第3話 私を助けてくれたひと
「あ、暑い…!!」
弥十郎達のところを出発してから、おそらく三刻(約六時間)ぐらいが経過した。
弥十郎に「働き先を見つける」とは言ったものの、全く行く宛もない。
それにここはどこだろう。何も考えずに飛び出してきてしまった…。
けれど、江戸はまだ出ていないはずだ。自分が今いる場所さえも分かっていない。
それでいて江戸は、今は真夏!そして、お昼時!!
暑い!暑すぎる!!!
そこらで一旦休憩をさせてもらおう。
笠をかぶって歩いていれば、さほど暑くはなかったかもしれない。失敗したな、と私は、今になって思う。
私は、人通りが多い所から少し離れた木陰を見つけて、そこで休むことにした。
木陰にある大きな岩に腰をかける。
そして、竹筒の蓋を開けて、水をぐいっと飲んだ。
「はぁぁ…体に染み渡る…。」
体があまりにも水分を求めていて、手の指先、足の指先にまで体全体に水が廻っているように感じられる。
と、それと同時に「ぐぅぅぅ」と、お腹が鳴った。
そうだった。今はお昼時だったんだ。
私は風呂敷包みの中から、竹の皮に包まれたおむすびを取り出す。
長旅になりそうだから、出来るだけ少しずつ食べることにしよう。
私はそう思いながら、膝の上で竹の皮を広げる。
その時、目の前をもの凄い速さで、お爺さんを引っ張る若い男の人が走り抜けて行った。
え、何?
そして、そのわずか数秒後、
「おい!!待てっつってんだろ!!!」
「このインチキ薬屋が!!」
と、大柄な男達が五人程、私が座っているところで息を切らしながら、立ち止まった。
その瞬間、男達が勢いよく立ち止まった衝撃で、おむすびが一つ、コロコロと私の膝の上から地面に転げ落ちた。
嘘…でしょ…。
「おい、そこの姉ちゃん!今、目の前を薬屋の若造が走り抜けていかなかったか!?」
私は、おむすびが落ちたことが衝撃的すぎて、私に話しかけてくる大男の声も聞こえない。
最悪だ…。今さっき、おむすび一つ一つを大切にしようと、そう誓ったばかりだったのに…。
「何だよ、聞いてんのか!?」
大男は、私の目の前までズイッと迫る。
「…やろ」
許せない…
「あぁ?」
許せないっ!!!!!!
「この野郎ーーーーーーーーっ!!!」
「ぐはっ!!」
私は、思いっきり立ち上がり、目の前に迫っていた大男の顎を下から思いっきり、げんこつで殴ってやった。
「
気を失った大男に駆け寄る他の数人の男達など、私の眼中には無く、私は赤くなった自分のげんこつをただ眺めていた。
いたたたたた…。初めて人、殴っちゃった…。
私が呆然としていると、
「おい、お前!
「
と、大男の心配をしていた男どもが、私の
何だ、こいつらは…。大の男が
大体、何が
今までも散々言われてきた。弥十郎達と一緒に道場で剣術を習っていると、それを見たご近所さんや、お客さん達に「
けれど、その皆も今はいない…。
私一人で、今は戦うしかないんだ…。
「だったら何だ!!悪いのはお前らだろ!?」
私は口走って、今更気付く。
今、私が戦おうとしている相手は「やくざ」だ。これまでに、何人も人を斬っているだろう。
対して私は、剣術を少し習っただけのただの町娘。
自分がなんて無謀は戦いに挑んだのか、自分の浅はかさにうんざりする。
だが、こっちだって伊達に剣術を学んできた訳じゃない。
私は自分の小刀を手に取る。
「はっ!俺らとその格好で対等にやり合おうってんだ!?」
「面白い…!!受けて立とうじゃねぇか!!」
倒れている
嘘!?これってもう刀を抜くものなの!?
私は、お天道様の光で
こいつら、本気だ…!!!
