ローチェリーナは資本主義を批判する1



「ということだ。これを実現するべく、貴様にはこれから我の側近として協力してもらうぞ」

「……えっ。俺がっすか?」

「そうだ、貴様だ」

「そのRTCって変な考えを?」

「……何? 変、だと?」



 あっ、やべ。つい口が滑った。今のこいつはローチェリーナだった。向谷行きになっていた口を慌てて修正する。



「いや、すんません。でも……なんか、危なそうだなって」

「……危なそうとは? どういう意味だ?」

「いや。だって、共産主義って……あ、危なくないっすか? 俺、あんま、良いイメージ、ないんすけど」



 正直に言ってみた。実際、共産主義を掲げた国家はなかなか上手く社会が機能しなかったわけだし。なにより――、



「独裁国家のイメージがある。そういいたいのか?」

「えっ。あっと……はい」



 そう、独裁国家のイメージだ。なんなら独裁国家=共産主義という等式すら頭の中にある。



「確かに、今世界にある共産主義を掲げていた国家はそのような印象を受けるかもしれん。が、それは誤解だ」

「誤解?」

「左様。それらの国は共産主義を掲げる以前からすでに恐怖政治が長年支配している国家だったというだけだ」

「はぁ、そういうもんですか」

「そうだ。それに共産主義が危険だと言って資本主義を取り入れている日本はなぜこれほどまでに腐敗しているのだ? 政治の腐敗、企業の腐敗、人民の腐敗。すべてが腐り果てているではないか?」

「ぐっ。そ、それは……」

「どうした? 資本主義は共産主義と違って安全なのだろう? 何故これほどに危険な社会になったのだ?」



 痛いところを突かれた。確かに、今の日本は多くの腐敗で満ちている。政治の裏金問題、企業の不正検査、人民のモラルの低下。弁明をするのはなかなかに苦しい。



「ふっ。答えは簡単だ。社会がしたからだ」

「絶対化?」

「左様。かの有名なイギリスのアクトン卿はこのように明言している。『Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.』とな」



 誰だよそいつは。そして英語で話すな、英語で。



「つまり、権力は腐敗を招く傾向にある。ましてや絶対的な権力であれば絶対に腐敗するということだ」

「……あの、どういうことっすか?」

「鈍い奴だ。つまり、今の日本社会が腐ったのは、あらゆるものが絶対化しつつあるからということだ。政治、企業、人民。政治は限られた者らに掌握しょうあくされ、富は限られた企業に寡占され、残りの人民はそれらに従属する。これが社会の絶対化だ」



 なるほど、要は全部が固まりつつあるってことか。端的で分かりやすいな。



「今の日本の現状からも分かるように、真に恐れるべきことは共産主義そのものではない。それによって与えられる副次的な結果だ。絶対的な権力によって一部に富が収奪しゅうだつされ、残りの人民がそれに奴隷のように搾取さくしゅさせられるという、収奪と搾取の社会構造そのものを恐れるべきだ」

「……な、なるほど」

「ゆえに我らは恐れなくてはならない。この絶対的構造を。確立した日本社会を」

「えっ……日本を、すか? でも、日本はそんなに危なくないんじゃ……」

「何を言っている? 千賀人民よ」



 ローチェリーナは椅子に座る俺を見下ろすと、俺の前にある机の上に腰を下ろしてきた。両足を大きく広げ、机の上をじりじりと滑りながら近づいてきた。ち、近い。



「日本をこんな社会にしたのは今の政治や企業、人民たちだぞ?」

「……え?」

「今から30年ほど前、バブルが弾けたことは知っているな?」

「まぁ、一応……」

「バブル崩壊後、日本では多くの商品価格が下落した。そう、デフレだ。本来、デフレ時において企業は労働者へ給料として稼いだ金を還流すべきだった。が、バブルが崩壊したとみるや否や、多くの企業は日本を捨て、より安い労働力を求めて国外へ拠点を移した。結果、日本ではバブル崩壊後に社会へ出た多くの世代が社会から見放され、内需は減衰した。それが失われた30年の正体だ」

「はぁ……」



 バブルか。俺の生まれた頃はもうとっくに弾けてたし、よく知らんが確かにバブル崩壊後に日本から海外に工場を移す動きが加速したって中学で習ったかもな。というより、目の前で足を組むな、ローチェリーナ。す、スカートの中が見えそうになっているから。俺はそんな太ももから視線をそらすためにローチェリーナを見上げる。これはこれでてつくような視線が痛ぇ。



「奴らは資本主義の利点である需要供給の調節作用には目もくれず、ただただ必死に市場を開拓し、善悪の区別もつかずに安い労働力に飛びつき大量生産によって市場を食い荒らした。結果、国際社会の危機を招いた」

