第8話 クッキーは少し焦げているくらいが丁度いい

 禅……己の心の奥深くと語り合い、精神の極地『悟り』へと至る修行。

 俺の剣とか諸々の先生の、そのまた先生が神代の宗教『仏教』から取り入れたものらしい。



「…………」



 宗教に修行があるということに、当時の俺は大きな衝撃を受けた。


 何せ聖神教もマーテル信仰もテテュス信仰も、基本的には『お布施して祈ってれば神様が助けてくれる』という考え方なのだ。

 現代の主な宗教には、信仰心以外のものを高める教義など存在しない。



「じー……」



 そもそも仏教は、神代でも特殊な宗教だったらしい。

 単純に神様を崇めるのではなく、悟りを開くことを目的とした、一種の精神鍛錬流派のようなものだったとか。



「じーー……」



 先生の剣技には、どうやらこの『悟り』が大きく絡んでいるらしい。

 俺も幼少の頃から、悟りを開くべく禅を組み続けて――





「じぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


「視線が気になるぅぅぅぅっ!!」



「……おきになさらず」



 さっきから俺を凝視しているのは、クラリス……あの棺の少女だ。


 目を覚ました彼女は、儚げな容姿に似合わず堂々した少女だった。

 表情は動かないし口数も少ないのだが、無駄口を叩かないだけで決して暗いわけではない。

 要求ははっきりと主張してくるし、基本的に遠慮しない。


 今だって、俺が座禅組んでる横で謎の熱視線(?)を送ってきていた。

 ちなみに目覚めてからの第一声は『お腹空いた』だ。

 あんな箱の中に封印されていた割に、元気なものである。


 元気なのは何よりだが、正直初めてのタイプで扱いに困る。



「……だめ?」


「ダメ」



 ダメなものはダメ。

 暫くバチバチした後、クラリスは諦めたのか立ち上がり、『……ごめんなさい』と残し部屋を出た。




「……はぁ」



 なんだか無駄に疲れたな……。

 気を取りなおして、禅の続きをしよう。


 倉庫から引っ張り出した野営用マットの上に胡座を描き、両手の指を突き合わせて目を瞑る。

 大きく深呼吸をするのは、外界から自身の内側に目を向けるためのスイッチだ。

 一つずつ雑念を削ぎ落とし、心の音が消えたら、精神の奥にいる自分との会話が始まる。


 それから、どのくらい経っただろうか。

 すーっと意識が水面に上がり、外の感覚が戻ってくる。


 久しぶりな割に上手くいった。

 ガキの頃から繰り返したものは、心身に染み付いているらしい。





 ……ちょっと待て、久しぶり?



 そうだ、俺は長いこと、禅を組んでない。

 心を深く沈めると……思い出してしまうから。



 何で俺は、当たり前のように座禅してんだ?

 何か、切っ掛けが……。



 ……『雑念』が大きくなっちまった。

 しゃーない、先ずはそっちを片付けよう。




 さて、あのガキどこまでいったかね?




