第15話 約束の指切り
れおなの突然の来訪に、ユマは呆気に取られていた。
どう説明したものか……これは非常にまずい。
今まで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ってしまう可能性もある。
それほどの緊急事態だ。
「は、え、あ、どうしてユマがここにいるわけ?」
れおなは俺とユマの顔を交互に見ながら、不思議そうに首を傾げた。
「それはこっちの台詞だよ? れおなはいつの間に進くんのお部屋にピンポンを押せるくらい親しくなったの?」
ユマはにっこりと笑いながられおなに尋ねる。
穏やかな口調だが、どこか圧を感じるような雰囲気だ。
笑顔なのに全然目が笑ってない……怖っ。
俺は思わず身震いする。
「ちょーっと、ちょーっと、進。あんたの最推しがユマだってことは知ってるけど、いくらなんでもこれは異常事態よ? この私に隠れてユマと逢い引きするなんて。まぁ……そうなんじゃないかな、とは思ってたけど」
れおなはじとーっとした目で俺を睨む。
その目は完全に、裏切り者、と言っているようだった。
もうお前は黙れ。
「放っておいてってどういうこと? 二人はいつから知り合いになったのかな? どういう関係なのかな? もしかして……二人は……付き合ってるの……?」
ユマが恐る恐る、という様子で尋ねる。
その瞳には光が灯ってない。
れおなは勝ち誇るように笑みを浮かべて答える。
「まあお茶を飲む関係よね、進とは。てか、どうしてもっと早く教えてくれなかったのよ。ユマも進と仲良くやってたんでしょ。進の部屋から出てくるところ、見ちゃったのよね。でもそんな話、全然聞かせてなかったし。あ、もしかして今まで隠してたとか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「んー?」
隠してたとか、そういうんじゃない。
ユマとは長い付き合いだが、正確に言うと今日がプライベートで初めての対面だ。それを説明したところでれおなに理解できるとは思えない。
問題は俺がれおなと会っていたということが、ユマにバレてしまったということだ。
こればかりはどうやっても誤魔化せない。
俺は絶望しながらユマの反応を窺った。
彼女はじっと俺とれおなの顔を見比べながら、肩を震わせていた。
その表情は明らかにショックを受けているようにしか見えなかった。
「聞いてくれユマ。れおなとはオフで知り合って、その時にちょっと話をしただけだ。特別な関係とかは一切ない」
「ホントに……? でも、れおなはアイドルだよ? オフの時に知り合ったってそんな偶然ある?」
「確かに偶然も偶然だけど、嘘はついてない」
「そうなの?」
「ちょっとちょっとお二人さん、私を無視しないでほしいんだけど」
れおなが俺たちの間に割って入ってくる。
正直今だけは空気を読んでほしい。
お前のせいでこんなことになってるんだぞ? 俺は非難めいた視線をれおなに送るが、全く動じていないようだ。
「ユマ、私は進に二番目でもいいって言ったわ。でもね、ライバルを前にして黙っていられるほど、私はいい子じゃない。私は進の一番になりたいの。ユマを超えてね」
れおなは自信たっぷりにそう言って、ニッと笑う。
だからお前はもう帰ってくれ!
これ以上事態をややこしくしないでくれよ!
「なるほどね、そういうことかぁ。よくわかったよ進くん」
な、何がわかったんだ、ユマ。
「正直、まったく話が見えてこないけど、進くんにとっての一番はわたしなんだね。その事実だけでわたしはもう満足だよ」
ユマは納得したように頷くと、立ち上がってれおなに向き直る。
そして満面の笑みで続けた。
「ごめんね、れおな。れおなはわたしの一番の友達だけど、進くんだけは譲れないんだぁ。わかってくれる?」
「ふん、私だって負けるつもりはさらさらないわ。ユマのことは大好きだけど、進は私のものなんだから」
……なんだ、何が起きてるんだ。
俺は一人頭を抱えることしかできない。
ユマとれおなはバチバチに睨み合いながらも、微笑み合っている。
笑い合ってるのに、笑ってない。
なんだこれは。
修羅場ってやつか?
ユマの天まで昇るような想いが、れおなの自分に領域に引きずり込む謎の力が、この状況を生みだしたのか?
