第5話 試衛館の人たち その一

沖田さんたちがいる道場にお世話になることが決まってから、すぐのこと…

「わぁっ!?」

「スイさん!!」

転びそうになった私を支えてくれた沖田さんの顔が、私の顔とまつ毛が触れてしまいそうなくらい近くなる。

どうして、このようなことになったかというと…


――――――――――――――――――――


遡ること数時間前…

「落ち着きました?」

「はひ...っ、ありがとう…っ、ヒック…ございます…。」

お姉さんに背中をさすられ、沖田さんには手拭いを持ってこさせるという何ともみっともない状況になりながらも、私は構わず、ちり紙でちーんと鼻をかむ。

「ふふっ、でもこれで良かった。スイちゃんが楽になってくれるなら…」

私は、立ち上がったお姉さんを見上げる。

「はい…。ありがとうございます…。」

確かに…。

思う存分泣いたから心の内にあったわだかまりが解けたような気がする。

と、その時、

「とにかく、スイちゃんは今からこれに着替えること!いいわね!!」

お姉さんはさっきの美しい着物をまた手に取り、はらりと広げてみせた。

お姉さんは、何か思い立つとすぐに表情かおや口に出るお方なのだろうなと、これまでのお姉さんの行動から思う。

にしても、なんて綺麗な着物なの…!!

