第1話 何度も見る夢

 ふと気が付けば、そこは見知った大広間だった。

 金の装飾が施された鏡張りの壁に、異国の神殿を思わせる白亜の柱。天井には初代女王が建国するまでの物語が絵として描かれ、水晶でできた巨大なシャンデリアからやわらかな光が降ってくる。

 二年前に焼失したはずの場所で、エレンデル・ポートマンは途方に暮れていた。

 

(——またこの夢? もう、勘弁してよ!)


 どうせ夢なのだからと大声で喚こうとしたが、なぜか口が動くだけで声は出ない。声を失ったかのように、息を吐く音が聞こえるだけだ。


(夢だとわかっていれば内容をコントロールできるだぁぅなんて、一体誰が言い出したのかしら? 何度やっても全然できないじゃない!)


 早く終われ、違う場面になれと心の中で念じてみるが、自分の夢のくせにまるで言うことを聞いてくれない。

 何かできることはないかとじたばたしていると、今日は身体の向きを変えることができた。曇りなく磨き上げられた鏡には、淡いエメラルドグリーンのドレスを着た少女の姿が映し出されている。


(ああ、このドレス、こうして見るとやっぱり綺麗だわ……)


 現実世界のエレンデルは、もう四年もこのドレスを着ていない。それどころか、夢の元になった最悪の出来事を思い起こさせるという理由で、ずっとクローゼットにしまい込んできた。

 別に嫌いになったわけではないし、服に罪がないことはわかっている。もう一度着てみようと思ったことだってある。けれども、開かずのクローゼットの取っ手に手を触れた瞬間、手が勝手に震え出し、やがて息の仕方すらわからなくなるのだ。


(人間って不思議よね。あんなに思い入れがあったはずなのに)

 

 なぜか夢の中では冷静に見られるので、エレンデルは自分がこだわり抜いて仕立ててもらったドレスをまじまじと眺めた。

 肩を出したデザインで、高い位置で絞られたウエスト部分と、大きく膨らんだスカート部分が特徴だ。

 お気に入りの絵画に描かれた南国の海の色をイメージして選んだ生地には、ペールブルーの糸で波のような模様の刺繍が施されている。縫い付けられたガラスビーズは光を反射してきらきらと輝き、歩くと裾の部分から砂浜のような金色の生地が見えるようになっていた。


(こんなにドレスにこだわった女なんて、きっとこの国ではわたししかいないわね)

 

 貴族の女という生き物は、ドレスやジュエリー、ひいては下着までも自分で選ぶことはない。男に与えられたもので身を飾る従順なアクセサリーであることとが求められるからだ。

 しかし、エレンデルの婚約者であった男爵令息は、彼女自身に対してあまりにも興味がなかった。昔は一応申し訳程度の既製品を贈ってくれたのだが、最終学年に上がった頃からは予算だけ渡され、適当になんとかしてくれと言われている。


 今考えても、それは無茶な注文だった。子供の頃からファッションのあれこれを叩き込まれている男性とは違い、令嬢たちはあえて知識から遠ざけられて育つのだ。いきなりやってみろと言われて簡単にできるわけがない。

 当時の彼女はそのことを誰にも相談できず、父親の書斎に忍び込んではファッションの本を読み漁った。最初は嫌で嫌で仕方がなかったが、やってみれば意外と楽しいものである。


 そんなことをしみじみと考えていると、今度は薬指を飾るありふれたデザインの指輪が目に入った。婚約者からもらったものの中で、エレンデルが一番忌々しいと思っていた代物だ。

 指輪についての嫌な記憶が頭をよぎった瞬間、顔のない三人の少年が目の前に現れた。エレンデルが驚いて固まっていると、あり得ない速度で彼女の周りを回り始める。


「おい、あの指輪って既製品だよなァ?」

「俺もそう思ったんだよ! やっぱりそうか!」

「仮にも爵位のある家に生まれた人間が、既製品の婚約指輪をしているとは。みっともない女だな」

 

 男のくせにキンキンした声が耳の中に鳴り響き、あまりの不快さに顔を顰める。


「おい、貧乏女ァ! いくらドレスを綺麗に取り繕っても、指輪が安物じゃ意味ないんだよ!」

「近寄らないほうがいいんじゃないか? センスの悪さがうつったら困るだろう?」

「違いないな!」


 ギャハギャハと笑う彼らに、エレンデルの苛立ちは最高潮に達した。


「うるさい! みっともないのはあなたたちのほうよ!」


 ちゃんと声が出たことに驚いたと同時に、三人の少年の輪郭が歪みだす。そのままドロリと解けると、組み細工の床に吸収された。


(うええええええ、気持ち悪い!)

