向谷栞、謎の少年と遭遇する
4月9日。今日はようやく待ちに待った休日だ。俺は入学からはちゃめちゃに過ごしすぎた身体をゆっくりと休める――。
はずだったのに。
向谷が「明日は学校前に7時集合!!」というので、結局は休むどころか普段よりも30分早く家を出る羽目になった。
まさか朝から夕方まで1日中部活動する気なんだろうか。そうだとしたら気が狂うかもしれない。実施、俺たちの部活は他の部活のように何か道具があるわけではない。野球部ならバットとボール、剣道部なら竹刀、吹奏楽部なら楽器というものはない。
思考するのに必要なのは、脳、つまりは頭だけ。身一つで活動可能なのだ。だからこそ不安がある。この部活動はどこであろうと活動可能なのだから。今日ももしかしたら学校ではなく、どこかとんでもない場所に連れていかれるんじゃないかと内心びくびくしながら俺は学校までやってきた。
学校に着くとすでに校門前には向谷と多野さんが来ていた。てか、多野さん、よく来たね。昨日あんな理不尽なキレられ方されたのに。でも、怖いんだろうな。向谷と3mくらい距離をとっている。それくらい距離がないとすぐに捕まってしまうからな。
「遅い!」
一番最後にやって来た俺に向谷はいら立った様子で一言。いや、時間通りには来ているのだが、何故そんなことを言われたのか俺は思考する。…………仕返しだな、昨日の。
昨日は多野さんへの怒り全開で俺への仕返しをし損ねた。だから、一番遅く来たことにかこつけて、俺によってかかされた恥への仕返しをここでしたのだろう。言い返してもいいが、今日は始まったばかり。今日1日、こいつにいつ仕返し返し返しされるかびくびくしながら過ごしたくはない。
「ごめん」
と、手短に謝罪する。
学校に集合するや否や、俺と多野さんは学校そばのバス停に連れてこられた。大野先輩は今日も柔道部の活動があるとかで無理だそうだ。いいなぁ、こんなことになるんなら俺もバスケ部に入ってこの思考部と兼部すればよかったと内心後悔している。
「な、なぁ、バス停に来たってことは――」
「もちろん、バスに乗るのよ?」
「……やっぱり」
「ば、バス移動ですか?」
「そっ、これから行く場所はちょっと遠い場所なのよ。最寄り駅からでも30分以上かかるから、バス移動するの」
「どこまで行くんだ?」
「ちょっと山まで」
「ちょっと山までって、お前は登山家か! 山に何しに行くんだよ?」
「……秘密。さっ、座って待ちましょう」
そう言い終えると向谷はさっさとバス停のベンチに座り、バッグの中を漁り、中から1冊の分厚い本を取り出した。
「って、お前その本!」
「そっ、資本論よ?」
資本論とは、今から百年以上も昔にカール・マルクスによって書かれた書籍だ。その影響力は現代でも色濃く残り、今でも数多くの翻訳書が出されているのだ。
「お、お前、前に資本主義と共産主義に代わる3つ目の主義を考えるのは諦めたって言ってなかったか?」
「諦めてないわよ、メインで考えるのはやめただけ。でも、時間があるときにはこうして過去の社会背景を勉強してるんだから。過去から学べることは学ばなくっちゃ」
「はぁ、そうですか……」
まぁ、別にそういうことならいいんだが、そんな本を読みまくられてある日突然、びびっ、と3つ目の主義を思いつかれても困る。もう少し普通の読書をしてもらいたいもんだ。例えば少女漫画とか――ダメだ、読んでる姿は見えてこない。向谷はそのまま手元の資本論に目を落としている。
どうやら目的地を教える気はないらしい。着いてからのお楽しみにしておこう。すでにベンチにちょこんと座っている多野さんの横に俺も腰をかけ、スマホをいじってバスを待つ。が、やはり気になる。せっかくの機会だ。こいつの普段の私生活を少しでも知っておいた方がいいだろう。
「なぁ、普段からその本持ち歩いてんのか?」
「そうよ? 時間がもったいないもの。学校に来るまでの電車での移動時間にもだいたい本を読んでるし」
「へぇ……」
電車で通学してるのか。そういえば、こいつがどこから来てるのかとか、そういうのも全然知らないな。
「時間を有効活用するためにあたしは本を常時携帯してるのよ、ほらっ」
「……分厚いな」
向谷が広げて見せたバッグの中には『会社の立ち上げ方』というRTC関係と
「やぁ、向谷さん。だよね?」
――突然声が上から降って来た。見上げる。知らない男が立っていた。白髪? いや、銀色の髪だ。日に照らされた部分の髪がより反射して白く見えているが、その他の部分は銀髪。ふと、視線を下におろしていくと俺たちと同じような服装。制服を着ているということは高校生だろうか。
