第3話 マンションの一室で愛を叫ぶ

「……聞こえてる、聞こえてるぞユマ」


 俺は息を殺しながら壁に耳を押し当てて、ユマの独り言を聞いていた。


 ど、動画……?

 既成事実?


 色んなことがいっぺんに起こりすぎて、混乱に混乱を重ねる。


 しかしハッキリしてることは、……あのユマが、国民的アイドルのユマが……俺との約束を覚えていてくれた、ということだ。


 確かにあの時、お願いを聞くと言った。

 

 まさかそれが結婚だなんて、思いもしなかったけど……。


 だって俺だぞ? よく考えてみて欲しい。

 どこにでもいる、平凡な高校二年生の男子だ。

 自分で言うのもアレだが、顔は中の下くらいだと思うし、中肉中背の身長も平均値、成績だって普通で運動神経は普通以下。


 アイドルと付き合う条件としては、少し……いや、かなり難があると思うのだ。

 だがユマが約束を覚えていてくれたことに心の底から感謝したくなった。


 もうダメだと思った。

 推しのストーカー疑惑に、盗撮疑惑まで浮上してしまったからだ。


 いつの間にカメラを仕掛けられたかもわからない。


 もう彼女と向き合えないかと思った。握手会にも行けなくなる、そう思った。


 でも、ユマが約束を覚えててくれたって事実が、嬉しくてたまらない。

 ……とにかく、まだ……まだ、俺はファンで居続けられる。

 

 そう思い込むことにした。



 状況を整理しろ、俺。

 


 状況その1 

 ユマが隣の部屋にいる。


 状況その2 

 壁の穴は塞がれた。


 状況その3 

 ユマは動画を戻して、俺が穴を覗いたかどうかを確認している。


 状況その4 

 俺たちは愛しあっている。多分?


 状況その5 

 その3の事実が発覚した場合、ユマは約束を反故にして、多分俺のことを監禁する。既成事実を作るために。


 状況その6

 ユマは重度のストーカー病にかかっている可能性がある。だからその5は確実に実行してくると思う。



 でも、さっきの独り言を聞いてる限りでは……ユマはあの『約束』を果たそうとしてくれている。

 

 俺だって、推しのアイドルが日本一になるところが見たい。

 俺なんかの為に、アイドルをやめてほしくない。


 好きだから。ファンだから。


 なら俺はどうする?


 今しなければならないことは、状況その3を止めること。

 俺は――穴なんか覗いてないって、思わせること。


 どうする?

 どうすれば……もう、この手しかない。


 多分、推しにすっごい恥ずかしいところを見られることに、なるけど……!

 一か八か、賭けるしかない。


 俺はズボンとパンツを脱ぎ捨てて、抱き枕に飛びついた。


「ユマぁぁぁぁぁああああああああ!! 愛してるぅぅぅううううッ!! 結婚してくれぇえええ!! 今お前はどこにいるんだ!! こんなに……好きなのに、想いが届かないのが苦しいイイ!! ユマぁああ!!」


 抱き枕を抱きしめ、俺は思いつく限りの愛の告白を喚き散らした。

 壁の向こう側にいる推しへと届けと言わんばかりに……!



 ★



(はうぅうっ……進くんの……声が聞こえる)


 動画を停止させて、ユマは思わず息を押し殺す。


(今、進くんが、お隣の部屋で……わたしを呼んでる……? あんな大きな声で? どこにいるのって……つまり、穴には気づいてない……ぅぅぅ……進くん、進くん、届いてるよ、ここにいるよ……ど、どうしよう、音を立てたらわたしがここにいるってバレちゃうかも……)


 ストーカー疑惑を持たれて、嫌われるのが怖かった。

 だが、バレてない。


 もしバレていたら、隣にがいるのにも関わらず、進くんはあんなに大きな声で愛を叫んだりしない。


 だからまだ、大丈夫なんだ。


 ユマは、物音を最小限に抑えながら、ディスプレイにを表示させる。


(そ、そんなぁ♡わ、わたしに向かって、激しく……そんなに激しく腰をふっちゃ……だ、ダメぇぇえッ♡)


 ユマの顔が、蕩ける。


(ああん、だめ、こんなの見せられて正気でいられるわけないよぉ♡♡)


 すぐにでも達したい衝動に駆られるが、これ以上の危険は犯せない。

 ユマは歯を食いしばって、パソコンの電源を切る。


 この部屋は進くんを監視するために、親に借りてもらった部屋で、住まい、という訳ではない。

 長居をすれば接触する可能性もあるわけで、すぐにでもここを出ないといけない。


 でも、もう少しだけ……推しの気配を感じていたかった。

 

(ぅぅぅぅ……シたい、でもダメ、でもシたい……でも、今日はこれで我慢しよぅ。自宅には持ち込まないって決めたけど、今日だけは特別。家に帰って……この録画した動画で、一人で……し、シよう……)


 ディスクケースを取り出し、はぁ、はぁ、と切なげな顔でため息を吐くユマ。

 彼女は進の叫び声に煽られて、軽く達してしまい、下着をぐっしょりと濡らしてしまっていた。


 その状態でパジャマを脱ぎ、よそ行きの外着に着替えていく。


 帽子をかぶり、マスクをし、サングラスを装着すれば、誰にも気づかれない完璧な変装の完成だ。


 ユマはこっそりと玄関口から外廊下に出て――進くんの部屋、404号室の前を横切っていく。


「ユマぁぁぁぁぁああああああああ!! 愛してるぅぅぅううううッ!!」


 扉越しでも届くほどの大音量に、ユマはつい、達して、腰を抜かしそうになってしまう。

 しかしここで倒れてしまうわけにはいかない。


(えへ……えへへへへへ……♡♡♡ ……い、イッちゃった……ぁ♡)


 ユマは手すりに掴まりながら、なんとか体勢を立て直し、歩き出した。

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