間話 春の夜明けの空

 本人はまるで自覚をしていないが、今日の彼女は誰が見ても清らかで美しい花嫁だと思う。

 ケスターが特に魅力的だと感じるのは、春の夜明けの空を彷彿とさせる青紫の双眸だ。

 サファイアともアメシストとも違う、どこにも存在しない艶やかなカボションカットの宝石のような一対の瞳。それは濃く長い金のまつ毛で縁取られ、あたかも美しい指輪を二つ並べたかのように素晴らしかった。


(君の瞳は、私が見た一番美しい空の色と同じなんだよ)


 王位を妹に譲り渡した翌日、一睡もできずに迎えた夜明けのことを思い出す。

 疲れと興奮、寝不足のせいで襲ってくる頭痛の中で、ケスターは空が明るくなっていく様子をただただ眺めていた。

 身体は猛烈に不快感を訴えているのに、心は妙に清々しい。雲一つない空をバルコニーから見つめ続けるうちに、唐突に赦されたような気がした。


 それから約一年。ケスターは別の形でを見つけた。

 ある時、自他共に認める宝石好きである彼は、お忍びで駆け出しの女性画家の個展を訪れる。本人の父親とは長い付き合いで、彼から彼女が架空のジュエリーをテーマに作品作りをしていることを聞いていたからだ。


『ほう。君の娘もジュエリーが好きなのか』

『ええ、そうなのです。親の欲目かもしれませんが、あの子はセンスがありましてね。実にいい絵を描くんですよ』


 そう答えた壮年の男は、娘のことが可愛くて仕方がないという顔をしていた。

 彼女——エレンデルの過去に何があったかは、その結果どのような生活を送ることになったかは、ケスターも情報としては知っている。


(普通の貴族の娘なら、とうの昔に死を選んでいるだろう。彼女は婚約者に恵まれなかったが、家族には恵まれていたようだね)


 歳の離れた妹を成人まで育てたケスターとしては、一般的な女性の扱いには思うところも多い。

 もし妹が王家ではなく、貴族や裕福な平民の娘として生まれていたら、どんな人生を送っていたのだろうか。考えるだけで恐ろしくなった。

 女王という立場は王配の傀儡でしかないが、少なくとも国の象徴として敬意を受けることはできる。しかし女王にもなれない普通の女性には、ただ一人の人間としての敬意すら払われないのだ。

 

『——もしよろしければ、殿下も個展にいらっしゃいませんか?』

  

 彼が娘のいいところを饒舌に語るのを聞いていると、個展に来ないかと誘われた。

 エレンデル本人は会場には来ないため、本人から解説を聞くことはできないようだが、それでもケスターの直感はこの個展に行くべきだと告げている。


『私でよければ見に行かせてもらおう。楽しみにしているよ』


 そうして当日画廊のドアをくぐり、最初の絵を見ただけで、ケスターの心は激しく揺さぶられた。

 見たことのないデザインのジュエリー。そこにあしらわれる、素晴らしい宝石たち。何よりも心を惹かれたのは、あの日の朝の空を思わせる、世界のどこにもない青紫の宝石だった——。


「エレンデル」


 ケスターは隣で顔を強張らせている彼女の名前を呼んだ。

 するとエレンデルは顔を動かしていいのか迷った末、一生懸命に横目で彼を見る。


(前の婚約者とやらは、どうして彼女を選ばなかったんだろうね。可愛いところがたくさんあるのに)


 彼女を捨てた男に優越感のようなものを感じながら、まずは彼女の緊張をどうしたら解せるのかを考えた。


「綺麗だね。そのドレス、リメイクして正解だったよ」


 耳元に口を近づけ、そっと褒め言葉を囁くと、エレンデルの頬がブワッと音がしそうなくらい真っ赤に染まった。目がうろうろと泳ぎ、どう返そうか迷っているのか、はくはくと口を小さく開け閉めする。

 緊張して青くなっているよりは、こうやって照れたり、愛らしい戸惑いを見せてくれたほうがいい。


(きっと——いや必ず、君は私と結婚してよかったと思うようになるよ)


 心を落ち着かせようと必死な花嫁を見ながら、ケスターは決意を新たにした。

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