俺はもうわけがわからなくて、天井を見上げることしかできない。
正直言うと、ユマのこれまでの言動を考えたら、ライバル(?)となりうる存在に武力行使する可能性もあった。
あるいは俺に対して監禁、束縛を始める可能性だって否定はできない。
だからこそ、この少年漫画的修羅場の空気感は想像すらしなかった。
「そもそもれおなは二番でいいって進くんに申し出たんだよね? なのに進くんの一番になりたいって言うのはおかしいんじゃないかな。それにね、わたし進くんに箱推しをさせるつもりはないから」
「傲慢ね、ユマ。だけどすでに後者の選択肢は排除されてるの。あそこにある、ラバーストラップがその証拠だわ」
それはお前が強引に押し付けてきたものだろうが! まあ、これぐらいならいいか……と、部屋に飾ったのは俺なんだけど。
「わたし一色のこの部屋に、あれ一つだけあっても意味がないと思うけど?」
「1か100かはさほど重要なことじゃないわ。0を1にするのが大切なの」
「ふふっ、じゃあどっちが進くんの最高の推しになれるか勝負だね」
「望むところよ」
二人は固く手を握り合った。
「あ、あのさ、二人とも……」
「進くんは黙ってて」
「進は口出ししないで」
俺は口を閉ざすしかなかった。
今は何を言っても火に油だ。
「まず一つ聞きたいんだけど、れおなはいつ進くんのことを好きになったの?」
ユマが穏やかな口調で尋ねる。
れおなは待ってましたとばかりに目を輝かせる。
「聞きたい? 聞きたーい? しょうがないなあ、そこまで言うなら教えてあげるしかないわね!」
れおなは胸を張ると、あの時のことを話し始めた。
「でね、私がナンパされてるとこに進が偶然通りかかってね。それで……助けられちゃったわけよ。まあ進は喧嘩にはボロ負けしてたけどね」
れおなは楽しそうに語り続ける。
ユマはそれを聞いて、「やっぱり進くんは優しいなぁ」としきりに頷いている。
なんだ、なんだこれは。
あの厄介なれおなが長話してるってのに、ユマの好感度がどんどん上昇していってる気がする。
「そして今では、定期的に進の家でお茶を飲むくらいの仲にはなったというわけよ」
……そのオチはいらん。
「わたしだって進くんの家に通ってるし、ちょっと散らかったりしてるときはお片づけをしたりしてるよ」
ユマは誇らしそうに胸を張る。
そして、はっと口許を手で押さえる。
誤爆った……!
俺の前でストーカー行為を認めたのも同然だ。
「な、なによそれ。つまりユマはもう通い妻ポジってこと? 進も満更でもないわけ?」
バカだけがこの事態に気づいていない。だが当のユマはというと、俺の顔を下から覗き込むようにして、あわあわと焦っていた。
「ち、違うの、進くん。あのね、誤解しないでね。これはストーカーとかじゃなくて、わたしが勝手に進くんの家に通ってるだけというか………」
ユマは涙目になりながら弁明するが、逆効果だ。
れおなはショックと言わんばかりに「通い妻、通い妻」と連呼している。
よ、よし、れおなには聞こえてない。
これはチャンスだ。
「ユマ。聞いてくれ」
「し、進くん?」
「ストーカーだとか、通い妻だとか、そんなのはどうでもいいんだ。俺はユマを推し続けると決めた。だから、もう何も言わなくていい。俺は何があってもユマの味方だ」
俺は一息でまくし立てると、ユマの瞳をじっと見つめる。ユマは顔を真っ赤にしながら、どこか驚いたように俺の顔をじっと見つめていた。
「嫌いに……ならない? わたしのこと、ずっと推しでいてくれる?」
「当たり前だ」
俺は力強く頷いて、ユマに向け小指を立てて見せた。
「さっきの続き。今度は俺から、約束させてほしい」
「うん」
俺の言葉に、ユマは目に涙を浮かべながら頷いてくれた。
そして俺の指に、自分の指を絡ませてくる。
それから俺とユマは、指を絡ませ合ったまま、微笑み合った。まるで二人だけの世界を作っているかのようだった。
俺たちを引き離そうとする者はいなかった……いや、いた。
「ちょっとー! なーに二人だけの世界作ってるわけー? 私もいること忘れてなーいー?」
れおなが頬を膨らませて不満を露わにする。
確かに、俺とユマだけの世界にどっぷり浸かりすぎていたようだ。れおなに睨まれた俺は、慌てて指をほどいて、ユマから離れる。ユマは名残惜しそうにしていたが、すぐに我に返ったようだった。
「とにかく二人とも、もう遅い。下まで送るから今日はタクシーで帰ってくれ」
俺は強引に話題を切り替える。
というか、国民定アイドルがこんな時間に、二人もうちに長居するのはまずい。
れおなは不服そうだったが、ユマは素直に頷いてくれた。
それから俺は三人で一階まで降り、二人をタクシーに乗り込ませ、踵を返した。
その時だった。
ばさっ。
な、なんだ。
暗い。
何かを被せられたのか?
「間宮進アルね? おまえを探しに来たアルよ。大人しくしろ」
女の声。
物凄い力で引っ張られ、車らしきものの中に引きずり込まれる。
ドアが閉まる音。
車が急発進する音。
あまりの展開に、脳が追いつかない。
それから俺はしばらく、車の後部座席で目隠しをされながら、手足を縛られていた。
いったいどうなっているんだ……。
意識が闇に落ちていく中、そんなことを考える。
何が起きているのか、全くわからない。
(狙われたのは俺? それとも……。……ユマとれおなは無事なのか)
そして、俺はそのまま深い眠りに落ちていった。
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