ローチェリーナは体育祭で勝利する1
「んなことねぇって、あんま先輩にそういう態度をとるなよ」
「だって、勝手にあたし達の部室に入ってきてダンス部に入れよ? 何様よ!?」
綺羅様だよ。あの人は学校でも男女共から一番人気のある人なんだぞ。知らないのはお前くらいなもんだ。
「おいおい、どうしたんだ? 栞ちゃぁん♪ さっ、あたし達と一緒にダンスに青春を捧げようじゃないかぁ♪」
「はぁあ!? い、いつの間にぃ!?」
「……えっ? あ、ちょ、ちょっと! さ、触んないでったら……うっ、うあっ」
「あっ……」
話し合いの最中、紙屋先輩はいつの間にか背後まで忍び寄ってきていたようで向谷はたちまちに紙屋先輩の両手に捕まってしまった。紙屋先輩の両手は向谷のおなか周りをわっしゃわっしゃと撫でまわしている。普段見られない光景、貴重だ。
にしても、後輩とはいえ初対面でよくこんなことできるな。さすがフォロワー8万人のインフルエンサー。人の懐をまさぐるのは得意ってことか?
「やっ、やめて…………んっ。ひゃあ!!」
「うりゃうりゃあ!! ダンス部に入んなさい? 楽しい青春送れるぞぉ♪」
「や、やめ、て……たらっ。うっ、んんっ! ふわぁ!!」
「ふわぁ、だって。可愛い~~」
「ねっ、こんな後輩がダンス部来てくれたらたまんないっしょ!」
紙屋先輩の両隣の侍女たちも一緒になって向谷の頬や肩をさすっている。
――なんだろう。ちょっとエロいな。紙屋先輩の両手に腹をまさぐられている向谷の腰がくねくねと左右に動いている。俺はそんな腹部にうっかりくぎ付けになってしまった。そしてミスった。
「――あっ、やべ! た、多野さん!」
「はぇ? ……あっ!!」
そう、向谷の頭部への注意がおろそかになった。俺たちはこの一週間、向谷の中からローチェリーナが出てこないように注視していたのだ。具体的にはリボンを輪ゴムで補強していた。向谷は「ダサいからいや!」と渋っていたが、目立ちにくいピンク色の輪ゴムをわざわざ百均で買って、「前みたいに貧血で意識を失わないための対策だ」とテキトーなこと言ってなんとか家でもその輪ゴムで対策をしてもらっていた――のだが、それが千切れて俺の机の上に落ちてる。
慌てて頭部に目を向けると激しく角髪が動いている。そして封印が解けかけていた。俺と多野さんは急いで向谷のリボンに手を伸ばす――が、遅かった。
俺の右手が向谷の右手に、多野さんの左手が向谷の左手に、それぞれがっちり捕まった。先ほどあれほどくねくねしていた腰は止まり、エロい声を出していた口が堅く閉ざされている。
「あっ……と、む、向谷?」
「…………久しぶりだなぁ。千賀人民よ」
「あっ、お久しぶりです。ローチェリーナさん」
凍てつく大きな瞳。そこにいたのはやはりローチェリーナだった。
「この一週間、ずいぶんなことをしてくれたなぁ?」
「えっ……いや、な、何のことっすか?」
「ふんっ、白々しい。我が出てこれんようにリボンを輪ゴムで補強するような小細工をしおって。おかげでこの一週間、我は出てこられなかったのだぞ?」
「あ、ま、まぁ……。ってか、そんなの知らねぇし。この身体は向谷のなんだよ。それに出てこようと思えば夜中にでも出てこれたんじゃねぇの?」
うっかり使っていた敬語をやめる。こいつのペースに乗るとろくなことにならんからな。流されないように注意が必要だ。
「その時間は我も寝ておるわ」
「あっ、そうなんだ」
へぇ。寝てるんだね、別人格も。二重人格じゃないからその辺の事情は知らんが、そういうもんらしい。勉強になった。
「ふっ。まぁいい。今はそれよりも大事なことがあるからな」
俺を睨んでいた目が後ろを振り返る。
「おい、貴様ら。いつまで我の身体をまさぐっているつもりだ?」
そして再び開かれた口からはドスの利いた低い声。ローチェリーナは凍てつくような目で紙屋先輩を見つめた。
「あっ、と……ご、ごめん…………」
先輩たちは慌てて両手を離した。やっぱビビりますよね、その目は。ローチェリーナは両手から解放された腹部のシャツの乱れを直す。不可抗力ではあるが、ちょっと白い腹を見てしまった。
「さて。紙屋人民とか言ったな?」
「へっ? あ、と、うん。紙屋だけど」
「先ほどの話だが、貴様のダンス部に入ってやってもいい」
「えっ、お、おい!」
「はぇ!?」
突然のローチェリーナの言葉に俺と多野さんは動揺を隠せない。無理だけど、俺ダンスできないし、多野さんも多分。絶対できないと思うよ?
