向谷栞と契約する2



 更衣室で制服に着替え、教室に戻ると制服姿になった向谷が自分の席でリボンを結んでいた。持ってたんだな、予備のリボン。それから俺はすべてを話した。



 最初にローチェリーナが現れた時のこと。なぜ目の上に青いアイシャドウが塗られていたのか。体操着がセパレートした経緯。青ブラを着けている理由。キスを迫られたこと。公安の巫さんのこと以外を洗いざらい。



「……うそ、でしょ……信じらんない…………」



 真実を聞いた向谷の顔色が悪い。真っ青だ。特にまぶたが。俺はとりあえずフェイスペーパーを3枚手渡した。



「はぁ。一体これからどうしたらいいのよ。あたし……」

「どうしたらって、言われてもなぁ」



 どうしようもないのが現実だ。多分、共産主義とか資本主義とかあれこれ考えた後遺症なんだろうな、可哀そうではあるが、仕方あるまい。



「このままだとあたし……みんなと一緒に高校生活過ごせないじゃん……」



 まぁ意識を取り戻したら1週間近く経過してましたって、なかなかにしんどそうだしな。



「体育祭、楽しみにしてたのになぁ……」



 うっ。胸が痛い。ローチェリーナの暴走を止められなかった俺にも責任の一端はあるだろう。が、その戦利品として学校一のインフルエンサーをゲットしたんだ。悪くないだろう。実はこの後、紙屋先輩を含めた思考部5人で体育祭の打ち上げをする約束がある。新たな部員にこいつもきっと喜んでくれるに違いない。



「ま、まぁ元気出せよ、向谷。この後みんなで体育祭の打ち上げがあるんだし」

「あたし、体育祭参加してないけど?」

「あっと……まぁ、そだね」

「もうっ! そのローチェリーナってやつのせいでめちゃくちゃじゃない!! まさかあたしが中2の時に考えたローチェリーナが別人格としてあたしの中にいただなんて……」



 やっぱお前が考えてたんかい。自然発生説的産物でないなら、多少は自業自得だろうよ。



「よしっ! なら、あんたが今後、ローチェリーナが出てくるのを阻止しなさい!」

「……は? なんで俺が」

「当然でしょ!? あんた今までさんざんあたしの身体がローチェリーナに良いようにされてるのを黙ってみてたんでしょうが! あ、あんな恥ずかしい恰好まで……見て……」



 見てって言われても。見たというか、見せつけられたというか。しかも見たのは俺だけではないしな。お前はセパレート体操着姿を全校生徒の前で披露してるんだからな。まぁ俺はそれ以上のものを見せつけられはしたけども。


 

「あたしの恥部をさんざん見たあんたは絶対に野放しにできないわ。どうしてやろう……。うーん……あっ、そうだ!」



 どうやら妙案が思いついたらしい。左人差し指を顔の横で天を指さした。



「あ、あたしとチュ、チューしなさい」

「……は? なんで?」

「なんでって、だ、男子は女子とチューしたらチューした女子のために頑張るもんなんでしょ?」



 どこ情報だろう。さっきローチェリーナが持ってた ”ルンルン♪” かな? 別人格とは言え発想は同じなんだな。

 でも、これは――チャンスなのか? 高校に入学してひと月。そんな早くにして恋人ができるとなれば俺の今後の3年間はきっと楽しいものになる――かなぁ。微妙か。相手がこいつだと。まぁ、一応聞いてみよう。



「そ、それって……俺と恋人になるってことか?」

「……なんない!」

「なんじゃそりゃ! なんで恋人でもない奴とキスせにゃならない?」

「……な、なんないけど。ち、チューしたら……なるかもしんない」

「いや、意味わからん」 

「だ、だって! ……今はRTCの設立のための準備に集中したいし。で、でもその間に、あたしの中のローチェリーナが、知らない奴と勝手に……チューしちゃうのも、ヤダし……」

「まぁ、そうだな。するかもしれんな、あいつは」

「でしょ? だ、だから……ま、まぁ、せっかくなら身近な奴で……済まそうかと……」

 


