巫神奈は監視する1



 昨日のローチェリーナの封印の翌日放課後。俺はいつものように思考部にいる。珍しく部室には4人全員が会している。俺、多野さん、大野先輩、そして向谷――ではない。



「では、これより思想教育を始める」



 そう、ローチェリーナだ。くそっ、本当にもう戻って来やがった。昨日の今日で。今日の登校時からこんな様子だったらしい。同じクラスの女子は凍るような視線にビビるわ、授業中の教師のことは人民呼びしやがったらしい。



 で今日の1限目、A組はちょっとしたパニックになっていたんだと2限の体育の時にA組の男子に聞いた。その後、俺は昼に大急ぎでA組まですっ飛んでったら案の定、このありさまだった訳だ。



 A組に訪れた俺を見つけたローチェリーナは阿修羅のような剣幕で俺に向かってきた。それを周りにいた女子8人で抑えてくれた。が、ローチェリーナは馬鹿力で女子8人を引っげて俺の3m手前まで迫ってきたので俺は必死にその場で土下座した。8回も。



 周囲の女子たちへの謝罪も込めて、何度も何度も。周りの女子は引いてたね。いきなり別のクラスからすっ飛んできた男子が土下座を始めたら、一体何事かと、そりゃそうなるわな。



 ったく。昨日あんだけリボンをしっかりと結んどけっつったのに、解けちまったってのかよ。やっぱりあの本が手元にあることで向谷の中に眠っていた共産主義を思考する別人格、ローチェリーナが容易に表面化するようになったとしか思えない。 



 結局、なんとか俺は昨日の非礼をローチェリーナに許してもらい事なきを得た。が、ここまで来たらもはや俺1人でどうこうできる状況ではない。昼休みのうちにお休み明けの多野さんと大野先輩に今の向谷の状態を説明した。



 多野さんは信じられないといった表情を浮かべていたが、大野先輩の方は昨日の向谷の様子を見ていたから納得、してくれたようだ。

 そして、放課後。俺たち3人は教壇に立つローチェリーナを見上げている。



「――と、このようにロシアの恐怖政治というのはロシア革命後の共産主義社会から始まったわけではなく、イヴァン4世の時代にはすでに始まっていたと言える」



 今、この思考部は部としての機能を失い、思想改革というローチェリーナの演説を聞く場となり果てた。

 頭部に視線をやると案の定、片方の紐が解けかかっている。あれを誰かがどうにかしなくては、再び小魔王の封印を成すことはできない。



 が、俺が少しでも動くたび、教壇で板書するローチェリーナは右手のチョークをぶん投げる素振りを見せて威嚇してくる。相当に警戒されてるな。俺が一体何をしたっていうんだ。



 どうするか、3人で一斉に抑えにかかるか。だが、下手に動いて教室の外へ逃げられでもしたら厄介か。

 再びローチェリーナを消す方法を思案していたその時、――突然教室の前後の扉がガラリ、と大きな音を立てた。

 扉に視線を向けた途端、十数人の人物が雪崩れ込んできた。

 


「全員動くな! 今すぐ手に持ってる武器を捨てなさい!」



 ――――しばし思考停止。当然だろう。いきなり巨大な盾を携えた集団が教室に雪崩れ込んできて、俺たちの周囲を取り囲んでいるのだから。本当に突然に、足音さえしなかった。これって、あれか? よくドラマとかで突入シーンなんかで機動隊が使ってるやつだよな。



 そして、そんな盾で出来上がった輪の向こう側には見知らぬスーツ姿の女が大声とともに何かを構えている。黒いスーツと同系色でよく見えないが、あれって、まさか、拳銃か?



 ――って、んなわけねぇって。何で機動隊が高校の教室に突入してきてんだって話だ。ないわな、ないない、それは。こんな風にあり得ん状況も冷静に思考すれば租借そしゃくできる。これもこの2週間ほどの思考部での活動の賜物たまものだ。



「あ、もしかして演劇部の――」

「動くな!! それ以上動いたら撃つ! 武器を捨てて手をあげなさい!!」



 立ち上がろうとして浮かした腰が一瞬にしてフリーズした。

 女は手に携えている拳銃を俺に向けている。ものすごい迫力だ。と、同時にある思考が頭をよぎる。



 ――――――あれ、本物なんじゃないだろうか?



 そう思った途端、俺は浮かしていた腰を静かに椅子におろす。次に手元を見る。シャーペンが握られていた。俺は右手に持ってしまっていたシャーペンをゆっくりと机の上に転がした。



 そして、ゆっくりと周囲を見渡す。多野さんは既に両手を高くピシッ、と伸ばし口を半開きにして小刻みにふるふると震えている。大野先輩も肘を机につけた状態で両手を上げていた。



 ――――え、これ、マジ、なの? だとしたらこれってどういう状況だ? なんでこうなった? ヤバイ、何も考えられん。今にも思考停止して、気を失ってしまいたい。



「なんだ? 貴様らは」



 そんな思考が停止しかけている俺の脳内に向谷、いや、ローチェリーナの声がした。朦朧もうろうとする頭を教壇の方に向け、ローチェリーナの姿を捉える。



「公安第ニ課所属、巫神奈かんなぎかんなよ!」



 大きな盾の隙間を縫ってきた女は俺に向けていた拳銃を下ろし、ローチェリーナを見る。



 かんなぎかんな。――そうなんか。かんなぎなんか、などと回文にしてる場合じゃない。いきなり入ってきたこいつらは、何者なんだ? こうあん? こうあんって、あのドラマとかに出てくる警察組織の公安か?