「え、ほんと!?」
「やりぃ!!」
「よかったじゃん、綺羅」
一方の先輩たちは大喜びだ。
「ただし、来週の体育祭で我に勝てれば、だ」
「……へ?」
喜んでいた紙屋先輩の動きが止まる。
「貴様が我に勝ったらこの思考部の4人全員、首をそろえてダンス部にくれてやろう」
4人? ――1、2、3…………あっ、勝手に今日いない大野先輩も含めてやがんのか、こいつ。
「ただしもし我が勝ったら貴様がこの思考部に入れ」
「えっ、あ、あたしが!?」
「左様。我は貴様が気に入ったぞ。ぜひともこの思考部に欲しい。どうだ?」
「…………へぇ。面白いじゃん。でも、いいの? あたしの青組、今年はめっちゃ強いよ? 陸上部のエースもいるし」
「無論だ」
「……オーケー、じゃあその勝負乗った!」
こうして突然しゃしゃり出てきたローチェリーナが勝手にした約束によって俺たち思考部は存続の危機に陥った。紙屋先輩たちが教室を出て行ったあと、俺と多野さんはローチェリーナの頭のリボンを2人がかりで取ろうとした。が、異常な身軽さでうなぎのように逃げまくりやがった。とりあえず捕獲を諦めて会話をする。
「お、お前なぁ、なんであんな約束勝手にすんだよ!?」
「何がいけないのだ?」
「何がって……勝手に俺たちの首まで差し出すなよ。しかも今日いない大野先輩のまで含めてるし」
「わ、私もだ、ダンスなんて……お、踊れないですぅ」
「問題ない。大野人民は我と同じ赤組だ。つまり奴1人に対し、我ら思考部は2人で勝負できる。まぁ、我1人でも十分ではあるがな」
「あ、あっそ……。つか、いい加減身体を向谷に返せっての!」
「………………」
「あ? ど、どうした」
なんで黙ってんだ? 息絶え絶えの俺たちに口元を上げ、
「ことわる」
と、一言。
「はぁ!? こ、断るってお前……そのまま向谷の身体を乗っ取る気かよ!?」
「それも良いかもしれんな」
「それも良いって、お前……」
「はぇえ!? そ、そんな。向谷さんがかわいそうで――んぐっ」
「黙れ。静かにせよ、多野人民よ」
向谷を心配するがあまりローチェリーナへ不用意に近づいた多野さんの両頬がローチェリーナの右手によって鷲掴みにされた。こういう扱いをするところは向谷とはさほど違いがないんだな。
「ただのジョークだ」
ただのジョークって言われても。俺らはお前がジョークを言うような人間には見えてねぇからな。
「千賀人民も安心するがよい。我がこの身体を使うのは体育祭までだ」
「た、体育祭までって……」
「体育祭は5日後なんですけど……」
「うむ。ならば5日後までこの身体は我のものだ」
「なっ! んな勝手な――んぐ」
「まぁ落ち着くのだ、千賀人民よ」
多野さん同様に今度は俺の両頬も左手で鷲掴みしてきやがった。
「我はあの女が欲しいだけだ。体育祭であの女に勝ち、こちらに取り込めればこの身体は返してやっても良い」
「ほ、ほんとはよ?」
「無論だ」
正直こいつの言っていることが本当かどうかはわからない。が、だからといって俺と多野さんでこいつを封じるってのも無理だったし。後ろの顧問は寝たふりしてやがるし。何よりもしこいつが負けたら思考部の全員ダンス部に入部するって約束しちまったからなぁ。正直こいつじゃなくて向谷で勝てるのかって話もある。負けたら負けたであいつ怒り狂うだろうしな。――こいつ俺らが手が出せないようによく考えてやがるな。
「と、いうわけだ。これから体育祭まで、思考部は休部とする」
「きゅ、休部?」
「左様。我は体育祭の準備があるからな」
「じゅ、準備?」
「では――、」
そう言うとローチェリーナは教室から去っていった。
「……多野さん」
「はい」
「明日から、どうしよっか」
「えっと……向谷さんは……来ないですけど、一応部活動は、私たちだけでもやった方が、いいと思います」
「……そっか。そだね。そうしよっか」
「はい」
結局、俺たちはこの状況をどうしたもんかと思考したが、ここは5日程度向谷には我慢してもらうことにした。許してくれ。体育祭が終わったらちゃんと戻してやるから――できたら。