 向谷は口を少しとがらせながらボソッと呟く。



「身近な奴って……。んなてきとうでいいのかよ?」

「いや……別に、てきとうってわけでも、ない、けど……」

「ん? 違うのか?」

「恋人……候補。みたいな?」

「えっ! こ、候補!? 俺が!?」

「そ、そうよ……悪い?」

「いや、悪くはないが。そんな感じ全然なかっただろうに……」

「あ、あったし!!」

 


 向谷は顔をぐい、と近づけて反論してくる。マジか。俺ってこいつの恋人候補だったんか。となるとこの先何かがきっかけで俺はこいつとお付き合いをする可能性があるということか。――あれ。でも、俺はどうなんだろう? こいつのこと、好きなんか? この二重人格女のことを。もう1人の奴は腹にハサミ突き付けてきてたけど。



 う~ん。でも、付き合うチャンスでもあるよな。付き合ってから好きになっていく可能性もあるしな。――よしっ。



「分かった、付き合おう」

「いや、付き合わないし」

「いや、キスするんなら付き合えよ」

「だから……それはヤなんだってば」

「なんでだよ? ならキスだってしなくていいじゃねぇか」

「そ、それは……だって…………先にとられちゃったら、ヤだし……。もうっ! ど、どっちでもいいじゃない! キスの後から恋人になったって! ドラマとかでもあるじゃん」

「いや、良くないね! 俺はあれ、認めてないし。順番をよく考えろ、向谷」

「……何よ?」

「店の商品は金払って買ってから食うんだよ。食った空のトレーをレジに持ってって金払ってもダメなんだからな? 大事なんだよ、順番は」

「……意味わかんない。ってか、大事な話してるのに変な例えすんのやめて」

「……すまん」



 確かに割と真剣なムードの中、あまり宜しくない例えだと自分でも言ったあとで反省する。

 その後しばらくの間、互いに無言のまま数十秒――、



「あっ! なら、誓いのチューをしましょう!」



 向谷が明るく声を放った。



「誓いのチュー? いきなり結婚する気か?」

「違うし! あたしとあんた。2人でRTCを創設するまで、誰ともチューしないし誰とも付き合ったりしないことを誓うチューよ」

「……なんじゃ、そりゃ」

「い、いいじゃない、別に。ってか、あんたRTCの役員になりたいんでしょ? ならキスや恋人つくりなんてもんは後回しになさい!」

「それを誓うためのキスってことか?」

「そうよ」

「なんでお前と?」

「そ、それは……RTCは、あたしの分身みたいなもんだからよ。だからあたしとチューすることがRTCへの忠誠の誓いになんの! あたしとチューしたらしっかり思考部の活動に邁進まいしんしなさい」



 よくわからん理論を展開する向谷栞。でも、ここで拒否したら、恋人ゲットどころかせっかくのキスの機会も逃す可能性があるな。二兎追うものは一兎も得ずになりかねん。なら、成り行きではあるが――、



「よう分らんが、分かった。しよう、キス」

「えっ……あ、う……うん……」

「なんだよ。ビビったのか?」

「び、ビビってないわよ! じゃ、じゃあ、ちゅ、チューするから、ね?」

「おう」



 くいっ、と少しあがった顔に顔を近づける。20cm。良い香りが鼻をつく。10cm。先ほどのローチェリーナとの距離よりも近くなった。その時――



「あっ。ちょ、ちょっと待って。やっ、んっ。――んんっ」



 急にひよった表情をした向谷の両肩を掴み、そのまま目の前の唇に口元を重ねた。



「んっ…………んん」



 向谷の唇が震えた。

 柔らかい感触。そしてほんのりと伝わってくる口元の温かみ。鼻にはとても心地よい香りが行き渡っている。



 こうして俺はこの日、人生初のキスというものを経験した。もっとも、俺の想像していた理想のキスとは程遠い、RTCとの契約という意味合いのキスになったのはいささか不本意ではあったが、それでも初めて重ねたRTCの分身である小さな唇はとても柔らかかった。



 キスを終え、俺は照れのあまりしばらく見れなかった向谷の表情を確認する。

 先ほどまでのキッ、とした向谷の表情は一変、今まで一度たりとも見たことのない、とても可愛い笑顔で俺を見ていた。



 それから10分程度。2人きりの教室で無言のまま、キスの余韻にでも浸ってるかのようにじっと空間を共有した後、俺は多野さんたちとの打ち上げに行くために椅子から立ち上がった。



