向谷栞はコンテストを思考する1
「本日からこの翡翠高校で勤務する
新米教師の挨拶が教室に響く。あの公安突入事件からちょうど1週間。翡翠高校に新しい先生がやってきた。目の前にいる煤被先生は1年生の副担任になるらしい。
「煤被? なんか珍しい名字ですね?」
「……煤被って、名字検索でも出てこないや」
「全国で先生1人だけなんじゃね?」
「バカ、親戚とかいるだろ」
「先生、独身ですかぁー?」
クラス内はちょっとしたお祭り騒ぎ。まぁ、目の前にいる女性教師はすらりとしたモデルみたいな体形だし、少々威圧的だがぱっちりした大きな目をしているからな。このご時世にルッキズムはいかがなものかとは思うが、やはり男子生徒たちの興味はひいている。まぁ、俺もひいてるけど、別の意味でな。
――――本当にきやがったよ、あの公安。
そう、目の前にいる女性教師の正体、それは先週俺たち思考部の部室に突入してきた公安第二課所属だという巫神奈だ。実はあの後、こんなやりとりがあった。
♢
「ところで公安、我と取引をしないか?」
「と、取引? なんであたしが高校生のあなたとそんなことをしなくちゃいけないわけ?」
「あの日、あの男子生徒は言っていたのだ。また会おうと」
「えっ! その話は本当!?」
「ああ。我の見立てでは奴はまた接触してくる可能性が高い。我らに興味を示していたからな。その時に得られた情報を貴様に提供してやろう。どうせあの日もたいした成果は得られなかったのだろう?」
「ぐっ……。ま、まぁ悪くない条件ね。で? こちらは何をしたらいいのかしら?」
「うむ、簡単だ。この翡翠高校の教師として潜入し、この思考部の顧問となってもらいたい」
「きょ、教師に? しかも、ここの顧問になれっての?」
「左様。
「へぇ。まぁ、こんなよく分かんない部活の顧問は先生たちもなりたくないかもしれないわね」
「そこでだ。貴様にこの思考部の顧問を務めてもらう。奴の情報も得られ、貴様のその固い思考も柔らかくなる。一石二鳥ではないか」
「だ、誰が固い思考よ! ……でも、まぁ、条件は悪いくないわね。本当に情報はすべて提供してもらえるの?」
「無論だ」
「……分かりました。検討させてもらいます」
♢
――と言ってご帰宅されてから1週間、ローチェリーナの
まぁ、そんなことはどうでもいい。そう、問題はそこじゃない。なんだよ。あの名前。自己紹介として黒板に書かれた煤被芙々季の文字。
巫っていう神社っぽい本名とは対照的な文字通り
♦
そして放課後。思考部に集まった俺たちの前にローチェリーナの指示通り、煤被先生は白々しく入ってきた。
「あ、あらぁ……こ、こんなところで何しているの? もう遅いから早く、か、帰りなさぁい」
「……何ですか? 煤被先生。あたし達、部活動してるんですけど?」
いきなり入ってきた大根演技をかます煤被先生に向谷は露骨に嫌な顔を見せる。邪魔されたくないのだろう。
「あら? そ、そうだったの。こ、ここは一体……どんな部活なの?」
「思考部です」
「はて? 思考部?」
知らないふりも白々しい。
「日常のいろんなことを思考する部活です」
「ま、まぁ! なんて素敵な部活なのかしら。ぜひあたしも入れて欲しいわぁ」
欲しいのは情報、だけどな。
「え、ほ、本当!? 実は今、顧問の先生を探してるんです」
「あらぁ、ならその顧問の先生。あたしがやってあげましょうか?」
「ほ、本当ですか!? やっ、やったぁ!!」
てな具合でなんとか大根演技で思考部顧問へ潜入成功だ。ちなみに向谷は煤被先生の正体を知らない。ローチェリーナとの約束で向谷には余計なことを言うなと俺たちは釘を刺されている。
釘を刺した奴はやけに素直に俺にリボンをもがれてさっさと消えやがった。また出てきそうだけどな。まぁ、公安なんて非日常のものを出されても向谷も余計に混乱しそうだしな。今はこいつの精神面も考慮して秘密にしとくのが吉だろう。
「そんじゃ、改めて部活動を始めましょう~~!」