それから体育祭までの間、俺は多野さんと2人で部活動をした。といってもローチェリーナのことが気がかりでこっそりと何をしているかも見ていた。
あいつは赤組のサブリーダーになってた。同じ赤組の3年C組の教室まで行ってサブリーダーの地位をもぎ取ったらしい。で、そのローチェリーナの指揮のもと放課後に赤組の連中で予行練習してるよ。グラウンドで。グラウンドを使ってたサッカー部がすみっこに追い立てられる様子を部室から多野さんと巫さんと見てる。
あと大野先輩も予行練習に駆り出されてた。どうりで部活に来ないわけだ。捕まってたんだね、ローチェリーナに。
♦︎
こうしてあっという間に5日が経ち、いよいよ体育祭がやってきた。
翡翠高校の体育祭は赤組、青組、黄組、緑組、桃組の5組で競う。ローチェリーナと大野先輩が赤組、紙屋先輩が青組、多野さんが黄組、そして俺が桃組だ。
――――桃組だけおかしくねぇか? 白とか黒で良くね? 桃組って、幼稚園じゃないんだから。なんかこのピンク色のハチマキ恥ずいんだけど。
まぁ、仕方あるまい。今日の体育祭は別に俺の桃組は思考部存続には無関係だしな。思考部の命運は赤組にかかっている。
頼むぞローチェリーナ。そしてすべての競技が終わった暁にはお前のその中途半端に右紐だけ長くたなびいているリボンをもぎ取ってやるからな。ったく、解けないように俺が用意したピンクの輪ゴムを器用に使いこなしやがって、腹立つ。
しかも今日もばっちり目の上に青いアイシャドウを塗りたくってやがるし。今日はせめて赤にしとけよ。不吉だろうが、青は。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
「無論だ。余計な心配は不要だぞ。千賀人民よ」
「ローチェリーナさん、大野先輩、頑張ってくださいね」
「任せよ、多野人民」
「まぁ、負けたらダンス部に入るって話になってるらしいし、頑張るしかないな」
「すんません。頑張ってください、大野先輩」
大野先輩はとんだ災難だな。俺や多野さんは兼部してないからまだしも大野先輩は柔道部にも入っているわけだしな。柔道部からダンス部へのクラブチェンジはなかなかハードルが高かろう。ローチェリーナには是が非でも勝利してもらいたい。
「おぁ、みんな揃ってるね? ん? あれ、海翔じゃん。どったの?」
「うっす……」
俺たちがだべってるところに
「あれ? 2人は知り合いなんですか?」
「ん、そうそう。同じ中学だったんだよね。生徒会も一緒にやってたしね」
「へぇ。そうなんですか」
「あれ? もしかして海翔も栞ちゃんの思考部ってのに入ってんの?」
「ええ、まぁ」
「へぇ~、じゃあ海翔もダンス部入部決定だなぁ。あははっ」
「えっ……」
紙屋先輩は屈託のない笑顔を見せる。キラキラしてて眩しいぜ。
「何を寝ぼけたことをほざいているのだ、貴様は?」
「お? き、貴様? どうしたの、栞ちゃん?」
「あっ、と……なんか競技前で殺気立ってるみたいっすね。あっ、あんま近づかない方がいい、と、思います」
そう、近づいてはいけない。こいつは向谷ではないのだから。何するかわからん。紙屋先輩からは一定の距離をとらせておかねば。
「なるほど、そっか。じゃあ今日は頑張ろうね、栞ちゃん。絶対に勝ってみんなをゲットしちゃうかぁらなっ♪」
そう言って紙屋先輩はウインクをしながら俺たちをくるくるっと指さした。なんだろう。全然腹が立たない。向谷にされたときはめちゃくちゃムカついた行為なのに。やっぱやる人が違うと違うもんなんだなぁ。このままダンス部に
♦︎
そしていよいよ競技が始まった。最初は大玉転がし。赤組はローチェリーナと大野先輩の2人が出てきた。
大玉の前でスタンバイしているのはローチェリーナ1人。大野先輩はその隣でなぜかクラウチングスタートの態勢だ。何だろう、あれ。
「位置について――よ~~いっ――――」
