向谷栞と会話する



 昨日のあり得んような出来事が夢だったんじゃないかと思える。それほどに穏やかな蒼空そうくうを俺は授業中の窓から眺めている。

 が、右肩の痛みがそんな妄想世界から俺をえぐり出した。痛ぇ。袖をまくった右腕にはうっすらと血がにじんだカサブタ混じりの傷を見る。あれは現実だった。

 


 登校して、俺はすぐに昨日の女を探して校内を駆け回った。1年にいないければ、2年、3年と上の学年の教室も探し回った。が、いなかった。まぁ、あんなことをしでかす時にバカ正直に身分を証明するものを身に着けるわけがないのだが、もしかしたらただのバカだった可能性もある。念のため探した。結果、いなかった。



 しかも今日は向谷と多野さん、どちらも休みだった。授業の合間にクラスの奴に聞いた。放課後、昨日のあの本のことも話そうと思ったのに、2人とも休みやがって。て、当たり前か。むしろ俺はなんで来たんだって話だ。あんなことがあってよく来たな、俺。どんな神経してんだろう。仮病で休みゃよかった。



 そんなことを考えつつ2限の現代文を受けていると、左ポケットでスマホが震えた。カト先にバレんように机の下で画面を確認する。



『ロシア語だった』



 向谷からだ。おそらく昨日のあの本のことだろう。いや、むしろそれ以外の話題なわきゃない。



『ロシア語? 読めるのか?』



 右手でノートをとりつつ、左手でスマホを操作する。



『しらべた。黒き神と白き神、アシーリュヴィキっていみらしい』

『なかみは? どんなこと書いてる』

『よめない、ぶあつい、ながい』

『まぁ、分厚いわな』



 と、打った瞬間――



「じゃあここ、千賀。読んでくれ」

 と、カト先から指された。



『わり、授業中だからまたれんらくする』



 と打ち、俺は教科書を音読した。



『学校!? よく行ったわね、、』



 と、授業後に画面を確認すると向谷から連絡が来ていた。



『そういや今日どうした? 具合わるいのか』

 と、昼飯を食いながら――

『ねむい』

 と、一言の返信。



『ねむいって、学校来いよ。色々その本のこと話そうと思ったのに。多野さんも休んでるし』

『ねむいもんはねむい。ってか、椎菜にもメールしたの?』

『いや、してない』

『そっ。てか本の中身もロシア語だから読めないし、話してもいみないわよ』

『まぁ、そうか』 

『やばい。ねむい、ちょっと、寝る』

『そっか』

『またメールしていい?』

『ああ、学校終わったくらいなら』

『そっ。じゃ、また』



 うらやましい。今も布団でごろんごろんしながらメールしてきたんだろうか? にしても、ロシア語ねぇ。んなもん読めって、あの女、やっぱり訳分からん。俺は昼飯をかっこみ、ひとまず昨日のことは忘れ、午後の授業に集中した。

 ようやく学校も終わり帰宅したころ、またメールが来た。



『よっ』

『起きたか』

『学校おわった?』 

『ああ、俺が授業の間に昼寝とはな』

『まぁ。ただまだ、ねむい』

『はぁ? ねむいって、どんだけだよ』

『わかんないわよ。ねむいの。なんか寝てないきぃする。あとなんか本が勝手にひらいてる』

『はぁ、ねぼけてたんか?』

『かも。今日は楽しかったかい?』

『なんだその聞き方。今日は朝一に昨日の女を探し回った』

『いた?』

『いない。まぁいないと思ったが』

『そっか。今日はあたしがいなかったからつまんなかったっしょ?』

『いや、とくに。むしろ平和だった』

『むっ。病人には気をつかいなさいよ』

『病人? ねてただけだろ』

『心がやんだ。昨日のせいで』

『ああ、なる。元気か?』 

『げんきじゃない。いろいろ考えてる』

『あんま考えるとまたショートすんじゃね』

『うっさい。なら考えなくていいように楽しい会話しましょ』

『楽しい会話? んなことより本のことはよ?』

『いいじゃん、それは明日で。早くあたしを楽しませなさい。じゃないと明日も学校いかない』

『まじか。ネットから悲報拾ってくるわ』

『退部させるわよ』

『悪い』

『じゃあ、あたしが楽しい話したげる』 

『ほう』

『手旗信号って知ってる?』

『しらん』

『はたを使って通信をする方法なの』

『ほう、で?』

『これをあたしたち思考部でもつかいます』

『いや、スマホでいいだろ。はたって』

『何言ってんのよ、もし太陽フレアがきたらスマホ使えなくなっちゃうじゃない。そんなときにはこの手旗信号で連絡するのよ。これは1893年に海軍が考えたれきしあるものなんだから。よくない?』



 お前は軍人さんか、といいたい。 



『いつか使えたらいいな』

『でしょでしょ。てことで、明日からこれもマスターしてもらいます』

『まじか』

『まじよ』



 手旗信号なんていつ使うのか分からんが、まぁずっと教室で座ってるより気分転換にはなるかもしれん。俺はその後、向谷から手旗信号の初歩をちょいとメールで指南された。一番不憫なのは多野さんだな。自分の知らない場所で部の方針が勝手に決定したんだから。