「そうえばさ……」

「ん? なんだ?」

「RTCの意味って、ちゃんと分かってるわよね?」

「……RTCの意味?」



 立ち上がっている俺の反応に向谷も椅子から勢いよく立ち上がる。



「最初に言ったでしょ!? Roroho Thinking Clubの略だって! ……まさか、まだ意味を理解してないんじゃないでしょうね!?」



 すっかり威勢を取り戻した向谷に俺は不敵な笑みを見せつけ、

「分からん」

 と一言。



 その瞬間、向谷の表情はたちまち不機嫌になり、腰を再び椅子にストン、とおろしてしまった。



「最悪。……もういい!!」

「おい、早く立てよ。打ち上げ行くぞ?」

「うっさい。……思考停止バカ」



 そう言って机にたいそうに不機嫌そうな顔をうずめた。



「なんだよ。急に不機嫌になんなよ」



 俺は不機嫌に机にしがみついている頑固女を置いて廊下に出る。



 ――こうして俺の高校生活は終わりを告げた。






 ん? 「まだ4月だろ」って? いや、それは俺も思う。だけど、俺が経験したこの一か月の出来事は体感時間3年くらいの出来事だったんだよ。現時点でめちゃくちゃに疲れた。



 てなわけで俺の今後の出来事はみんなの思考に委ねたい。え? 「ふざけんな」って? いやいや、ダメだよそれじゃ。知り得ない箇所はそれこそ、思考で補完ほかんするんだ。向谷に、「思考停止!」ってどやされるぞ。 



 ――大丈夫さ。ここまであいつの訳わからん活動に付き合ってくれたんだ。各々であいつの奇行きこうを思考してやってくれ。

 


 一応青春ラノベお決まりの ”女子とキスする” って条件は果たしたんだ。成り行きだけど。向谷とだけど。俺はそれでも十分満足だよ。



 この後にあいつと一緒にいるせいで起こるかもしれない幾多の困難など経験せずにこのまま卒業式を迎えてしまいたいほどに。すこしでも今の出来事を綺麗な思い出にしていたい。


 

 というかここまでくっちゃべってて1つ皆に尋ねたい。



 ――どうだろうか。一般人はこんな話を聞いてきて、わくわくしただろうか。もしも、そう思ってくれたのなら嬉しい限りだ。俺の今日までの活動が報われる。君たちは考える葦の素質があるに違いない。



 正直、思考するって今の時代流行らないのかもしれない。疲れるしな。あんなのと毎日いると。先人たちが築いてきたこの成熟社会をのほほんと生きるのもいいと思うんだ。



 ――――それでも、この先の思考部が気になるのだとすれば、今、その頭ん中では巨大なエネルギーが湧き起こってるはずだ。

 ひょっとしたらそのエネルギーは立毛筋を刺激して、あいつみたいに毛髪が動くようになっちまうかもしれないがな。



 そんな領域まで到達するような奇人がいたら、ぜひとも思考部の門を叩いて欲しい。あらゆる日常が非日常に見えてくることをお約束しよう。



 と、イキってはみたが、できればこれから先、思考部のみんなとのほほんと蜂蜜をつくったり、海に行ったり、花火を見たりしたいもんだ。できるかは分からんが。



 ――――つか遅せぇな、何やってんだあいつ。



「お~い! 何してんだ? 打ち上げに遅れちまうぞ? 早くしろよ、Rorohoロロホ!」



 廊下を数十m歩いてそこそこ離れた教室に向かって大声で呼びかける。


 




 静まり返った廊下に思考部と看板が付けられている教室からタタタ、と足音が響き渡る。そこから勢いよく跳び出た足音がどんどん大きくなる。



「こら、千賀! 早く打ち上げ行くわよ!! ――ってか、その前にあんたが切ったリボンの代わりに新しいリボン買ってもらうからね!」



 いつも通りの威勢で俺に言葉を放ったRorohoの口元がほんの少しだけ緩んでいる。

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