第2話 ノゾキアナの向こう側
う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ……!
「わ、わ……ァヮヮヮ……な、ななな……なんじゃ、こりゃぁぁぁ……」
こ、これは、マズイ。非常にマズい……。
俺だ。
俺が沢山いる。
お隣さんの部屋の天井、壁一面に、びっしりと俺の顔写真が貼り付けられている。付け加えるのであれば、部屋の至るところに、デカデカとした文字で【進LOVE】と書かれた紙が。
無論、こんな小さな穴から見えるのは、ほんの一部だけなのだが……
控えめに言って闇を感じてしまうほどの愛の形がそこにはあった。
――恐怖のストーカー部屋だ……ッ!
ゾワワワっと背筋を震わせながら、後ずさる。
「……な、なんだコレ。なんだよ……コレ」
怖い、怖すぎる。
俺が推しのポスターを貼ってるように、俺の写真が部屋に飾られてるってか?
ふ、ふざけんな……!
俺はアイドルでもなんでもない。
ただの
ど、どうする……どうすればいい、いっそのことこっちから乗り込むか?
……いや、待て早まるな。こういう手合いは、刺激しない方がいいと聞いたことがあるぞ。
落ち着け。
あの写真は確実に盗撮したものだ。警察に相談して、お隣さんを追い出せばいいのだ。
いや待て、果たしてそれは正解なのだろうか?
もしもだ、もしも厳重注意とかで済んじゃったら、さらにエスカレートする可能性もある。
それは、ひっじょー、にマズイ。
考えろ。
考えろ。
あっ。
お隣さんは壁に穴をあけている。
これって……犯ざ……でもないか、罰金で済む問題のような気もしてきた。
「ふぅ……ふぅぅぅぅ……お、落ち着け。落ち着け」
俺がこのまま黙っていれば……それで全てが丸く収まるのでは?
ダメだダメダメ。
弱腰にもほどがあるだろ。なぜ俺の方が退かねばならない。盗撮されてるんだぞ。しかも、その盗撮魔が隣に住んでるんだぞ。
と、とにかく、まずは隣に住んでる人間がどんやつなのかを把握しないと。ムキムキの女の人だったらどうしよう。いやそもそも相手は異性なのか、はたまた同性なのか……
もう一度、目を凝らして穴の向こう側を覗いてみる。
しばらくすると、バスタオルを胸に巻いた、一人の人影が映し出され――
そ
ん
な
バ
カ
な
俺の『推し』がお隣に住んでて。
俺のストーカーをやってる、なんてことはあっちゃいけない……あっちゃいけないんだ。
あっちゃいけないんだよおおおおおおおおおおおおおおお!
★
シャワーを浴びたあと、濡れた髪をタオルで拭きながら自室に戻った真宮寺ユマは、壁一面に貼られた『進くんの顔写真』を見渡しながら、上機嫌に頷く。
その眼差しは熱っぽく、まるで恋する乙女のようだ。
これらすべてが〝推し〟である進くんの写真である。無論、中には目線が合っていないものも多数あり……それらはすべて望遠レンズで撮影したものだ。
彼との『距離感』が如実にわかる写真と言えるだろう。
「うふふ……、
ユマは、可愛らしいピンクのパジャマに袖を通すと、うっとりとした表情でベッドにダイブした。
「あ……進くんに囲まれると……興奮しちゃう……」
がさごそ、もぞもぞ。
さっきシたばかりだというのに、パジャマの内側に手を滑らせながら身悶えるユマ。その手が奥へ奥へと進むたびに、シャチホコのように背中がしなる。
びっくんびっくん、バッタンバッタン。
アイドルとしてのユマと、一人の女の子としてのユマは違う生き物だ。
進くんのことを考えている時のユマは、いつも心がとっってもハッピー。ビックバンみたいに感情が爆発してて、「あふんあふん♡ おほおほおほぉおん♡」となってしまう。
推しがすぐ隣にいるのだから、興奮しない方がおかしな話だった。
ポスターや写真では伝わらない、確かな温度が伝わってくる……。今だって、壁一枚隔てたところに彼がいるのだと思うと、全身から幸せ成分がどばどばと分泌してしまう。
「はぁ……おかしいよぉ。今日だけで二十回もシちゃってる……ピンポン押して、会いに行っちゃおうかな……あ、でも迷惑かも。ダメだよ……まだ約束守れてないもん」
ユマはぐずりと鼻を鳴らしながら、枕に顔を埋めてふごふごと唸る。暴走寸前の感情は理性で抑え込むしかない。推しとは、決して手の届かない存在だからこそ尊いのだ。
(でもこのままじゃ我慢できない……。もう少しだけ……進くんに近づいてもいいよね?)
あの『穴』からナマの進くんを拝みたい。
ユマはベッドから起き上がると、ノゾキアナの前まで移動する。
「……あれ?」
ノゾキアナの向こう側から微かなニオイを感じ取る。推しの全てを感じ取るため異常なまでに進化を遂げたユマの嗅覚が、進くんの残り香をキャッチした。
「もしかして、バレた……?」
ひとまずドリルで貫通させた穴に、シールを貼り付け蓋をする。
「お風呂に入ってた時間かな。動画を戻して、確認しないと」
ディスプレイの前に座り、動画を三十分ほど戻す。
「もし……バレてたらどうしよう。とりあえず記憶を消さないといけないよね。監禁して、言質を取る? 何も見てないって進君の口から言わせる? ――あ、そうだ。いっそもう、既成事実から作っちゃうのも有りかも。男の子はそうされると責任を取るしかなくなるって、ネットで見たことあるし。ナンバーワンアイドルになれない私なんて進くんにとっては『無価値』だもんね。無価値なわたしがこんなことしてるって、進くんが知ったら絶対軽蔑する。軽蔑されたら……もうアイドルやめて責任取ってもらうしかないよね? えへへ。わたしと進くんの子供は絶対可愛いよ。男の子でも、女の子でも。だって愛し合ってる二人の子供だもん。……ダメ、それは最終手段。わたしは約束を守って、ナンバーワンアイドルになって、進くんのお嫁さんにしてもらうの。そしたら、ずーーっと幸せだよね?」
ユマは、ぶつぶつと独り言を呟きながら、カチカチカチカチとマウスを押して、動画の再生ボタンをクリックする。
ノゾキアナの向こうで進くんが息を押し殺して、どうすべきか悩んでいるとも知らずに。
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