 ◆◆




「クラリスちゃん、食堂に行ったよ。可哀想に寂しそうな顔して。あんた、追い出したんじゃないだろうね!?」



 簡単に見つかりそうだ。

 さすが6歳、めっちゃ目立つ。


 俺の姿を見るなり、家政婦のおばちゃんが話しかけてきた。

 因みに統合軍の砦の家政婦さんは、基本的におばちゃんだ。


 美しいメイド長や、可愛いメイドさんはいない。


 すべからく、おばちゃんだ。


 残念だったな。



 悲しいかな、我ら統合軍とおばちゃん連合は、双方の条件がマッチするベストパートナーなのだ。


 まず、家政婦業の花形というべき商家や貴族邸で、おばちゃんの需要は無い。

 最近は便利な魔導具も増えてきた。

 多少実力不足でも最低限の結果は出せるため、見た目が重視されるようになってきたのだ。


 余程の美人でもない限り、30歳を超えると採用は厳しい。

 職にあぶれたおばちゃん達は、雇い主を探すために必死で求人を探し続ける。



 対して、統合軍は何万という兵士を抱える大所帯。

 過酷な労働環境でも辞めずに働き続けられる、タフで有能な家政婦でなければ務まらない。



 そして、おばちゃん達は皆、百戦錬磨の家政婦だ。


 貴族の屋敷で、優雅に茶をいれる若く美しいメイドが、裸足で逃げ出すような仕事量でも『ほいさっ』と片付けてしまう。


 更に、軍が抱える少年兵達にとっても、おばちゃん達は重要な存在だ。



 少年兵の殆どは、邪神に親を殺されている。

 そんなガキ共にとって、面倒見のいいおばちゃん達は母親代わりなのだ。

 俺も入りたての頃は随分面倒をかけた。


 あと男の多い職場なので、若い娘が入ると取り合いになる。

 その後は結婚して早期退職だ。


 入って1ヶ月で寿退職は、流石にどうかと思うよ?


 おばちゃんなら、まず取り合いは起こらない。




 このように、おばちゃんは統合軍の家政婦現場の抱える問題を、根こそぎ解決できる。

 おばちゃんは、軍上層部にとって救いの神、母神なのだ。



 そんなこんなで、この砦にもおばちゃんしかいない。

 俺もここ半年で見た若い娘など、6歳の幼女クラリスと、『絶壁のファリナ』の2人だけだ。



 グレン少年は14歳。精力が高まるお年頃だ。

 今、ボンキュッボンなお姉さんを見たら、その場で射精する自信がある。



 さて、その幼女クラリスたんだが、やはりおばちゃん達にとって、娘のような存在らしい。

 道行くおばちゃん全てに食堂に行くよう促され、俺は言われるがままに歩き続けた。




 ◆◆




 食堂に辿り着くと、クラリスはオーブンの前でおばちゃん達に囲まれていた。



 因みに、おばちゃんに決まった担当はない。

 おばちゃんはオールラウンダーなのだ。



 オーブンを見つめるクラリスの目は、遠目でもわかる程にキラッキラしていた。

 やはり外に出すのが苦手なだけで、感情は豊かなんだろう。


 ここまで会ったおばちゃん達は皆、『寂しそう』と言っていた。

 クラリスの無表情から、真摯に内心を読み取ろうとしたんだろう。





 ……俺は、そうしなかった。




 情けない。何が『グレンお兄ちゃん』だ。

 クラリスに目を戻すと、分厚いミトンをつけてオーブンから何かを取り出している。



「……むっ!」



 皿にそれを盛り付けていた彼女が俺に気付く。

 すると、興奮で頬を上気させながら、トテトテと駆け寄ってきた。



「クッキーか……」


「……んっ」



 若干眉をキリッとさせながら、その中の1枚を俺に突き出す。

 少し焦げてるけど、香ばしい感じ。

 割と俺好みだ。



「……美味い」


「ドヤァ」



 見事なドヤ顔だ。今までで一番表情動いたぞ。



「なんでクッキー?」


「頭使うと、甘いのほしくなる」




 まいったな……俺のためか。


 面倒みるつもりが、追い払って、気を使わせて……孤児院の奴らに知られたら、何て言われるか。


 俺はクラリスの頭をわしゃわしゃと撫で、しゃがみ込んで彼女と視線を合わせた。



「ずっと中にいても退屈だろ? それ持ってピクニックでもするか」


「……いいの?」


「あぁ」


「……邪魔じゃない?」


「邪魔になるようなら、俺が未熟なだけだ。お前は気にすんな」



「……ん」



 クラリスは、少し表情を綻ばせる。

 恐らく初めて見た、彼女の笑顔だった。



 俺はそんなクラリスの手を握り、裏の小高い丘に向かった。




 ◆◆





「じぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」



 ……もうちょっと、目力落としてくんない?

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