向谷栞は養蜂を試行する1

 


「さっ、着いたわ」



 バスを降りたそこは見知らぬ場所。というか、あたり一面ほぼ山だ。本当に山にやって来た。一応俺たちの学校は横浜市内にある。にも関わらず今、俺はなかなかの森林に囲まれてる。一応、目の前にコンビニが1軒と民家が数軒あるのみ。



「うわぁ、何もねぇな。ここどこだ?」

「同じ横浜市よ」

「えっ、まじか」

「そうなんですか? よ、横浜にもこんなところ、あるんですね」

「そりゃあるわよ。神奈川の半分くらいは横浜なんだから。さっ、行くわよ」



 向谷の後についてバス停から数十m歩いた場所にあった民家へやって来た。インターホンをピンポーン、と押すと白髪のおじさんが出てきた。顔のしわの具合から言って定年の年齢は超えていそうだ。



「おや、栞ちゃんかい。待ってたよ」



 そのおじいさんは玄関を開けて目の前に見えた向谷を見て、親しげに「栞ちゃん」と声をかけてきた。



「村上さん、おはようございまぁす! 朝早くからすみません。本日はよろしくお願いいたしますぅ」



 ――え? な、何だこいつ。急にどうした。その、喋り方。向谷の口から突然出た明るくほがらかで愛嬌あいきょうたっぷりの可愛らしい声。一瞬どこから出た声なのか分からず、思わず周囲を見渡してしまった。



「おや? 今日はお友達も一緒なのかい?」



 そんな向谷の後ろにいる挙動不審の俺におじいさんが気が付き、声をかけてきた。



「あっ、ど、ども。初めまして。せ、千賀と申します」

「た、多野です。は、初めまして」

「はいはい、初めまして。千賀さんに多野さんね。村上です、よろしくね」

「は、はい。こちらこそ」

「よ、よろしくお願いしますぅ」



 これから何をするのか、何故ここへ立ち寄ったのか、この人は何者なのか。すべてが不明だったが、おじいさんの名前が村上さんだということは分かった。



「それじゃ、村上さん。今日も一日山を使わせてくださぁい♪」 

「はいはい、分かりました。帰るときはまたここに戻ってくるんだよ。山で迷子になってるんじゃないかって心配になるからね」

「はぁい。じゃあ、いってきまぁす」

「はい、気を付けていってらっしゃい」



 会話が進む度に聞こえてくる聞きなれない甘い声に俺は思わず周囲を見渡してしまった。何度も、何度も、何度も。



「なぁ、さっきの……何?」

「何って、村上さんよ。村上さん」



 村上さんへの挨拶を終えた後、俺たちは民家がある平地から徐々に山のふもとへ向かって歩いている。山と言っても登山をするような山ではない。丘のようにこんもりと周囲よりも盛り上がっている土地だ。



「いや、そうじゃなく。さっきの喋り方……何? どうしたんだ、お前」

「べ、別にいいじゃない! あたしだって愛想くらい振りまけるの!!」

「……だっだらその愛想、俺たちにも振りまいてくれ」

「それは無理!」

「なんで!」

「ストレスが溜まるから」



 ストレスが溜まるって。それはこっちの台詞せりふだ。俺と多野さんが普段どんだけお前の身勝手な行動によってストレスを与えられてるか考えろ、と言いたい。

 


「くすっ」

「――何? 椎菜、何が可笑しいの?」

「えっ! あ、いえ、さっきの愛想のいい向谷さん。可愛かったです。なんか普段と雰囲気が全然違って」

「なっ、な!?」

「ああいうのをツンデレって言うんですか? 男の子とかが好きそうな。あざとい? というか、う~~ん、あっ! ぶりっ子ぶりがすごく可愛かったです」

「ぶ、ぶりっ子!?」

 


 多野さんは満面の笑みを浮かべて向谷に言葉を放つ。その言葉を受けた向谷の顔が見る見るうちに赤みを帯びている。恥ずかしさで赤面しているのだろうか、いや、それとも――

 