煤被先生が一番後ろの席に腰を下ろし、改めて部活動が始まった。向谷の声がとても明るい。ここ最近、バス停や公園での奇妙な出来事ばかりだったからな。そこへきての顧問の登場は嬉しいサプライズだったのだろう。が、この人もそんな奇妙な出来事の付属品としてここへやってきた人物であるわけだ。知らないというのは幸せだな。
「今日のテーマは~、これ!」
嬉しそうに黒板に先ほど板書した文字を叩く。今日のテーマはしょうもない。「何故、体育の時間は男女別で行われるのか?」だ。翡翠高校では男女別で体育の授業がある。男女で人数が少ないと教師に負担がかかるので、A組とC組の男子、A組の女子とC組の女子が合同で授業をするのだ。奴はこれが理解できないらしい。受ける人数が同じなら分けなくても良いじゃないと。
んなもん、答えは決まってる。「男子が女子をエロい目で見るから」です! はいっ、それで終わり。ゆえに今日の俺は完全フリー。俺は机の下でそっとスマホを開く。
『追放地の荒野でテイムした使い魔はなんと、SSSランクでした〜せっかくなんで、とりま勇者目指します〜』
学校から帰宅してからの貴重な時間で頑張って書いたこのラノベが今、9万字。10万字まで行けばこの出版社主催のコンテストに応募可能なのだ。締め切りは今日まで。悪いが今日は机の下のスマホでラノベ執筆を――ん? 何だろう。急に辺りが暗く――はっ! と、気がついた時にはもう遅かった。
「ずいぶんとにやにやして楽しそうねぇ。千賀君♪ 机の下でいじってるもん、出しなさい? 画面ロックはしないで」
「くっ……」
俺は渋々机の下でいじっているスマホを差し出す。
「またこれ? あんたいっつもラノベばっか書いてるわよね?」
「い、いいだろ、別に」
「いくない! 今は思考部の部活動中なの。なのに何でこんなもの書いているのかしら?」
「しょ、しょうがねぇだろ。だってコンテストが――」
「コンテスト?」
「あ、やべ……」
向谷は取り上げた俺のスマホ画面を目の前に向けてきた。
「応募しようとしてるコンテスト……見せなさい」
「は? な、なんで――」
「退部、させよっかな」
「……はい」
退部をちらつかせて脅す部長に俺はしぶしぶ応募予定のコンテストを見せた。
「ふ~~ん、こんなコンテストがあるのねぇ」
向谷は俺から取り上げたスマホをスクロールしながらつぶやく。
「あっ!」
「ん? 何、どうした?」
「これ! あんたが応募しようとしてるこのコンテスト! これ変よ!?」
「ん? 何? なんかあったか?」
俺は向けられたスマホ画面を確認した。が、そこには各賞と賞金が記載されているくらいでおかしなところはなかった。
「なんで大賞、金賞、銀賞、特別賞があるの?」
「……は?」
また、おかしなことを言いやがった。俺の応募する予定のコンテストには大賞と金賞、銀賞、特別賞が設けられている。それが何だってんだ。
「だから何だよ?」
「なんで混ざってんの?」
「混ざってる?」
「そうよ。大賞があってその次が金賞。意味わかんない! 定量的じゃない! こんなの賞の名前をよく考えてないのが丸わかりじゃない! きっと今までがずっとこうだったからって思考停止で平気でこんな恥をさらしてるんだわ!」
「ん、んなことねぇよ! いいからさっさとスマホ返せ!」
取り返そうと手を伸ばすが、その伸ばした手に
「んなことあるわよ! ねぇ、椎菜?」
「はぇ!? えっと、あの……」
俺たちの様子を隣でうつらうつらしながら見ていた多野さんの身体がぴくっ、と浮いた。
「んなことねぇよ。ちゃんと考えてるに決まってんだろーが。ねっ、多野さん?」
「は、はぇえ……えっと」
多野さん、ごめんね。しどろもどろさせちゃって。でも、仕方ないんだ。こいつの意見に同意されたら1対2で負けるから。しばらく、そのまま「はぇえ」っててくれ。視線を向谷へ戻すとしぶい顔で画面を見ていた。
「おまけに金、銀と来て銅がないのも
画面を見ながら顔をしかめている。いいんだよ。そういうもんなんだって。つか、スマホ返せ。
「でも、金閣寺、銀閣寺はあっても銅閣寺はねぇんだから別におかしくはないんじゃないか?」
大野先輩ナイス。大野先輩も今日のテーマのくだらなさに終始腕組をしていたが、いいタイミングで絶妙な発言をしてくれた。ありがとうございます、先輩!
