向谷栞と契約する1
「お前は一体何者なんだ?」
「それは……我にも分からん」
体育祭が終わり、ローチェリーナに呼び出された俺は3階の1年A組に来た。窓の下からは生徒たちの声が聞こえてくる。結局、赤組はローチェリーナのおかげで見事に優勝し、紙屋先輩は思考部に入ることになった。
思考部存続の危機を勝手に招いて勝手に救った。一体こいつは何者なんだろう。
「向谷の前世、とか?」
なおもセパレート体操着姿をしたローチェリーナに問う。
「……さぁな。だが、我が自己を意識したのは今から約2年前。それがこの女によって誕生した人格なのか、はたまたこの女の前世なのかは定かではない」
「その名前は一体誰が?」
「それについてはこの女が名付けた。我が最初にこの女の意識を通してみた机の上のノートにそう記してあったからな」
「あっ。さいですか」
「なかなか気に入っている」
「あっ、はい……」
ローチェリーナはおもむろに部屋の窓に近づき、遠くを見ている。
「遥か遠い、この先の北の地……。この窓から遥か遠い北の大地にある国。身体が自然と惹きつけられる。おそらく、我の前世は帝国ロシアのあの偉大な皇帝、エカチェリーナ1世だったに違いない」
――て、そんな南の窓を見て言われても。どうしたらいいのか分からんのだが。まぁ、地球は丸いからずっとずっとずっとずっとずっ〜〜とずっ〜〜〜と先にはロシアはあるんだろうが。
こいつには是非、次に日本から出発する南極観測隊に同行してもらいたい。一緒に行って途中の南極の永久凍土にその中二病でバーニングファイヤーした思考を叩き込んでこい。そっから先はバタフライで頑張れよ。観測隊の皆様は南極調査でお忙しいからな。――サンバでも踊れるようになって戻って来てくれりゃ、この部活もさぞかし愉快になるだろうよ。
「美しい景色だな。下で多くの人民が楽しげに笑っている。……だが、こうした状況もいつまで続くかわからない事態になっているぞ、千賀人民よ」
「……あっ」
そう言ってこちらを振り返ったローチェリーナの左手には向谷が渡されたあの赤い本があった。
「お前、それ……」
「そう、先日この女が渡された本だ」
「読めるのか?」
「ああ。ここには思想が綴られている。黒き神と白き神の概念についてな」
「黒き神、白き神……」
前に向谷のメールに書かれてたロシア語。中身には一体何が書かれているんだろう。
「どんな内容だったんだ?」
「うむ。端的に言えば黒き神の破壊によって荒廃した社会を新たな白き神が創造していくという概念だ」
「……はぁ」
「フランス革命を知っているか?」
「フランス革命? まぁ、フランスの王政を倒した革命だろ? んで民主的な共和国が成立したんだよな」
フランス革命。国民の不満が爆発して革命が起き、ルイ16世とマリーアントワネットが処刑され、新たなフランス共和国が誕生した革命だ。
「そうだ。だが、事実は少し違う」
「違う?」
「フランス革命を成功へ導いたロベスピエール。奴は王政を打倒した後、恐怖によって多くの人民たちを抑圧したのだ」
「えっ、そうなのか? 知らなかった」
「そんなロベスピエールを何とか打倒したものの、フランス国内にはこの先への漠然とした大きな不安が渦巻いていた。そんなところへ現れたのが英雄。ナポレオンだ」
「……ナポレオン」
「奴らはこのフランス革命に
「白き神……それが向谷だってのか?」
「そういうことだ。国家の大転換に必要なのは2つ。既存の社会を壊す革命家、そしてその更地に新たな価値を創造する救世主だ。この2つの要素はどちらもかけてはならぬのだ。奴らはこの女を白き神とし、この国に革命をもたらす気だぞ」
「マジかよ……」
想像を遥かに超えるような内容がその本には書かれてたんだな。ローチェリーナのおかげで分かって良かった――あれ? でも、こいつも共産主義者、だったよな? だったらこいつもこの本に共感してる、んじゃ――?