「ガァアア!!」

「は、はぇええ!!」



 怒りの赤面だったらしい。だが、あれがツンデレかと言われると、それは違う。さっきのはデレでいたのではない。被っていただけだ。ねこを。こいつはツンデレではなく、常にツンツンしている。強いて言うならリボンが解けたときにはナヨナヨとするからツンナヨと言ったところだろう。ツンナヨ――響きがツナマヨっぽいな。そう言えば今日は朝から何も食っていない。昼にさっきのコンビニでツナマヨを買おう。



 目的地への道中、当然俺はさきほどの村上さんが何者なのかを向谷に聞く。さっきの村上さんというおじいさんは今から向かう山の所有者らしい。この一体の土地を持っている地主だそうだ。俺は道すがら周囲を見渡す。



 こんなにたくさん土地を持っているのなら業者に売ってウハウハになれるだろうに、村上さんは「横浜の緑が減少する! この人口減少社会でこれ以上山を切りひらいてマンションを建ててどうする! 土地は絶対売らん!」とか言う、よう分からん理由で頑なに売らない変わり者らしい。



 そんな村上さんも年も年なのでこの一帯の土地を息子さんに相続させるために相続税関係など色々を調べるために書店の相続関係のコーナーにいて、そこの横で起業関係のコーナーを見ていた向谷と出会ったのだという。



 ――あるんだな、そういうのって。恋愛小説でみるあれだ。そんなシチュエーションでおじいさんと女子高生の出会いがあったのだ。その出会いは中学の卒業式の後、3月18日の桜が芽吹き始めた時期のことだったという。極めて健全な出会いが。夢のある話だ。そんな出会い方、誰が想像できる? 半端はんぱないって、こいつ。映画にしたら良いと思うよ。全米が泣いてくれるだろうよ、知らんけど。

   


 それはさておき、向谷がなぜ書店の起業コーナーにいたのかというと無論、RTCを立ち上げるためだ。



「おや、こんな起業コーナーに学生さんがいるなんて珍しいねぇ。起業でもするのかい?」

「えっ、ええ。したいなって」

「ほう、若いのに感心するねぇ。何をするのか決めてるのかい?」

「一応、決めたんですけど場所がなくて。人気ひとけの少ない山とか広い土地が欲しいんです」

「そうなのかい。なら、私の持っている山を使うかい? どうせ持て余しているところだったんだよ」

「えっ、本当ですか!? ありがとうございます!」



 という流れでとんとんと決まったらしい。「本当かよ?」、と言いたい。でも、本当なんだろうな。これを見る限り。こいつに土地を貸すなんて酔狂すいきょう御仁ごじんだ。道中の左右に生い茂っていた木の数が次第に少なくなってきた。視線の先に大きな開けた土地が見えている。



「あそこが今日の目的地なのか?」

「そうよ」

「あそこで一体何をするんですか? 向谷さん」

「ふふっ、よく聞いてくれたわ椎菜。それは着いてからのお・た・の・し・み♪」

「は、はぁ……分かりました」



 すっと言えよ。もうあと十数mなんだから。そんなことを思った十秒後、ようやく周囲が平坦で開けた場所に出た。



「さっ、着いたわよ!」

「すげぇ……」

「ひ、広いです」



 村上さんの家を出てから約20分。民家もすっかりなくなった丘の上に広々とした土地があった。ところどころに木が生い茂っているが、その大部分が原っぱだ。学校のグラウンドの10倍、いやもっと向こうまで。森が見える手前までがそうなら20倍程度あるかもしれない。



「んで? ここで一体何をするんだ?」

「ふふっ、それはねぇ……ずばり蜂蜜作りよ!!」

「は、蜂蜜……つくり?」

「……蜂蜜? なんで蜂蜜を作るんだよ? 俺たちは思考部だぞ? 蜂蜜作りなんて無関係だろ」

「ふっ、バカね」

「ぐっ、そんな言葉をよくも普通に放てるな」

「今までの活動は、頭のトレイニング! ここからは第二ステップ。試行に移行するわよ!」

 


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