「そ、そうだよ! 大野先輩の言う通りだよ、向谷? 日本では古来より銅は軽んじられてたんだ、きっと。で、大きいものや特別なものを信仰していたに違いない。大仏とかデカいだろ、あれ。その名残なんだよ、きっと。そういうもんなんだよ」
「……むむ」
納得していない顔だ。
「……なら、電話してみなさいよ?」
「へ? で、電話?」
「そっ、このコンテストやってる主催者に聞いてみてよ」
「な、なんて言って聞くんだよ?」
「『あのぉ、お忙しいところすみませぇん。御社のコンテストに大賞と金賞、銀賞、特別賞があるんですけどぉ、なんで金賞銀賞の上が大賞なんですかぁ?』って」
「聞けるか!」
明らかにおちょくったような口調で話してくるところがムカつく。
「何でよ!」
「な、何でって、そりゃあ……」
そう問われて言葉が詰まる。――たぶんそんなこと考えてないと思うから。
ほんとのとこ、自信がない。このコンテストを企画した人たちはそんなこと考えてない気がする――いや、絶対考えてない。
そりゃあ、企画した人たちだって暇だったら考えるだろうさ。「何でだろうなぁ」って。でも、そんな余裕あるはずがない。今のラノベ業界は大変なのだ。本が売れないと言われるこの時代。宣伝にかけられる経費だってないだろう。
だから現状ではネット小説で人気が出てる良さげなもんを拾ってきて書籍化するのがスタンダードなのだ。きっと凄まじい勢いで衰退している業界の再起をかけて、必死で次にヒットしそうな作品を血まなこで探しているに違いない。
ネット小説で箸にも棒にも掛からぬ俺にとって、そんな出版者様が主催してくださるコンテストはまさに天国から地獄の底に差し伸べられた蜘蛛の糸のようなものなのだ。こいつが疑問に思っている「大と金は比較できないのにおかしくない?」とかはどうでもいい。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うじゃないのよ」
――――しつけぇな、ローチェリーナかテメェは。いいんだよ、一生の恥でも。それにこの場合、ことわざの通りにはならない。この場合、きっと、『聞くはコンテストからの永久追放』だろう。「なんだ、こいつ! クソ忙しい時に訳分からんことを聞いてきやがって!」と、編集部の皆様のご機嫌を損ねて終わりだ。
「てか、金賞の上が大賞だって誰が決めるの?」
「そりゃ主催者だろ」
「でも、大と金って別物じゃない? やっぱもっと誰が見ても『あっ、こっちが上だな』って分かる賞にした方がいいと思う。椎菜もそう思うでしょ?」
「えっ。あの、その……」
「このままでいいよね。多野さん?」
「は、はぇええ……」
困った時の多野さんだ。今日は大野先輩もいるが、基本は3人での活動。多野さんの支持は重要だ。
「まったく、優柔不断ねぇ。――ほらぁ、この大賞受賞した人のコメントを見てみなさいよ」
「……あ?」
向谷が見せてきたのは過去の大賞受賞者のコメントだった。そこには「お電話いただいた時、おもわず大賞って一番上の賞ですか?、と聞いちゃいました」と書かれている。
「ほらっ、この人。『大賞って1番上の賞ですか?』って聞いちゃってるじゃないの」
「いや、それは受賞の喜びを表現しているというか、比喩表現だろ。本当に分からなくなった訳ではなく、それほどの喜びで頭が混乱していると言う言い回しだ」
「――と、言うことなんで。この分かりにくいコンテストが多い日本。もっと分かりやすい賞の名称を思考します!」
――無視しやがった。この一週間、俺がどんだけお前をフォローしてやったよ? ローチェリーナの支配から解放されて目覚めたお前の目の上がアイシャドウまみれになってた理由もお前が気を失ってた合間にした俺のいたずらってことにして背中を蹴らせてやったし、その後もローチェリーナが出てこないようにお前が学校にいる間、ずっとリボンの紐を気にかけてやってたんだぞ。
本当にこいつは。「出でよローチェリーナ! そしてこの傲慢女の目の上を再び真っ青に塗りたくりたまえ!!」と叫びたい。
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