「そうか、で。その公安が何用でここへ来た?」



 ローチェリーナは右手に持っていたチョークを置き、公安だとかいう巫さんの方を向き、威風堂々、両手を腰にあてた。



「先週の土曜日、あなた達がこの学校の近くのバス停で接触した男子生徒がいたはずよ」



 いた。確かにいたな。



「確かに。我らは先週の土曜、貴様の言うように男子生徒とバス停で接触している。が、それがどうした?」

「その男子生徒は我々、第二課が捜査している重要人物なの。過激派のね」



 えっ、マジかよ。あいつ、そんな危険な奴だったのか。確かにヤバそうな雰囲気はしてたけど、まさか公安なんかにマークされてたってのか。それでそんな奴と接触してた俺らの所へ突入してきたってことなのか!?



「――――で?」

「で? って。だ、だからあなた達もあの男子生徒の仲間でしょうが」

「違う」

「しらばっくれるつもりなの? いいわ」

 巫さんはそう言うと、スーツの内ポケットに手を入れ、何かを取り出した。

「これを見なさい」



 そこには先週の土曜日、俺たちがバス停にいたところが写されていた。あの時に話しかけてきた男子生徒とともに。



「これでも知らないと言い張る気? 無駄な抵抗はやめなさい!」



 下げられていた銃口がローチェリーナを捉えた。 



「しらばくれる? あの男子生徒とはたまたまあのバス停で接触したに過ぎん。向こうが勝手に話をかけてきたのだ。公安というのはロクに証拠もなく善良な一般市民である我らに銃口を向けるのか?」



 なんて奴だ、ローチェリーナ。銃口を向けられているというのに全く動じてねぇ。まぁ、「処刑する」とか過激な発言していた奴が善良な一般市民ぶるのはいかがなものかとは思うが、この緊急事態だ。頑張れ、ローチェリーナ。



「くっ……な、なら、あのバス停で一体どこへ向かったの? 我々はあの男子生徒の追跡であなた達がどこへ行ったのかは追えていないの。イレギュラーな接触だったから」

「ふっ、そうか。では情けない公安に説明をしてやろう」

「な、情けないですって!?」



 あ、何言ってんだ、馬鹿! 挑発するようなこと言いやがって。ローチェリーナに向けられた銃口が小刻みに上下に震え始めた。



「説明してやれ。……千賀人民よ」

「…………え? お、俺!?」

「そうだ、貴様が説明してやれ。先週の土曜日は大活躍だったではないか?」

「だ、大活躍!?」



 その言葉とともに銃口の照準は再び俺にあてられた。あ、何言ってやがる、バカチェリーナ。昨日俺にされた仕返しのつもりか、意地の悪い笑みをこちらに浮かべている。



「一体どういうことなの? 説明しなさい!」



 説明しろと言われれば、説明はできる。が、問題は信じてもらえるかどうか、だ。だが、下手に変な言い訳をしても別の罪に問われかねないしな。



「えっと。は、蜂蜜を……つくりに行ってました」

「は、蜂蜜? 蜂蜜って、何かの麻薬の隠語?」

「いえ……普通の蜂蜜です。ミツバチがつくるあの蜂蜜です」

「は、蜂蜜って……なんでそんなものを作っているの?」

「それはその、部活動の一環で……」  

「部活動? ここにいる4人で活動しているの?」

「……はい」

「で、そのつくった蜂蜜は一体どうするつもりなのかしら?」

「それは、売る予定です」

「売る?」

「はい」

「売って得られた資金はどうするつもりなのかしら?」



 次から次に質問が飛んでくる。絶対疑われてるよ。まぁ、仕方ないか。意図的ではないにしろ公安がマークしている奴と接触しちまったんだしな。



「えっと、うまく説明できないんですけど……RTCっていう企業をつくるための資金にする、らしいです」

「らしい? らしいってどういうこと? そのRTCっていうのは一体どんな組織なの?」

「そ、それは――」

「それについては我が説明しよう。RTC、正式名称はリヴァリューツィヤ・トゥリー・システマという共産主義体制の略称のことだ」

「きょ、共産主義体制!?」



 ――――は? おいおい、おいおいおいおい! 何してくれてんだ、テメェは。さっき俺に説明を委ねたじゃねぇか。だったら委ねとけよ、最後まで。なんでよりにもよって誤解を与える絶妙なタイミングでしゃしゃり出てくんだよ。ふざけんじゃねぇよ、クソチェリーナがっ。



「なるほどね。よく分かったわ。あなた達のこの集まりの目的が」



 ――終わった。これからどうなるんだろう。やはり事情聴取をされてこの部活の目的なんかを事細かく聞かれるのだろうか。

 まぁ、事情聴取の時にRTCが何なのかをしっかりと説明すればわかって――もらえるかな? すげぇ剣幕でこっちを睨んでるよ。

 ははっ、終わったな、俺の高校生活。

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