でも、ここで私がひるんじゃいけない!!絶対に!!!
そんな気持ちとは裏腹に、小刀を握る私の手は小刻みに震えだす。
あぁもう!しっかりしなさいよ!!
そう思っても、やはり震えが収まる気配はない。ましてや、刀を抜くことなんて…。
と、その時、
「覚悟ぉぉぉぉぉぉー!!!」
すぐ近くにいた男が、私に向かって刀を振り下ろしてきた。
「わっ!」
私は咄嗟に避ける。そしてそのまま、刀の柄の
「うっ…こいつ…!!」
くっ、もうちょっと勢いよく殴るべきだった!
私は、また振り下ろされる刀をヒョイっと
すると、
「この小娘がっ!!」
いつの間にか、さっきまで刀を振るっていた男とは別の男が、私の背後に回り込んできていて、そのまま刀を振り下ろされる。
私は、持っていた小刀で振り下ろされた刀を受け止める。
けれど、やはり私には鞘から刀を抜く勇気など無く、そのまま鞘に入れた状態の刀と刀同士がぶつかったため、「ギィィィン」と、なんとも言えないような、鈍い音がそこら中に響き渡る。
私が、男の力に押されながら刀を受け止めていた、その時、
「パキッ」
と、刀同士が交わっている方から音がした。
これはきっと鞘が壊れる音だ。
やだ!!こんなところで、柴崎先生から頂いた大切な刀を壊すわけには…!!!
私は、力いっぱいブンッと刀を振り回して、目の前の相手を押しのける。
良かった、なんとか鞘にヒビは入ってないみたい…。
ホッとしたのも
声のする方をパッと振り返れば、もう刀はすぐそばにあり、
だめだ!避けきれない!!!
そう思って、ぎゅっと目を瞑ったその時だった。
「キィィィィンッ」
刀と刀がぶつかり合う音がして、私はゆっくりと目を開ける。
なんとそこには、一人の青年が、私に振り下ろされたであろう刀を、刀で受け止めていた。
「早う逃げなさい!!」
青年さんは私にそう言って、「キンキン」と、刀の刃がぶつかり合う音を立てて、やくざの男たちと戦い始める。
一瞬の出来事すぎて、何が何だか分からない。
私が呆気にとられていると、
「何してるんですか!早う!!」
と、青年さんが、青年さんの目の前に迫ってきていた男を、刀で払いながら言う。
「は、はいっ!!」
私は、彼の勢いに押されて、木陰に置きっぱなしだった荷物を持って、そのまま走る。
自分がどこへ向かっているのかも分からない。
けれど、とにかく今は逃げなきゃ!!それに、あの青年さんを助けないと!!
見た限りだと、あの青年さんはかなり強そうだった。けれど、流石に一人に対して三人というのは無理もあるだろう。
私は着物の裾を少しだけ上げて、走る。
こういう時、着物だと困る。袴なら裾を持ち上げることもなく走れるというのに。
そう考えながら走っていると、
「待てー!!この小娘がぁぁー!!」
さっきのやくざの男らが、二人ほど私の走る後をついてきていた。
しつこい奴らだな!!!
でも、このまま走るのをやめて戦ったとしても、きっとこの状態のままじゃ歯が立たない。せめて、今までずっと稽古で使ってきた竹刀がないと!!
いきなり刀で戦うなんて、私には無理だ…!!!
私は、構わず走り続ける。
けれど、私の走る歩幅よりもあの大男らの方が大きくて、このままではどこかで必ず追いつかれる。
どうしよう…!?!?
誰か…!誰か…!!
誰かっ!!!
その時、周りを見渡しながら走っていると、さっきとはまた違った雰囲気の青年が一人、道場の稽古場のようなところで、柱にもたれかかって座り込んでいるのが、門からちらりと見えた。
騒ぎの音が聞こえたのか、その青年さんは門の方を見る。
あ…。
彼と目が合った瞬間、時が止まったような気がした。一瞬、何の音も聞こえなくなる。ドクンドクンと、胸が高鳴る。
私、何で…。
その時、
「待てと言うておるではないかー!!!!」
「ええいっ、こざかしい!!!」
さっきの男たちが、近くまで迫ってきていた。
彼なら、助けてくれるだろうか…?