「綺麗…!私の名前と同じみどり色…!!」

そんな私の感嘆の声を聞いて、お姉さんと沖田さんは目を合わせる。

「なるほど。スイさんの『すい』の字は、『翠』と書くんですね。」

沖田さんは、「ふむふむ」と一人頷く。

「スイちゃん。これはね、若草色と言うの。これから成長していくスイちゃんに丁度いいと思って、このお着物を選んだのよ。」

お姉さんは優しい笑顔でそう言って、私にその着物を渡す。

確かに。よく見れば見るほど、その着物の色は、初夏に生き生きと成長する若草と全く同じもののように見えてくる。

「ありがとうございます。」

私は、受け取った着物をぎゅっと抱きしめる。

「はい!そうとなれば、総司。あんたはこの部屋から出て行きなさい。」

お姉さんは、突然パンッと手を打って、沖田さんを部屋から追い出す。

「はいはい、退散しますよ。じゃあ、スイさん。姉上に変なことをされそうにでもなったら、すぐに言って下さいね。」

「ほーら!ごちゃごちゃ言ってないで、早く出て行きなさい!!」

沖田さんは、お姉さんに押し出されて部屋から出て行った。

「ごめんなさいね、融通が利かない弟なもので。」

「いえそんな事は...!!むしろ...」

『羨ましい』

そう心の中で思っている自分がいた。

こんな風に、仲良く過ごすことができる「」が私には、もういないから。

私は、喉元まで出かかっていたその言葉を無理やり飲み込む。

「沖田さんと、お姉さんは仲が良いのですね。」

私がそう言った瞬間、着物の用意をしてくれていたお姉さんの肩がピクッと動いたように見えた。

どうしたのだろう、と思っていると、

「私は、総司よりもとしが上だから…。」

そうお姉さんは言った。

「それは…」

私がその言葉の意味を尋ねようとすると、

「やだ、何言ってるのかしら私ったら!ほら、スイちゃん。これ、袴ね!」

お姉さんは「おほほほほ」と笑いながら、折りたたんであった袴を私に渡してくる。

今私は、お姉さんに自分が話しかけた言葉を遮られた…。

『総司よりもとしが上だから。』

というのは、一体どういう意味だろう。

お姉さんの私の帯を締めてくれる指先は、どこか震えているように見えた。


――――――――――――――――――――


「よし、できた!」

お姉さんは満足げに、腰に手を当て、私の姿を頭のてっぺんから爪先まで見る。

「あの…、やっぱり私にはあまりにも似合わない気がするのですが…」

私は恥ずかしさのあまり、お姉さんと顔を合わすことすらできず、うつむく。

「なーに言ってるの!似合ってないわけがないでしょう?」

お姉さんは、うつむく私の顔を下から覗き込んでくる。

「それに、もうこの際、仮に似合ってなかったとしても別にいじゃない。女子おなごだと分からないように、男装してるんでしょ。」

お姉さんに正論を突きつけられ、私は「うっ」と言葉に詰まる。

「でもやっぱり心配だわ〜。こんなうるわしい子を一人、あんなむさくるしい男所帯に置いておくなんて…。」

「で、でも沖田さんがいらっしゃって…」

私は人差し指をあげて、思い出したように沖田さんの名前をあげる。

「いや、総司はだめ!当てになんないわよ。」

お姉さんは、「あの子はだめだめ」と言いながら、ヒラヒラと手を振る。

「それになんせ、道場うちにはあの女たらしが…」

「お、女たらし…??」

お姉さんが私に近寄って、こそっと話をしてきたその時、

「あの〜、そろそろ入っていいですかね?」

襖の方から沖田さんの声が聞こえてきた。

「おっ、総司!いいわよ〜!」

「えっ!?やっ、ちょっ!!」

私はまだ心の準備ができていなくて、おかしな声を出してしまう。

「何で入っていいなんて言ったんですか!まだ私…!!」

お姉さんは、私の焦る顔を見て驚きながらも楽しんでいるような感じがする。

「入りますよ。」

沖田さんは、そんな私たちのことなど知らず、襖をガラッと開けて部屋に入ってくる。

「お、沖田さん…!!」

私は恥ずかしさのあまり、近くにあった着物を包んでいた布にくるまってうつむく。

「何してるんですか、スイさん。見せて下さいよ。」

沖田さんの手が、私に触れようとしているのが見える。

「わ、私は!無垢な女子おなごですからぁぁぁぁー!!」

「は?」

私は「?」が頭に沢山浮かんでいる沖田さんの手を振り切って、一目散に駆け出した。


――――――――――――――――――――


「はぁ、はぁ、はぁ…」

私は、近くの柱に身を任せて、荒い呼吸を整える。

ここまで来れば大丈夫だろう。

にしても、私も私だ。どうしてあそこで逃げちゃったりなんかしたのぉぉぉ…。

私は、一人で「うわぁぁぁ」と頭を抱える。

これでは沖田さんと目を合わすことすらできない。

どうしよう…。道場ここを出たところで、どうしたら良いのか。

とにかく落ち着くまで、できるだけ沖田さんたちが来なさそうなところを見つけて…。

私は一歩踏み出す。

が、

「わぁっ!?」

次の瞬間、足元がふわっと浮いて体が宙に浮いた。

えっ、私どうなって…

「スイさん!!」

「ドサッ」

頭が真っ白になる。

「ふぅ、危なかった…。」

そんな私の上から、沖田さんの声が降ってきた。

「お、おおおお沖田さん!?」

私は、ようやく今自分が置かれている状況を理解する。

め、目の前に沖田さんの顔が…!?

沖田さんのまつ毛と、私の顔が触れてしまいそうなくらい近くなっている。

「あ、ありがとうございます。でも、もう大丈夫です。」

私は、沖田さんと目を合わすことができず、そっぽを向いて言う。

でも、沖田さんの私を支えてくれる腕は一向に離す気配はなくて…

「お、沖田さん?は、離して下さい。」

これ以上居ても立っても居られなくなって、私は沖田さんにそう言う。

それどころか、腕の力は強くなるばかり。

「じゃあ、スイさんに聞きます。どうしてさっき逃げたんです?」

私は、その質問に「うっ」と言葉を詰まらす。

「そ、それは…その…」

言えるわけない。「沖田さんに見られるのが恥ずかしかった」だなんて…。

「あっ、もし身なりのことを気にしてるんだったら、それは大丈夫です。」

「なっ!」

沖田さんは、にこにこ顔で平然と言う。

だ、「大丈夫」って、何…!?

