第1話 空っぽなんだ
「あぁ!スイちゃん、実は…」
宮川さんから言われた言葉は、信じられないものだった…。
――――――――――――――――――――
「すみません!すみません!」
私は人々が集まっているところを、何とか押し通って、一番前に出る。
「早うせんか!早う水を回せ!!」
「早うしろ!!火が燃え移るぞ!!」
「近くの家も皆壊せ!!!」
嘘…、嘘だ…。
私は目の前の光景に、目を奪われる。
メラメラと勢いよく、
水を入れた桶を両手に走り行き交う男の人たち。
燃えている家々の近くに集まる人々。
そして…、「三山亭」という文字が炎に包まれて、黒焦げになっていく、私の家の看板…。
どうして…どうして、こんな事に…。
私は力が抜けて、ぺったりと地面に座り込む。
「ここの料理屋のご主人と奥様は、逃げられたのかしら。」
「確かに…見てないわね…。」
「まさか…あの中に…?」
「縁起でもないことを言うんじゃないよ!」
近くにいた女の人3人の会話が聞こえてきた。
もし、それが本当だとしたら…!?!?
お父様、お母様!!!!!
私は立ち上がって、腕を伸ばして走る。
「これ!?お嬢ちゃん!?」
「おい!何しとるんじゃ!?」
周りにいた人達の声が聞こえてくる。
「スイっ!!!!!!」
弥十郎の声が聞こえてきた気がした。
けれども私にはもう、恐れなど無くて…
ただ、お父様とお母様に会いたいだけだった。
私は、料理屋の中に飛び込む。
「あつっ…」
何…このすごい熱気…。
もう既に意識がクラクラしてくる。
でも、絶対にお父様とお母様を見つけないと…!!
私は自分の頬をペチンっと叩いて、着物の袖口を口に当てて、中へと進んでいく。
「けほっ、けほっ、けほっ…」
早速、煙が肺に入ってくきて、咳が止まらなくなる。
だめだ、すごい煙で、目も霞んでくる…。
また一歩踏み出すと、私の足にガサッと何かが当たった。
これって…
私は、落ちていたものを拾う。
それは、お父様とお母様の料理の作り方を記した料理本だった。
ああ、お父様お母様…。
私は料理本をギュッと抱きしめる。
その時だった。
ギチッギチッ バキバキバキ
私は音のする方向を見る。
上から炎に包まれて壊れた板が、天井から落ちてこようとしていた。
もうこのまま、板に潰されて死んでしまおうか…。
私は目を閉じる。
意識もどこかへ飛んでいってしまいそうだ。
お父様、お母様、どこにいますか…?
バキバキッ
板が完全に壊れる音がして、熱風が上から押し寄せてくる。
このまま、私は…
ズシャァッバキバキッ
板が床に落ちて、色々なものが潰れる音がした。
けれど、私の身には何も無くて…
「おい、大事無いか!しっかりしろ!!」
上から誰かの声が降ってきて、ゆっくり目を開ける。
ぼやけた視界の中で、男の人…なのだろうか…。今では、それすらも分からないくらい目がぼやけていて…、何も見えない。
でも、体が、暖かい…。
何かに包まれているようで、炎の熱さじゃない。人の暖かさで…。
弥十郎…かな…。弥十郎が、助けに来てくれた…のかな…?
私は安心しきって、力が抜ける。
それと同時に重いまぶたも下がってくる。
「おい!おいっ!!!」
ごめんなさい…。今はもう少しだけ…。
このままでいさせて下さい…。
その途端、私の意識はなくなった。
――――――――――――――――――――
「離して下さいっ!!中にはスイが!!!」
後から駆けつけた弥十郎は、周りにいた彼の兄達に抑えられる 。
「だめだ!!スイちゃんを助けてぇ気持ちも分かるが、そんな事したら弥十郎まで死んじまうぞ!!」
「俺は!!!スイを守るって、決めたんだ!!」
弥十郎は、必死の形相で、弥十郎を抑えている兄達に向かって言う。
その時だった。
メキッ…メキメキメキメキッ
耳の奥をつんざくような、木が不自然に折れるような音がした。
(まさかっ…!!)
弥十郎はそう思い、視線を三山亭に移す。
「あぁ…っ!!!」
「離れろー!!崩れるぞーっ!!」
近くにいた人々は、叫ぶ男の人の声を聞いて、わぁぁぁーっと一斉に逃げ出す。
「弥十郎も!何しとる!早う!!」
目の前で何が起こっているのかが理解できず、ただ立ち尽くす弥十郎を、一番上の彼の兄が彼の腕を引く。
三山亭は、瞬く間に潰れて、建物の形を失ってしまった。
「そんな…、スイ…」
ようやく何が起こったのか、理解できた弥十郎の頭の中に、昼間に見たスイの笑顔が浮かぶ。
そして次々と、これまでの思い出と共に、スイの色々な表情が浮かんでくる。
それと同時に、喉の奥から熱く、ボロボロと涙が溢れてくる。
「あぁ…うぅ…っ…、ちきしょう…ちきしょぉ…っ…!!」
弥十郎は声も上手く出せず、ただ悔しそうに歯を食いしばって、地面を力強く拳で何度も殴る。
周りにいた人々も、誰も、何一つとして声を出す事ができない。
そこにいた誰もが、中に入っていった女子(おなご)が押し潰されて亡くなってしまったと、そう思っていた。
その時、
「おぉ、なんということじゃ…」
一人の老人がそう、焼けた三山亭の方を見て呟いた。
その声に、皆が顔を上げる。
するとそこには、亡くなったと思われていたスイを抱きかかえた、一人の青年の姿があった。
「!!!…スイ…っ!!!!!!」
「スイちゃんっ!!!!!」
煤だらけで真っ黒になっていたが、間違いないスイの姿を見た弥十郎達は、青年の元に急いで駆け寄る。
「スイっ!!!スイっ!!!!!」
弥十郎は、青年からスイを貰って、スイを力強く抱き締める。
「意識を失っているだけです。息はあります。ですが、肺にたくさん煙が入ったことでしょうから、必ずお医者様に見せて下さい。」
青年は柔らかな笑顔で、彼らを落ち着かせるように笑ってみせる。
「なんと御礼を言ったら良いか…!!本当に、本当にありがとうございます!!!!」
弥十郎の二番目の兄は、青年に何度も頭を深く下げる。
「いやいやそんな!当然のことをしたまでですよ。」
青年は、袴に付いた煤をパッパと簡単に払いながら言う。
「お前さん、真っ黒じゃねえか!どこか怪我してねえのか?」
弥十郎の一番目の兄も、青年の肩に付いた煤を払いながら言う。
「これぐらい、どうってことないです。すぐに治りますから。」
青年はこんな時なのに、何故かにこにこ顔だ。
「では、私はこれで。失礼致します。」
青年は、軽く頭を下げて、どこかへと歩いて行ってしまった。
「なんて人じゃ…」
弥十郎の三番目の兄が、そうポツリと呟いた。
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