向谷栞は養蜂を試行する2

 


「思考に移行する? だから思考だろ?」

「違うわよ。考える方の思考じゃなくて試す方のし・こ・う♪ 英語で言うと、トゥラァイ!」

「と、トゥラァイ……って」

「はぇえ、わ、私たちが作るんですか?」

「当然! ずっと頭で思考しているだけじゃなんにもなんないわ。思いついたらそく行動! ここでガンガン蜂蜜を作って、RTCの立ち上げ資金にするわよ」



 向谷はにんまりと口を横いっぱいに広げた笑みをこちらに向ける。そして壮大に目の前に広がっているくるぶしほどの高さに生えそろった草の中を前へ前へ進み始めた。その先には茶色の長方形の物体がいくつも見える。



 近づいていくとそれは木箱のようなものであることが分かった。そうしてどんどんしゃ、しゃ、と音を立てながら進むその音についていくと草をかき分けているしゃ、しゃ、とは別の不快音がまたたき始める。そして目の前には――


 

「うおっ、な、なんだこれ!? は、蜂!?」

「は、はぇえ。は、蜂ですぅ!」

「何驚いてんのよ。そりゃいるでしょ。蜂は」

「い、いるでしょって……おわぁ!」

「ふぇえ!!」



 目の前の蜂に全くたじろぐことなく、歩を進める向谷の後に何とかついていこうとしたが、次第に数を増してくる蜂たちに行く手をはばまれ、俺たちはやむなく後ろへ戦略的撤退をはかった。



「ちょっと! なぁに下がってんのよ! ちゃんとあたしについてきなさい!」

「いや、無理!」

「は、蜂……怖いですぅ」

「もう、しょうがないわね。じゃあ、装備をしてから向かいましょう」



 そう言って向谷は進路を大きく右に変更し再び歩みを始めた。するとその先に小さな家が見えてきた。民家のような大きな建物ではなく、二回りほど小さい木の家。その家はおとぎ話の中に登場するような、丸太を組み合わせて作られているようだ。



 ログハウスというやつだろうか。もっとも、ログハウスというそんなおしゃれな言葉が似つかわしいとは言えない。屋根はおしゃれな三角屋根ではなく、平坦で、全体のフォルムはサイコロのような立方体。ドアの左側には小さな窓が1つ付いていた。



「さっ、中に入って。土足で大丈夫だから」



 中に入るとそこは広さ四畳半ほどのスペース。部屋の隅には小さな本棚があり、そこに本が数冊収納されている。



「はい、じゃあこれ着て」



 部屋の中を少し見渡していると、突然目の前が白くなった。



「これは?」

「はぇ、な、何ですかこれ?」

「防護服よ。さっさとこれを着て、さっさと戻るわよ」

「えっ、まじ? あの蜂のところにか?」

「当然でしょ? 蜂蜜を作る説明をするんだから。これ着てれば大丈夫だし!」 

「ほ、本当かよ?」

「いいから着る!!」



 その白い防護服を頬にねじ込まれ、渋々ながらにその白い防護服とやらに身を包んでゆく。



 ♦︎



「遅い!!」

「は、はぇえ!!」



 先に着替えログハウスの外で待機している俺の耳に向谷の怒声が聞こえる。着替えにもたつく多野さんが怒られたのだろう。制服姿でやってきた向谷と多野さんはスカートだ。だから2人はまずスカートからログハウスに向谷が常備していたジャージに着替えてから防護服を着るということで俺はここで待機しているのだ。 



 窓はカーテンもないから丸見えなのだが、無論俺は窓から覗くことはせず、健気に窓のない側で待機している。こんな場所でもしのぞきがバレたらハチの巣にされそうだ。物理的に。



 怒声から2分後――、



「おまたせ」



 ギィイ、という木のきしむ音とともに赤いジャージ姿の向谷はたいそう不愛想な顔で口をひん曲げながら、こちらも見ずに4文字呟いた。おまたせって意味、分かって使ってる?