パンッ、と大きな空砲とともに一斉に大玉が転がる。ローチェリーナは赤い大玉をなぜか1人で転がしている。折り返し地点のカラーコーンまでは100m。往路と復路の計200mの競技だ。
「おぉ、すげぇ!!」
「やるわね、あの子」
1人で大玉を転がし続けるローチェリーナ。その間に大野先輩は中継地点のカラーコーンまで先にたどり着き、カラーコーンから10mほど後ろで待機している。そしてローチェリーナがカラーコーンまでたどり着くと大野先輩は勢いよく走る。そして――、
「うわぁ、すげぇ!」
「あれって、いいの?」
周囲から感嘆の声や疑問の声が上がる。なんと大野先輩はローチェリーナによって運ばれてきた赤大玉を勢いよく蹴り上げたのだ。いや、ちょっと浮いたんだが。あれってそんな簡単に蹴り飛ばせるもんなのか? という疑問を俺も抱いたが、実際蹴り上げられた赤大玉は勢いよく転がる。そしてその勢いついた赤大玉に追いついたローチェリーナがさらにその勢いを加速させた。
「は、はぇええ!!」
「あれ、ちょっと待って……」
「あ、に、逃げろぉ」
「きゃああ!!」
夢中になっていた大衆が気が付いた時には時すでに遅し。戻ってきた赤大玉はボウリングのピンのように律儀に並んでいた上級生たちを弾き倒した。
「だ、大丈夫か!?」
「た、タンカ!! 早くタンカ持ってこい!」
赤大玉に倒された煤被先生や生徒たちに慌てて駆け寄る教師たち。おい、そこの先公共! 呑気に見てちゃダメだろ。もっと早く逃げるように促せよ。てか、ピンみたいに弾き飛んだ先輩方! 何故避けない? ダメだよ、ぼうっとスマホ構えてたら。赤大玉が眼前に迫っていたのは見えてたはずだ。目の前の現象を思考し、そして行動する。思考停止じゃ、眼前の危険から逃げられない。
思考部部員として助言させてもらう。まぁ、かくいう俺もあまりの様子に動けんかったけども。多野さんは優秀だ。しっかりと後方に退避してるんだから。さすがだよ。向谷のせいで危機管理能力が飛躍的に向上してる。副部長の有力候補者だよ、あなたは。
その後も赤組は先ほどのような奇妙な戦略で次々に勝っていった。カラーコーンの場所で蹴るのは大野先輩みたいな屈強な男子。サッカー部の奴もいた。まさか大事な足で大玉を蹴らされるとは思わんだろうな。ってか、これってルール上ありなんか? とも思ったが実行委員会からは指摘がなかったからありなのだろう。
真似した黄組の男子生徒が1人保健室送りになってた。
♦︎
続いて玉入れ。俺も桃組として出陣だ。玉入れにはコツがある。全員で一斉にかごに向かって玉を投げるのだ。そうするとかごの上で玉同士ぶつかってかごに入りやすい。桃組の他も同じ戦法をとっている。ただ1組を除いて。
「おい、また赤組が変なことやってんぞ」
「なんか、怖い……」
そんな声を聞き、俺は競技中ではあるものの少しだけ赤組の方を見た。するとそこには5人の人間がまるで機械のように玉を投げ入れている光景だった。
5人だけカゴを見つめ、そこへ周囲の生徒たちが拾い上げた玉をセットしている。そのセットされた玉をかごを見つめ続けている人間たちが機械的に投げている。
まるで大砲とそれに砲弾をセットする海賊のようだ。
「…………すげぇ」
思わず呟いた。だって全部入ってんだもん。おかしくね? 普通入らんだろ。と、思ったが投げている人間たちは足をぴくりとも動かさず、ただただ同じ姿勢で投げている。だから出来るのだろうか。でも、楽しいか、あれ? 投げてる奴も拾っている奴も一切笑顔がないんだが。多分後ろで声を張り上げている女のせいだろうな。
「いけぇ!! すべての玉をかごの中へ叩き込めぇ! おい、貴様ぁ!! 腕の位置が2°下がっているぞ! すぐに修正しろぉ!!」
女が猛々しく吠えた。結局、赤組は落ちていた玉すべてをかごの中に放り込んでいた。初めて見たよ。終わった後にまったく玉が落ちてない玉入れを。
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