どんどん顔に熱が伝わってきているのが分かる。

絶対に私、今顔赤くなってる。

「可愛いと思いますよ。」

突然、沖田さんがそう言った。

私はその言葉に、自分の耳を疑う。

ぼんっと音がして、私の体の熱が一気に上がったのが自分でもはっきりと分かった。

「お、沖田さん…!!!」

私がそう言いかけた時、

「お前ら、何してるんだ?」

突然声がして、私たちはバッと声がした方を見る。

「わぁ!?こ、近藤さん!?」

沖田さんは、焦ったように私から腕を離す。

「総司、お前はまぁた小僧を連れてきよって…。」

「違うんですよ、近藤さん!この子は…」

近藤さんと言われたひとは、いかつい顔をしていて、えらがはっている。がたいも良く、大男といった印象だ。それは、どこか恐ろしさを感じさせるほどのものである。

「その、何というか、この子が先程やくざたちに絡まれていて、そこを助けたのですが…」

「ほう。」

沖田さんの説明を聞いた近藤さんは、私のことをまじまじと、頭のてっぺんからつま先まで見つめてくる。

「お前、女子おなごのような可愛い顔をしておるようじゃが…。」

「はっ?」

近藤さんの顔がズイッと、私の目の前までくる。

その時、私は近藤さんの目がとても澄んだであることに気づく。

何…この人の目…。とても綺麗…。

その時、

「って、あぁー!!源さんだなぁ〜!!」

私が近藤さんの瞳の中を見つめ、気づけば、お互いを見つめ合っている状態の中に、沖田さんの声が響いた。

沖田さんが、突然叫んだかと思えば、庭の奥の方からひょこっと、歳が三十あたりの男の人が現れて、不思議そうに首をかしげる。

「総司?どうしたん…」

「ちょっと、源さん!水撒きをする時は周りに気をつけて、ってあれほど言っているのに〜!!」

沖田さんは、その男の人の言葉を遮り、駄々をこねる子供のように語尾を伸ばして、そう言った。

そして、私が転んだあたりのところを指差す。

あっ、本当だ。水が飛び散ってる。

私も見てみれば、そこには私の足で伸びた水と無造作に飛び散った水があった。

「誠に申し訳ございません!お怪我は無かったですか?」

男の人はハッとして、私に頭を下げる。

「はい。全然だい…」

「大丈夫じゃないよ!危うく、スイさんが転んでしまうところだったんだから。」

沖田さんは、喋る私の両肩をガシッと掴んで、男の人にそう言った。

「申し訳ございません!!」

男の人は、沖田さんの言葉を聞いて、ますます深く頭を下げる。

「そんな!!頭をお上げ下さい!私は何ともありませんでしたから。」

私は、その男の人を安心させたくて、にこっと微笑む。

「総司も総司だ。お前、源さんをからかうのを辞めなさいと、いつも言っているだろう?」

「そうです!沖田さん、言い方が大げさすぎます。私は、本当に大丈夫でしたから。」

近藤さんと私が連続して、沖田さんに向かって指摘する。

「仕方ないじゃないですかぁ。だって、私だって…」

「あぁー!!総司!!こんなとこにいた!!!」

沖田さんが口を開いた時、バタバタという騒がしい足音とともに、沖田さんのお姉さんが現れた。

「おみつさん!!今までどこにいたんですか!道場の方に樽が転がってましたから、義母上ははうえがお怒りでしたよ!」

近藤さんが、困ったように額に手をあてる。

今、近藤さん、「おみつさん」って言った…。

そうか。沖田さんのお姉さんって、「おみつ」さんって言うんだ…。

「別にいいじゃない。そんな事より、どう?この子。私がお着物を選んだのよ。よく似合ってるでしょ?」

おみつさんは、近藤さんの着物の裾を引っ張って、そう言う。

「ああまあ、悪くはないとは思うが…、ていうか、おみつさん。あなた、この子のこと知ってるんですか?」

「あっ…、えっと…?」

「詳しく、ご説明をお願いしてもいいですか。」

近藤さんに口走ったことを、明らかに後悔していそうなおみつさんに、沖田さんは私の隣で「やれやれ」と、ため息をついていた。





















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