「どうした? 千賀人民よ、顔が引きつっているぞ」
「えっ、あ、いや……その……」
「ふっ、安心しろ。我はこの本に書かれている革命には反対だ」
「あっ、そ、そうなのか?」
「ああ。革命には大きな犠牲が伴う。この日本の多くの人民の命が失われるのは、我の本意ではない」
良かった。とりあえずこいつはあの時のヤバイ女よりはまともらしい。まぁ、お前のRTCもなかなかなイカれぶりだがな。
「ゆえに我に協力しろ。千賀人民よ」
「えっ、きょ、協力?」
「左様。奴らは必ずまた接触してくるはずだ。奴らの野望を阻止し、この国の安寧を守るのだ」
「ま、まぁ……そういうことなら、できる限りの協力は、するが……」
「………………」
「な、なに?」
俺の言葉を聞くなり眉をひそめるローチェリーナ。
「確かな
「あ、証?」
「左様。貴様には卑劣な手段を何度もとられているからな。我に協力する確かな証が欲しい」
「証って言われても……どうしろと」
「口づけを
「…………は、はぁ!? く、口づけって、な、なんで!」
「年頃の男女は口づけによって絆が深まる、とこの本に書かれていた」
そう言ってローチェリーナは先ほどまで持っていた赤い本をバッグにしまい、そこから女性向け雑誌 ”ルンルン♪” を取り出した。
「男子は女子からの口づけを喜ぶものだ、とここには書かれてあったぞ?」
「お前。そんな本も読んでんのかよ?」
「無論だ。我も年頃の女子なのでな」
「そ、そうですか」
共産主義思想から今どきの恋愛テクニックまで守備範囲の広いことで。
「さぁ、我と口づけをしろ。千賀人民よ」
ローチェリーナはそう言って俺に向かって3歩前へ歩み寄ってきた。さて、どうするか。こいつの言う通り、あの赤い本のことを無視するわけにもいかない。でも――――、
「……分かった。じゃあするから、目を閉じてくれないか?」
「…………いいだろう」
ローチェリーナはあごをくいっ、と上へ向け、しずかに目を閉じた。
「……悪い」
「ん?」
俺は右ポケットに忍ばせていたハサミでローチェリーナのリボンを素早く切断。輪ゴムによって強固に補強されていたリボンがはらり、と床に落ちる。
「ぐっ……貴様」
「悪いなローチェリーナ。本のことを教えてくれたのは感謝する。でも、俺はやっぱり向谷と一緒にこの思考部の活動を続けたいんだ。みんなと一緒にな。そいつらが近づいてきて困ったときは、また、頼むわ」
身勝手な言い分ではあるが、俺は素直に今の気持ちを伝えた。やっぱり俺は思考部が好きだ。思考部で色々バカなこと考えたりして高校生活を過ごしたい。
「くっ……相変わらず卑劣な奴め……。だが、嫌いではない……。我は必ず、貴様を、手に入れて、みせる、……ぞ……」
「悪いな……」
と。あっさりいなくなってくれるかと思いきや、ローチェリーナは俺の頬をガシッ、と掴み顔を自分の顔に近づけようとしてきやがった。
「なっ! お、お前ぇ!!」
「ふっ。油断した……な。せめて……口づけ、だけ……は……ん~~!!」
「ば、バカ! や、やめろっ。ふざけんなって!」
唇に次第に近づけられる顔。なんて力だよ。や、ヤバイ――このままだと。顔と顔の距離が10cm程度になった時、
「んっ!!」
ローチェリーナの動きが止まった。目を見開いたまま。
「お、おい……どうした?」
目の前にある顔に問いかける。果たして応答するのはローチェリーナか、それとも――、
「……は? えっ? 何? これ? な、なにやってんの? あたし?」
――向谷だった。俺の頬を掴んでいた両手が離れる。そして困惑した様子の向谷が周囲を見渡し始めた。
「んっ、千賀? 何やってんのよ? ってか、ここ、どこ? 教室? あたし今まで何して……って! な、なんで体操着!? ってか、何この恰好!? て、ぶ、ブラ……す、すけ……透けてるしぃ!」
突然自分の身体を見渡す向谷。身に着けているのは体操着。それもセパレートして腹丸出しの格好。しかも透けブラ。驚くなという方が無理がある――が、ここはお約束に一言。
「お、落ち着け向谷!」
「お、お、落ち着けって……落ち着けるわけないでしょ!? 何、これ、どうなってんのよ! 説明しなさい!!」
教室に大声が響き渡る。
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