向谷栞は養蜂を試行する3

 


 昼に先ほどバス停前にあったコンビニでツナマヨのおにぎりを昼食に買い、ログハウスで食べた。おやつ時の3時にはなぜか村上さんがプリンを差し入れに持ってきてくれた。有名な爛卵堂らんらんどうの、1個800円もする超高級プリンだった。



 俺は食ったことがなかったけど、多野さんは「これ私大好きですぅ」と喜んで食していた。こんな高級なプリンを大好きといえる多野さんは一体どんな生活を送っているのか気になった。

 そうして作業をすること約6時間。計8個の巣箱が出来上がった。



「うんうん。上出来ね!」



 向谷もご満悦の様子だ。あとはこれをセットして蜂の入居を待つらしい。



「さぁ! いよいよここからあたし達の養蜂がスタートするわ。こうやって思考部では物事を思考して、それを試行して、最後にその対価として至高を得るのよ! あっ、今のしこうってのは、スィンク、トゥラァイ、ファンタスティック! のことね」



 なんか、ムカつくな。無駄に発音が良いのがさらにイラッとする。



「……あれ? でも、向谷さん」

「何? 椎菜」

「養蜂をするって思考したのは向谷さん1人で私たちは何もし「うるさい。……静かにしなさい、椎菜」――――は、はい……」



 俺の横に立つ理不尽の権化ごんげは多野さんの思考をねじ伏せた。



「まぁ、確かに今回は時間の関係であたしが春休み前にやっちゃったわけだけど、今後の活動はみんなでやっていきましょう」

「今後の活動はって、まだこんな活動を他にもするのか!?」

「もちのもちっ! もっちもちのろんよ!!」



 お前はおじさんか。まぁ、こういう一面がきっと村上さんのようなおじさんに受けて懇意にしてもらってるのかもしれんが。



「でも、蜂蜜なんて売れんのか? 蜂蜜なんてスーパーでも、それこそコンビニにだってあるだろ」

「そうですね……。私たちが作っても、買ってもらえるんでしょうか?」

「ふふっ、心配ないわ2人とも。あたしには勝算があるの」

「ほう、その勝算とやらを聞かせてもらおうか?」

「よろしい。いい? あたし達が普段スーパーとかで見かける蜂蜜は、外国産の蜂蜜なのよ」

「外国産、ですか?」

「そうよ? あたし達が普段見かける蜂蜜のほとんどは外国産の蜂蜜なの。国産の蜂蜜なんてたった1割くらいなんだから」

「そ、そうなのか」

「そっ、そしてあたし達がこれから作る蜂蜜はそんな国産の蜂蜜の中でもさらに希少。ニホンミツバチ達がつくる蜂蜜なのよ!」

「ん? ニホンミツバチの蜂蜜って? 今飛んでるのってよく見かけるただのミツバチだろ?」



 俺は今日1日でだいぶ耐性ができた防護服なしの身体で付近を通り過ぎてゆく蜂を指さす。



「バカね。あたし達が普段食べてる蜂蜜はニホンミツバチの蜂蜜じゃない。セイヨウミツバチっていう種類の蜂がつくった蜂蜜なんだから」

「えっ、そうなのか? 知らなかった」

「セイヨウミツバチは蜂蜜を効率的に生産するのに適している蜂なの。だから今や世界中の蜂蜜作りに使われてるわ。日本の養蜂でもセイヨウミツバチを使うのがほとんど。だからこそ、あたし達の蜂蜜は希少な蜂蜜としてのチャンスがある。これからここで蜂のお世話をしてRTC創設のための資金をつくるわよぉ!」



 向谷は左手を元気に天高く掲げた。俺たち思考部の課外活動が決定した。



「ということでこれから土日はよほどの理由がない限り、ここに来ること。いい?」

「――は!? ま、毎週か!?」

「そうよ。ニホンミツバチの養蜂は基本手間はかからないけど、これからの思考部の活動内容なんかを議論していきましょう。あと、あたしが2人に勉強教えてあげるわ。どう?」 

「うっ……、ま、まぁ。いいけど……」



 拒否をしようと思ったのに、口から自然と承諾の言葉が出た。実を言うと学校での授業の内容はレベルが高く、徐々に付いていくことが難しくなりつつあった。だから、向谷が勉強を教えてくれるというお得な特典は俺にとって魅力的なのだ。



 こうして休日は極力ここに集まり、思考部の課外活動をしていくことが決定した。夕方、帰りのバスが来るまで時間があるのでしばし巣箱から出入りを繰り返す蜂を眺める。蜂は基本、夕方には仕事を終え、巣に戻ってくるのだという。



 実際、目の前の巣箱には飛び立つ蜂より、巣へ入っていく蜂の数が多かった。こうして眺めていると蜂たちは俺たちを襲ったりしてこないことも分かってきた。ニホンミツバチというのはとてもおとなしい性格なのだという。