「危機? っすか?」

「思い当たる節があるだろう?」

「まぁ、ありますね……」

「そうだろう。そうして国際情勢が危うくなるや否や、奴らは食い散らかした市場を放置し、たちまち安全な国内に戻って来た。そしてのたまっているのだ、『賃金の持続的な上昇のために我々は努力しなければならない、それが社会的責務だ』と。ふざけているだろう? 今まで散々危険な国家に資本を落とし、国際社会を不安定化させた戦犯たちが、だ。危険なことはとうの昔に知り得ていたはずなのに。奴らは気づかぬ振りを決め込んだ」

「ま、まぁ、そうかもしれないっすけど。でもそのおかげで俺たちも便利な生活が得られてるわけですよね?」



 ローチェリーナの言うことも分からんではないが、今の便利な生活があるのは大企業が海外進出し、様々な製品をつくった功績のおかげだろう。



「無論、その通りだ。だが、多くの企業が安い労働力を求め、国外へ資本を大量に落とした結果、世界の力関係は大きく変化した。そして日本に危機が迫り、防衛費増強が議論されている。この負担の遠因に、多くの日本企業も加担したのだぞ?」



 ローチェリーナは淡々と話を続け、そして座っている俺に机の上から顔を近づけてくる。 



「奴ら資本主義の豚が求めているのは我ら人民の幸福――」



 俺はその言葉を聞いて少しほっとした。冷酷そうなこの女も、一応資本主義が目指す理想が人々の幸福であることは理解しているらしい。と、思った矢先、



「などではないぞ?」

「……え?」



 予想外の言葉が返ってきた。



「ち、違うんすか?」

「左様。奴らが求めているのは利益。ただそれだけだ」

「で、でも今たくさんの企業が給料を上げるって……言ってるし」

「ではなぜそれに30年以上もかかった?」

「そ、それは……」

「本当に人民の幸福を理想としているのであればもっと早くにしているはずだろう? ましてやバブル崩壊後の世代を無慈悲に切り捨て去るわけがない。――そうだろう?」



 確かにそうだ。もっと早くにできたことを何故今になってやろうとしているんだ? ローチェリーナの言うようにそこを考えなくてはならないのかもしれない。俺は必死に頭の中で思考を巡らせる。が――



「なぜだと思う?」

「…………分かりません」

「そうか。なら教えてやろう。国際社会で経済が減速し始めているからだ」

「減速……っすか」

「そうだ。特に巨大なマーケットのな。それに今、世界中で戦争の機運が高まっている。多くの企業は国際情勢が危ういと恐れをなし戻って来た。そして奴らは比較的安全な国内で再び利益をあげたいと思っている。だからこそ給料をあげ、国内で労働力を再び確保しようとしているに過ぎんのだ」



 なるほど。でも、まぁ。いんじゃね? と思う。世界情勢が危なくなって多くの企業が日本でまた頑張るために給料を上げてくれるんなら働く奴らにとってはラッキーだと思うんだが。俺は。



 ――でも、そう思うのは違うんだろうな。思うなってことなんだろうな。俺の緩んだ表情を見て、ローチェリーナが苦虫を嚙み潰したような嫌な顔をしていやがる。



「よく考えろ! 千賀人民よ。そんな奴らの言葉を本当に信頼できるのか? 奴らは国際社会に脅威がなくなれば再び祖国を見捨て、海外へ舞い戻っていくかもしれんのだぞ? そんな奴らを本当に信頼できるのか? どうだ、千賀人民よ?」

「えっ……あ、そ、そうっすね」



 矢継ぎ早に問いかけながら顔を近づけてくるローチェリーナ。近いって。10cmくらいの距離だ。近すぎてピントが顔に合わねぇ。思わず顔をのけぞらせる。



「そうであろう。ならば我の側近として共にRTCという新たな共産主義体制を掲げ、国家に革新をもたらすぞ!」

「で、でも、なんかやっぱ……遠慮、します」

「……何?」



 ローチェリーナは再度顔をグイと寄せてくる。俺はその顔から再び逃れる。



「だ、だって……要はテロみたいなことをするんだろ? 俺、見たことありますもん。昔の映像とかで」



 そう、俺は知ってる。共産主義の怖さを。実際、世界に今ある共産主義からスタートした国は現在の形に多少の差はあれど、みな独裁体制と世界からみなされている。だから、日本人の多くは共産主義は怖いもの、独裁とのイメージが強い。もれなく俺もその1人だ。



「…………そうか」



 そう呟くとローチェリーナは目の前の机からひょい、と飛び降り、教壇の方へ向かってしまった。あれ? てっきり怒るかと思ったけど、意外にすな、お――――なんてことはなかった。