 

 込み上げてくる吐き気を堪えていると、今度は背後から二人分の足音が聞こえてきた。今夜もまたこの瞬間がやってきたらしい。

 すっかりグロッキーになりながら振り向くと、揃いの衣装を身に付け、腕を組んだ男女がこちらに近づいてきていた。 

 男のほうはエレンデルの婚約者だったホーレス、そしてもう一人は、のちに彼の妻となった伯爵家の一人娘・ポピーだ。ホーレスはエレンデルと目が合うと、いかにも高圧的な表情を浮かべて口を開いた。


「エレンデル・ポートマン、お前との婚約を破棄する!」


 その声は会場中に響き渡り、周囲から話し声が消える。

 ホーレスたちとエレンデルの間で始まった修羅場に、会場中から視線が集まった。この時点で誰かが止めに入ればまだよかったのだが、間に入ろうという人間は誰もいない。


「俺は男を立てる気のない女とは結婚しない!」

「ホーレス、わたしはそんなつもりじゃ……」

「黙れ! お前がどう思おうが、お前は俺を立てていなかった!」


 ホーレスはエレンデルの言葉を遮り、一方的に怒鳴りつけた。


「本当に俺を立てる気があるなら、俺より上の成績にならないよう調整するべきだよな? だが、お前はそうしなかった! 俺に勝ってさぞや嬉しかったんだろうな!」

「そんなこと……そんなことないわ……」

「そんなことはある!!」

 

 何度聞いても筋が通らないし、実に馬鹿馬鹿しい。口が勝手に動いておどおどとしたセリフを吐いているが、エレンデルの意識は呆れ返っていた。

 もし過去に戻れるとしたら、もう少し毅然とした態度を取るだろう。しおらしくしたところで関係を修復できるわけではないし、したくもない。

 とはいえ、今夜も制御できないエレンデルの顔は勝手に俯き、目から涙がこぼれ落ちていく。


(——ああ、もう。嫌いだわ。こんな弱いわたしなんて)

 

 くすくすと笑う声が大波のように押し寄せてきたと思えば、足元がみるみるうちに砂に変わり始めた。砂はエレンデルを中心に渦を巻いて流れ始め、彼女の身体を下へ下へと容赦なく飲み込んでしまう。

 必死にもがきながら顔を上げると、エレンデルを貶めて満足したらしい二人は、衆目の中で熱い口づけを交わしていた。誰も彼も、エレンデルに手を差し伸べることはない。

 やがて砂の中に沈みきると、彼女の視界は真っ暗になった。徐々に気が遠くなり、夢の世界から現実の世界へと覚醒していく。


 そっと目を開ければ、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 寝転がったままベッドの天蓋を眺めていると、すっかり聞きなれた声が聞こえた。年下の幼馴染でもある侍女・ニコールが起こしに来てくれたのだ。

 向日葵のように朗らかな彼女の笑顔を見て、エレンデルはほっと息をついた。ニコールの顔を見ると、ちゃんと現実に戻ってきたことが実感できる。

 

「おはようございます、お嬢様。今日は夢見、どうでした?」

「けっこう最悪」

「またあれですか。一昨日は大波に押し流されてましたけど、今日は?」

「足元が流砂に変わって飲み込まれたわ」


 ゆっくりと身を起こすと、ぐっと伸びをしてからベッドを降りる。

 きっと今日も、いつもと変わらない一日を過ごすのだろう。まずは寝汗でべたついた身体を清めるべく、エレンデルは浴室に向かって歩き始めた。

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