「あれ? お前、防護服着てないじゃん」

「あたしはいいの。今日はそんなに作業しないし」

「でもあんなにいたぞ? 刺されるぞ」

「もう刺された」

「えっ、まじか」

「2回。もう慣れた。ミツバチだし、大丈夫」

「大丈夫って……大丈夫じゃないじゃん。刺されてたら」

「いいの! さっさと行くわよ!」



 そう盛大に声を張り上げると、さっさと先ほどまで不快な羽音が聞こえていた音のもとへ進み行ってしまった。



 俺と多野さんも防護服という頼もしい純白の装備品に身を包み再度、進撃を試みる。が、この装備品、聴覚までは保護してくれない。不快な羽音が絶えず聞こえる中、俺たちは先ほど見た木箱の前に立っている。



「今日からここで養蜂をします!」

「えっ、今日……から? 今日だけじゃなくて?」

「きょ・う・か・ら!」

「い、いつまでですか?」

「もち、蜂蜜が採れるまで」

「どれくらいかかるんだ?」

「一年」

「い、一年!?」

「はわぁ! い、一年ですかぁ」 

「まぁ、一年って言ってもずっと作業をするわけじゃないから安心なさい。蜂蜜はこの巣箱の中にいるニホンミツバチ達がつくってくれるから」

「そ、そうなのか」

「そっ、だからあたし達はちょっとその手伝いをして、ニホンミツバチ達がここでつくった蜂蜜を頂くってことなのよ」



 向谷から説明を受けている間にも絶えず目の前をゆっくりと蜂が通り抜けてゆく。

 目の前の赤いジャージには2匹の蜂が止まっている。

 


 ざっくりとこれから約1年、ここで強制参加させられる作業内容の説明を受け終えた俺たちはようやく全身にまとっていた重装備から解放された。続いて先ほどのログハウスの裏に来ている。そこにはたくさんの材木が雑多に放置されていた。



「これは?」

「あたしが春休みに用意しておいた材木よ? 今日はこれからこれを使って巣箱を作ります」

「巣箱?」

「巣箱って、鳥さんでも飼うんですか? 向谷さ――ひゃぇええ!!」



 多野さんの声が突然悲鳴に変わる。材木にやっていた視線を多野さんに向けると多野さんの頬がこれでもかという程に左右ににゅ~、と伸びていた。その頬の両端には陽の光に照らされてきらきらと光る色白い手が引っ付いている。



「バッカじゃないの!? 話の流れを考えなさい! さっき見せたものを思い出しなさい! 思考しなさいよぉ!」

「い、いひゃいれすぅ!!」

「お、おいっ。やめろって!」 



 慌てて頬を容赦なく左右に伸ばし続ける手を振り下ろしたチョップで叩き落とす。 



「だ、大丈夫? 多野さん」

「は……はいぃ」

「ふんっ!」



 多野さんの引っ張られた両頬がほんのりと赤みを帯びている。誠に不謹慎ではあるのだが、俺はその赤く染まった頬の多野さんを可愛いと思ってしまった。当の本人はとんだ災難だろうが。



「椎菜がふざけたこと言うからでしょ! なんで鳥の巣箱が出てくんのよ」

「そういうなって。俺たち蜂のことなんて全然分かってないんだから」

「……まぁ、いいわ。今日はここにある材木を使ってニホンミツバチ達の住む巣箱をつくります!」



 キッ、と鋭い視線で「蜂の」と語気を強めて多野さんをにらむ向谷。



「巣箱って、さっき見たみたいなやつか?」

「そっ」

「け、結構、数があひましたけろ?」



 先ほどダメージを負わされた多野さんも果敢に会話に参加してくる。また、頬を伸ばされる危険もあるというのに、ガッツ溢れる女子高生だ。



「あれをもっと作るのよ! 販売できるくらいの蜂蜜をつくらなくっちゃ!」

「は、販売? ここでつくった蜂蜜を、売るのか?」

「当然っ! ここからは試行試行! トゥラァイしていかなくっちゃ。ニホンミツバチ達たちのお世話をして、おいしい蜂蜜を販売すんのよ。そのためにはニホンミツバチ達を住まわせる巣箱をどんどん作る! さっ、始めるわよ」