「お、おい……そ、それ…………」



 教壇の横で何やらガサゴソと音を立てた後、再びこちらを振り返ったローチェリーナは右手に鋭利に尖った長いハサミを持っていた。そしてその刃先を俺の顔の位置に向けていた。



「お、おい、何持ってんだ。は、刃先をこっちに向けんな!」



 慌てて立ち上がる。そして2歩後ずさりする。誘いを断ったら、脅して実力行使ってか!? ったく、結局は俺の共産主義のイメージ通りじゃねぇか。何がRTCだ。お前もあの刃物女と同類かよ。俺は目の前のハサミ女を睨んでいると、一言。  



「共産主義のイメージはこんな感じか? 千賀人民よ」

「えっ? あ、ああ……そうだ。気に入らないことがあるとすぐに暴力的な行為で解決するイメージだ」

「ふっ……、だろうな。だが、我は違う」

「え?」



 ローチェリーナはそう呟くと、右手に持っていたハサミを放り投げた。投げられたハサミが床の上をシュルシュルっと回転して滑り去り、窓際の壁に当たった。



「我の目指す理想の世界は違うのだ。そうではない。あんな刃物など必要とせず、互いに信頼し合える……それを望んでいるのだ」

「えっ……あっと…………」



 ローチェリーナは両手を前に突き出し、手に何も持っていないことを強調しながら、俺に1歩、2歩と近寄ってくる。そうしてあっという間に再び直立不動のまま椅子の横につっ立っていた俺の目の前にやってきていた。



「ふふっ、それで良い。我とともに互いに頑張っていこうではないか?」

「あっ」



 ローチェリーナはうっすらとした笑みを浮かべながら甘い声で、左人差し指で俺の鼻先をツン、とつついた。なんだよ、こいつ。いきなりこんなことしやがって、どういうつもりだ? それに、なんか、すげぇいい匂いがする。シャンプーの匂いか? これ。それともこれが女子のいい匂いってやつなのか? だとしたらなんていい匂いなんだよ。この匂いの正体があの向谷だって分かっていても、これは、ヤバいな。



「……おい。下を見てみろ。千賀人民よ」



 至近距離までやって来たローチェリーナの甘い匂いに正気を保とうと天井を見上げていると、再びあご下から声がした。先ほどとは打って変わって、ドスを利かせた低めの声が。



「……え? あっ!」



 視線を下に向けた瞬間、血の気が引いた。ローチェリーナの右手には先ほどと同じようにハサミが握られていた。そして、そのハサミは見事に俺の腹に突き立てられていた。


 

「おまっ、い、いつの間に…………」 

「はっ、油断したか? 我の先ほどの甘い言葉に?」

「くっ、ざけやがって! だから共産主義は――」

「何を言っている? 今、我が行っている行為。これは共産主義の手口ではない。資本主義の手口だ」

「……は? な、何を言ってやがる。資本主義がこんな卑劣な手を使う訳ねぇだろ!?」

「それはどうだろうな?」



 ローチェリーナは俺の腹に突き立てていたハサミを引き、先ほどまで腰かけていた机の上に乗った。ハサミを取り上げたいが、まだ隠し持ってる可能性もあるし、うかつに手が出せねぇ。



「この資本主義社会の現代。たいていの人民は労働者としてどこかの組織の所属することになる」

「まぁ、な」

「そこで労働者は安定した賃金、地位、居場所、信用を得ることができる。何かに所属するという行為は、自らの存在を社会で成立させることに繋がるからだ。だが、その代償として労働者は多くの選択を失う」

「せ、選択?」

「そうだ。企業のために必要があれば転勤をし、望まない職務に従事する。もっと悪ければ利益を得るために、労働者を危険地域にでさえ強制的に出向かせる」

「で、でも、それは仕方ないんじゃないか? 労働者ってそういうもんだろ」

 


 俺の反論に対し、ローチェリーナは口角をあげ、机にハサミを置いて立ち上がった。



「そうだな。確かにそうだ。だが、今の資本主義社会の成熟しきった日本ではそれが正しいのだと、そう思い込まされているのだ」

「思い込まされている?」

「そうだ。皆が社会に出て、どこかに所属し、労働者として働く。そして搾取されるのだ。資本家という支配階級に。住む場所の自由を、服装を、金銭を。貴様は先ほど我にされたように、自らの生殺与奪を誰かに委ねるつもりか?」

「い、いや……それは……」



 思わずローチェリーナの言葉に耳を傾けちまう。何なんだろうな、これ。これがこいつの魅力なのか? それとも単に俺の中に共産主義に共感する自分が隠れ潜んでただけなのか。どっちにしろ、動けねぇ。


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