 そうこうやりとりが続き、9時になった。



『お風呂はいってくる』

『そ』

『千賀も入れば?』

『なんで』

『だってあたしがはいってるあいだ暇でしょ?』

『いや、とくに。他にすることあるし』『はいってきてよ、あたしが出てきてからおふろいっちゃったら寂しいじゃん、、』



 画面を見てびくっとした。寂しい? あいつが? いつもあんなに俺や多野さんに強気な態度をとって来やがるというのに。寂しいか。やはり気が滅入っているのかもしれない。



『026810♪』

 また送られてきた。暗号かよ。

『わかった』

 と送り、風呂に入ることにした。



 風呂から出て20分、

『おまたせ』

 向谷からメールが来た。



『おそかったな』

『そ? 髪かわかしてたから、まった?』

『いや、それほど』

『ならよし』

『なぁ、お前の頭の髪ってなんかおもしろいよな』

『どういう意味よ?』

『いや、なんか特徴的な形してんじゃん』

『しょうがないじゃない。ここだけ塊になっちゃうんだもん』

『髪の毛が?』

『そうよ? あたしだってサラサラヘアにしたいけど』

『へぇ、そういや今リボン付けてんのか?』

『ん? つけてない。今日はお家にいるから付けてない』

『なるほど、だからか』

『なにが?』

『お前、リボンないとすげぇナヨナヨしてるよな』

『そんなことないっしょ』

『いや、ある。大野先輩にリボン取られたときめっちゃナヨナヨしてたぞ』

『うー、まぁリボンがないとなんか落ち着かないし、こわいのよね』

『怖いって? なにが?』

『外が』

『へぇ』



 確かにリボン取られたとき、必死に腕にしがみついてきてたからな。リボンはこいつの弱点なんだろう。



『あと頭がうまく働かない』

『変わった体質だな』

『いわないで。気にしてるから』

『悪い』

『おけ』

『そろそろ寝るか』

『そうね』

『明日はちゃんと来いよ、まぁ難しかもしれんが』

『うん。いっしょに待ち合わせしたい』



 待ち合わせ? もしかして一緒に登校するってことか? 一瞬返信に困ったが、一緒にいた方が安全かもしれない。



『まぁ、いいけど』

『じゃあ、四ッ沢駅に7時30』

『駅前か?』

『うん。別のばしょが良い?』

『いや、四ッ沢で』

『うん』

『じゃあまた明日』

『うん。じゃあ、おやすみzzz』

『おう』



 そう返信を終え、スマホを頭の横に置く。なんだろう。

 ツンデレ、とでもいうのだろうか。こういうのは。だとしたらなかなかいいじゃねぇか。ツンデレ。それは普段は素っ気ない態度をとるのに、ふとした瞬間に甘えるような仕草を見せてくるというものらしい。今のラノベにはツンデレキャラはそんなに出てこない。ましてや現実ではいわんや。ツチノコもんだと思っていた。



 が、いたんだな、近くに。まぁ、あいつは素っ気ないというより傍若無人の振舞いを周囲にかましてるが。とはいえ、さっきのメールのやりとりは、なかなか良かった。でも、今のラノベではそんなにいないよな。

 ここで俺は思考部部員としてなぜツンデレは衰退したのかを思考してみる。そして結論付ける。



 効率が悪いからだ。昔のスポコン漫画なんかは虐待レベルの矯正装置を身に着けたり、身体がぶっ壊れるような鍛錬をした先に勝利があった。それが美徳だったんだろう。だが今の時代、それはナンセンスだ。俺たち若者はコスパやタイパが大事だ。



 主人公の努力に興味はないし、んなもんすっ飛ばして俺強ぇ無双の主人公が敵を一発KOしてくれる展開が好きだし、ラノベの女子ははじめから主人公を好いてくれてる方がいい。だってそっちの方が効率的だから。要は嗜好しこうが変わったのだ。



 ツンデレとはわば、猛獣だ。ライオンのようなものと言えよう。それを射止めに長時間エコノミークラスでフライトし、悪路のサバンナまで出向き、灼熱の中で必死こいてご機嫌をとったとしても、わずかでも機嫌を損ねたら、ガオッと喰われて終わり。リスクがデカすぎるだろ。



 だったら可愛いわんこと家でンゴロンゴロしていた方が格段にいい。それが当時の若者と俺たちの違いだ。当時の若者たちは勇んでサバンナに繰り出していたんだろうが、俺にはサバンナに行く気力も金もないしな。




 スマホの振動音を聞く。画面を見る。




 ――でも、頑張ってサバンナに行って、もし。ライオンに頬スリをしてもらえたら、それはそれで貴重な体験かもしれん。画面を見てそう思った。

 


『ねぇ。また、めいるしてい?』

 そんなメッセージに俺は一言。

『おう』

 と返信した。



『あんがと、おやすみ』



 そんなスマホ画面に少しにやけながら眠りについた。


 


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