 はぁ。思考部の活動だと思ってきたら、まさかの力仕事だと? 何でこんな休日の朝っぱらからこんなことをせねばならんのだ。ふざけるな、と言いたい。

 が、言えないんだなこれが。目の前でにんまりと不敵に笑いノコギリを天高く掲げているジャージ姿の女が何をしでかすか分からんのだから。



 ギコギコギコギコ、バシュ! バシュ!

 地道に木材を切り、それを組み立てる音だ。向谷の指示のもと、俺たちはログハウス裏で作業に勤しむ。先ほど見た木箱を組み立てるため、まず多野さんが材木に鉛筆で線を入れ、その線に従って俺がノコギリで切っていく。その切り上げた材木を組み合わせて仕上げに向谷がくぎを打ち込んでいく。



 釘を打ち込む音がとんとんとんとんではないのは、向谷が電動釘打ち機を使用しているからだ。くそっ、楽しやがって。俺にも電動ノコギリを貸してくれよ。これらの道具は村上さんがログハウスを作った際に使用したものらしい。それを向谷が借りているのだ。本当は電動ノコギリもあるらしいのだが、「子どもには危ないからね。それは貸せないね」とのことで電動なのは釘打ちのみだ。 



「あっ! ちょっと椎菜! ここの寸法違うじゃない! ここは巣箱の入口なんだからちゃんと寸法測んなさい」

「はぇ? でも、大きい入口なら別に――」

「バカ! これじゃオオスズメバチが巣の中に入っちゃうの!」

「お、オオスズメバチ……ですか?」 

「そうよ。いい? オオスズメバチはねぇ、ニホンミツバチをとっ捕まえて頭からバリボリ食べちゃうんだから。こんなふうに、ねっ!」

「はぇえ!? な、何ですか!? い、痛い! や、やめてくださいぃ!!」



 向谷は寸法をミスった多野さんの左右の髪をグイッ、と持ち上げるとその髪を骨つき肉の骨のように力強く握り、中央の肉にかぶりつく素振りを見せつけてきた。骨付き肉にかぶりつく原始人のようだ。まったくに品がない。



 なるほど、何と恐ろしいことか。ミスったら俺もあの刑に処されるという意思表示なのだろう。しっかりと切らなくては――。多野さんを解放し、バシュ! バシュ! 再び釘打ち作業に戻った向谷。



「なぁ、向谷」

「ん? 何よ?」



 バシュ! バシュ! バシュ! 釘打ち機の動作する間を縫って言葉を出す。



「さっきの巣箱って、全部お前が作ったのか?」

「そっ。あたしが高校に入学するまでの間に集めておいたの。分蜂ぶんぽうは4月半ばくらいまでにやんないといけないから」

「ん? 分蜂って? うおっ!」



 目の前を突然、先ほどまで大量に見ていた蜂が通り過ぎてゆく。



「まぁ、簡単に言うと蜂たちの引っ越しね。ミツバチは巣の中で新しい女王蜂が誕生したら、その巣にいた女王蜂は巣の半分の蜂と一緒に引っ越すの。そうして新しい巣でまた生活を始めるのよ」

「ふ~~ん、今の時期に引っ越しなんて人間みたいだな。それにしてもお前、詳しいな」

「そりゃ、勉強したから。この養蜂は思考部が最初に挑戦するプロジェクト。だから絶っ~っ対に成功させるわよ? 分かったらさっさと木、切る!!」

「へいへい……」


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