私はバッと門をくぐる。
そして、
「助けてっ!!!!」
私は、泣きつくように彼の元まで迫った。
「へ?」
青年さんの頭に「?」が沢山浮かんでいるのが、なんとなく見える。
「あの!お、追われてるんです!!あのやくざたちに!!」
私はしどろもどろになって、後ろから走ってくるやくざたちを指差しながら、青年さんにお話する。
すると、
「やい!小娘!!俺ら相手に、ようここまで逃げてこられたな!」
「だがもう終わりじゃ!!観念しやがれっ!!!」
やくざの男二人は、人の家の門をくぐるなり、私に向かってそう言って、刀を振り下ろしてきた。
私はまた反射的に、ぎゅっと目を瞑る。
私、本当にここで死ぬの…?
そう思っていたその時、
聞き覚えのある「キィィィン」という刀同士がぶつかり合う音が、また鳴り響いた。
え…?
私がゆっくりと目を開けると、目の前にはさっきの青年さんが、男が振り下ろしてきた刀を受け止めていた。
「なるほど。よう分かった。」
青年さんはそう言うと、男を刀で薙ぎ払う。
「うわっ!!」
男は、青年さんに払われて、そのまま地面を転がる。
す、すごい!!青年さんの力の方が、圧倒的なんだわ…!!!
私が関心していると、
「お嬢さん、目を瞑っていて下さい。あなたが見るものではない。」
青年さんは、男たちを見据えながら私にそう言う。
青年さんを取り巻く雰囲気は、さっきまでのほんわかした雰囲気とは打って変わって、恐怖さえ感じるほどの怖い雰囲気になっていた。
「目を瞑っていなさい」と言われたものの、そうもいかない。
この青年さんがどれほどの剣の腕前なのか、私は純粋に気になっていた。
私は、青年さんや、やくざの男たちから少し距離を取る。
どちらから先に斬り込むのか、私は固唾を呑んで双方を見る。
そして…、
「えいやぁぁぁぁーっ!!」
先に声を上げて斬り込んできたのは、やくざの男の方だった。
青年さんはその男にすぐさま反応して、男の背後に回り込み、男の首元を「ドスッ」と鈍い音を立てて、刀の柄の頭の方で殴る。
早い…!!動きが早すぎる…!!!
じっと見ている私でさえ、彼の動きが読めない。
「うっ…くそぅ…ひっ!」
体制を立て直そうとした殴られた男の首元に、ヒュッと刀が突きつけられる。
「これ以上、同じような真似を繰り返すようならば、斬るが…良いか?」
青年さんの綺麗な青みがかった漆黒の瞳の色は、まるで
何だ、この人…。人間じゃないみたいだ…。
私は思わず、彼の気迫に押されて少し後ずさる。
「お、お助けをぉっ…!!!」
男たちは、その青年にひれ伏して、正に…命乞い…というものだろうか?この目で見るのは初めてだけれど、そのような格好をしていることぐらい、今の状況から考えてみれば誰にでも分かるようであろう。
「ん、もう良い。行け。二度とこの
「へっ、へぇっ!!」
青年さんはそう言って、男達が去っていくのを確認した後、鞘に刀を「スチャッ」と収める。
「そんで…」
そして、青年さんは私の方に振り返る。
「どういうことか、説明して頂いても?」
その青年さんは笑顔だけれど、目が笑っていない。
私の背筋がどこかゾクッとした気がするのは、気のせい…ではない。
私…、とんでもない人に助けて頂いたのかもしれない…。
この人が、後に新選組一最強の剣士と言われることになる新選組一番組隊長、沖田総司であることなど、この時の私は何一つとして知らなかったのである。
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