 ぶ~ん、ぶ~んとリズミカルな羽音が巣箱から聞こえている。



「そういえば、何で巣箱なんて作るんだ? 蜂って自分たちで巣を作るんだからその巣から蜂蜜をとったらいいじゃねぇか」

「バカね。それじゃクマと同じじゃない。蜂の巣を探さなくちゃだし、巣なんて壊したらあたし達が悪者って蜂に思われちゃうじゃないのよ。こうやって巣箱をつくって、そこに蜂をおびき寄せて蜂蜜をつくらせるのが効率的なのよ!」

「な、なるほど……」



 一応理由があるんだな。確かに巣箱つくりには手間がかかるが、どこにつくったか分からぬ蜂の巣を探して森の中を彷徨さまようよりかは遥かにましだ。向谷の説明に納得し、俺は再び蜂の巣箱に視線を戻した。――が、 



「……あたしが用意したこの巣箱。これはねぇ、会社と同じなの」

「……ん?」 



 先ほどまでとは明らかに声色の違う声の方向に思わず顔の向きを5秒前の状態に戻す。



「む、向谷? ど、どうした?」

「あたしが用意したこの巣箱で蜂たちは幸せに安全に暮らせるの。……でも、この蜂たちは知らない。これからあたし達に蜂蜜を搾取さくしゅされるということに」



 へ? きゅ、急にどうしたってんだ。



「む、向谷さん。だ、大丈夫ですか?」

「あたし達はこの巣箱を提供し、蜂達は花の蜜を集めて、子を育てる。安全な巣を得る代償としてあたし達に多くの蜂蜜を搾取されることをこの蜂たちは選択したんだから。自ら巣をつくるという選択を放棄して……これが、資本主義」

「し、資本主義って。今そんなの関係な――」



 咄嗟に言葉が詰まる。向谷にギロリ、と向けられた鋭い視線のせいだ。いつものような人を威嚇するだけの鋭い目つきではない。目が怖ぇよ。その瞳はまったく光がともっていない。まるで突然機械にでもなったかのように淡々と冷静に話し続ける向谷。その顔は普段と何も変わっていないはずなのに、妙に白く見える。こいつ今、血――通ってる、よな。



「あたしの用意した安全な巣箱の中で蜂たちは必死に毎日働く。必死に集めた貴重な蜜を搾取されるのに。養蜂って言うのはねぇ、資本主義の根本を的確に反映している分かりやすい縮図なのよ。あたしとこの蜂たちの関係と一緒。資本家って言うのはね? 労働者が死なない程度にえさいて、あとの余剰利益はすべて搾取して私服を肥やすんだから」

「む、向谷さん……?」

「お、おい大丈夫か? なんか顔色悪いぞ、お前」

「……あたしはそんな資本主義社会が気にくわない。だからあたしがつくるRTCはそんな資本主義とは別の道を目指す。誰も搾取されない、楽しい社会をつくるために」

「誰も、搾取されない……」

「楽しい社会?」



 俺と多野さんは互いに目を合わせる。明らかに様子がおかしい。



「大丈夫ですか? 向谷さん、どこか具合が悪――あっ」

「ん? どうしたの、多野さん?」

 向谷の前に突然回り込み、何かを始めた多野さんに目をやる。

「ふふっ、リボンがほどけかかってましたよ? 向谷さん」

「…………え? あ、うん。あ、ありがとう椎菜」



 向谷は多野さんの声掛けに少し間をあけ、そして応答した。そして周囲をきょろきょろと見渡し始める。まるで今まで眠っていたかのようなきょとんとした表情を見せる。



「んっ、あれ? 2人ともどうしたの? 驚いた顔して?」

「驚いた顔してって……お前」

「はぇ? お、覚えてないんですか? 向谷さん」

「ん? 覚えてないのって?」

「さっきまで淡々と話してたじゃねぇか?」

「話してた? 何を?」

「んっと……資本主義がどうとかって、言ってました」

「いや、言ってないわよそんなこと。寝ぼけてたんじゃないの? 2人とも。さっ、寝ぼけてないで帰るわよ。そろそろバスが来ちゃうし、村上さんにも挨拶しなくちゃ」 



 そう言って向谷はさっさと1人で歩き出した。


 

 覚えてないって。そんなことありえんのかよ。それどころか俺たち2人が寝ぼけてたんじゃないかって。そんなわけがないだろう。あんなこと言っておいて全部覚えてないって、二重人格じゃあるまい――と思いつつ、俺は先ほどまでの向谷の様子を思い出す。あの不思議な感じ。普段とは明らかに違ってた。それに多野さんが解けかけてたリボンを結び直したらいつもの向谷に戻ったよな。これって、偶然か?



「こらぁ、千賀!! 何やってんの。早く帰るわよぉ!!」

「ん? あっ」



 俺が思考にふけっている間に2人はいつも間にか林道の中へと消えかけていた。その黒い人形を小走りで追いかける。



 ――――でも。正直、震えたよ。何となく軽い気持ちで出かけてみたら養蜂を手伝わされて、まさかそこからこの蜂を人に見立ててたくみみに資本主義社会の説明とはね。



 その後のRTCの説明には妙に心踊らされた。なんだろうな、上手く言えないけど、詐欺に合う時ってこんな感覚なのかもな。あの時の向谷にはなぜか自然に、そしてとてもかれた。  

 カリスマ性というか、リーダー性というか。とにかくすごく、いいなと思った。


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