再び視線を上にやり、顔を見るとその顔は妙に白かった。外国人だろうか。とても綺麗な、美少年と形容せざるを得ないほどの容姿の男子生徒が、ベンチに腰かけている向谷のことを見つめている。ひょっとしてこの美少年、こいつの知り合い――――
「誰? どこかで会ったことありましたっけ?」
と、いう訳ではないようだ。
「いえ、ありません。ですが僕は知っていますよ? あなたのこと」
「はぁ」
目の前に立つ男子生徒にそっけない態度をとり、ちらっ、とこちらに視線を送ってくる。たぶん困っているのだろう。普段は俺たちに強い口調で詰め寄る姿からは想像できないほどの困惑ぶりだ。
ただ、こちらを見られてもこっちも困る。俺の知り合いでもないし。隣の多野さんも知らないみたいだし。話しかけられたのは向谷だ。不測の事態が起きたら加勢するとしてそれまでは様子見をしよう。俺はそう考え、手元のスマホに視線を落とす。左肩には真横から強めのパンチがお見舞いされた。
「面白いですか、その本は?」
「――別に。おもしろいから読んでるわけじゃないし。この本の中に何かヒントがあるんじゃないかって思って読んでるだけ」
「そうですか。僕もね、いつもその本持ってるんです。ほらっ」
男子生徒の言葉が気になりすぎて俺は思わず目の前を見る。するとごそごそとバッグを漁り、そこから分厚い本が登場した。真っ赤な、血のような色味の本。そこに書かれていた ”資本論” の3文字。
おいおいおいおい、まじかよ。こんな特殊な本を携帯してる変人がご近所さんに2人もいるの!? 日本どうなってんだよ。目の前で起こる衝撃的な光景に心で
「この本は共産主義者にとってのバイブルですからね」
「いや、あたしべつに共産主義者じゃないし」
「共産主義に傾倒しているから読んでいるのでは?」
「ない! だって失敗したもん、共産主義。あんたそんな高そうな真っ赤な資本論持ってて知らないの?」
「いえ、してませんよ。失敗なんて」
「したじゃない! だってレーニンがつくりあげたソ連は崩壊したのよ!? あれが失敗じゃなかったらなんだってのよ!?」
真横で小難しい論争が起こっている。多野さんは完全に怯えて小さくなって俺の影に隠れている。
「彼は間違えたわけではないですよ。ただ、少しばかり時代が彼を早く求めすぎてしまったに過ぎない。僕はね、それを証明するためにこの本を読んでいるんですよ」
「――あっそ!!」
向谷は短くそう告げるとぷいっ、とそっぽを向き先ほどまで熱心に読んでいた分厚い資本論の本をさっさとバッグの中に放り込んでしまった。そんな態度をとられ、男子生徒も流石にふっ、と少し苦笑いのような笑みを浮かべる。
「あなたとは気が合いそうだ。また会いましょう」
男子生徒はそう呟くとバス停からゆっくりと駅のある方へ歩いて行ってしまった。実に残念だ。危なそうな奴だったが、こいつが困る姿をもう少し見ていたかったのに。
「……変な奴。いぃいい~~だ!!」
「おいっ、やめろ。聞こえるだろ!?」
「いぃーのっ!! 聞こえるようにしてるんだから。また絡まれたらたまったもんじゃないわ! なんか、あ、あいつ怖いし。あぁ、もう朝から最悪!! 胸がどきどきする!」
そう言って向谷は左胸に手を当て、心音を確認している。
「どきどき? それって恋なんじゃね?」
「は、はぁ!? 何言ってんの!?」
「だってどきどきしてるんだろ? それってあいつに見つめられたからじゃねぇの? すっげぇ美少年だっ――」
再び真横から強めのパンチが2発お見舞いされた。
「いって! 何すんだよ!」
「ない!! ないないない!! バッカじゃないの!?」
「んな顔赤くして怒んなくてもいいだろ」
そんな不機嫌全開な向谷の顔を見ているとふと上の方で何かが動いた。視線を上に向けると、頭頂部のリボンによって角のように立っている2本の髪束の内、左の束がわずかに揺れている。
が、それはゆら、ゆら、と2回ほど揺れるとその動きをはたと止め、いつものように頭頂部で鋭く尖る硬そうな角に戻った。風も吹いていないのになぜ揺れたのか。まぁ、頭が動けば揺れることもあるだろうが、今はなぜか左側の髪束だけが揺れていたような気がして少し気になった。
「……何? あたしの頭になんか付いてる?」
「い、いや、別に……」
それから俺たちはバスに乗車し、そこから揺られること30分。見知らぬ地へ到着した。
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