向谷栞は灌仏会を思考する2
「よしっ、と! じゃあ始めるわよ?」
「はい!」
多野さんは元気よく向谷の問いかけに返事をした。始めるねぇ。要するに灌仏会っていうイベントを日本で流行るようにしたらいいんだろ。さて、どうするか。俺は黒板に書かれたイベントの概要を眺めながら思考し始めた。
ひな祭り、こどもの日、花見、クリスマス――そうだ。食い物、食い物がよさそうだ。根付いてる日本のイベントの多くはだいたい食い物が決まってるんだ。だったら灌仏会も甘いお茶なんかじゃなく、食い物がいいはずだ。そして今、俺の思考の過程にある妙案が浮かんだ。
「はい」
「はい、千賀。何かいい案は浮かんだの?」
「……灌仏会にはちょ、チョコレートをあげる日ってことにし、したらい、いいんじゃねえか?」
「チョコレート、ですか?」
「そ、そうそう! ちょ、チョコレート」
「……ちょっと。なんで灌仏会が好きな人にチョコをあげるバレンタインデーみたいなイベントになんのよ?」
「い、いや。そ、それは……」
多野さんは俺のチョコレート発言をきょとんとした表情で見つめているだけだが、向谷の鋭い視線に俺はおもわずしどろもどろしてしまう。そんな俺の挙動を見て向谷は何かを察したようにはっ、と口を開けた。
「あ、あんたまさか、灌仏会を好きな女子からチョコレートをもらえるイベントにしようとしてんじゃないでしょうね!?」
「い、いや……そんなことねぇし」
「うそおっしゃい!!」
「う、嘘じゃねぇし!」
俺は必死に否定をした。――が、嘘だ。近年のバレンタインデーは女子同士でチョコレートをあげあうという友チョコが主流となってしまい、男は
それができなくなった今灌仏会とか言うよく分からん日を私欲のために利用して何が悪いってんだそんなイベントを作った俺はきっと日本中の男どもから仏のように崇められるはずだ。
さぁ、日本中の男ども、「この俺を崇めろ!」と、心で叫びながらも俺を絶えることなく侮蔑する視線で見つめる向谷に弁明する。
「あっ、なら、あれだ! お坊さんにチョコレートをあげるってイベントにしたらどうだ? そしたらみんなお坊さんにチョコレートをあげるために寺に行くんじゃねぇか?」
「お坊さんに、チョコ? ですか?」
なんつーことを口走ってんだ、俺は。坊さんにチョコレートをあげてどうする。それじゃ坊さんがモテてるみたいになるじゃねぇか。まぁ、そしたら俺は今すぐ出家して坊さんになるけれども。
「うーん。なんか、微妙」
「び、微妙か?」
「うん。やっぱハロウィンとかクリスマスとか節操なく楽しむ人間はわざわざお寺に行かないと思うのよねぇ」
「……真っ当なご意見で」
だが、ここで引くわけにはいかない。これをゴリ押せば、俺が坊さんになって女子からモテモテになる可能性がワンチャン残るのだから。
「で、でもよ。クリスマスなんかはみんなイルミネーション見に行くだろ」
「ばかね。あれは光がキラキラしてるから人が集まるんじゃない」
「へ? き、キラキラしているから? そうなのか?」
「そっ。街灯に集まる昆虫みたいなもんなのよ? あれは。『ああ、あたしって今ちょうイケてなぁい?』て自分に酔いたい人間が行くとこなんだから」
ひどい言われようだな、日本人。その言葉は同じ日本人であるお前にも返ってくるんだぞ。
「ああ、もう! 早くしないと。時間がないんだからね!」
「ん? 時間がないって?」
「何か用事でもあるんですか? 向谷さん?」
「違うわよ。時間がないっていうのは、灌仏会の強烈なライバルが日本文化として定着しちゃうって意味よ」
「灌仏会のライバルって、何だよ?」
「イースターよ」
「「イースター?」」
「そっ、イースター。イースターはキリストの復活を記念したイベントなの。あのキラキラした卵を用意してるのみたことあるでしょ?」
「あっ、私、小学生の時にイースターやったことあります」
「ん?」
「は、はぇえ……」
鋭い眼光が多野さんに向けられた。俺が言うのもなんだが。多野さん、それは言っちゃだめだよ。もう少し思考しよう。向谷は灌仏会を流行らせようとしてるんだ。そこでライバルって名指しされたイースターをしたことがあるだなんて。
「そんなイースターはだいたい毎年4月初旬から下旬の近辺なのよ。これが日本人に完全に定着したら、灌仏会は完全敗北なのよ」
「まじか。でも、確かにちょっと見聞きするな。テーマパークとかでもイベントやってたりするし」
「そうね。イースターは可愛らしい卵を用意するし、映えるから女子受けもいいんでしょうね。灌仏会は映えという点において圧倒的なビハインドを取っているの」
「か、灌仏会は……イースターに勝てるんでしょうか? 向谷さん」
「ふふっ、安心しなさい椎菜。イースターはねぇ。まだ確立されてないのよ」
「か、確立ですか?」
「そっ。イースターは迷走してるの。キラキラした映え卵を用意するだけでいいのか。何かを食べる日なのか。それともどこかへ行く日なのか。日本人が一番苦手な、『うわぁ、な、何をしたらいいか分かんないよぉ』状態。それがイースターなの。だからこそ、あたし達が灌仏会の明確な過ごし方をガチッ、と決めてイースターを叩き潰すのよ!」
叩き潰すって、そこまでしなくてもいいんじゃないか。灌仏会とイースター、仲良くしてもよさそうなもんだが。
「まぁ、とりあえず灌仏会をお寺と結びつけるのはもうあきらめましょう」
「……え!? あ、諦めるのか!? そこ、大事なとこなんじゃねぇの!?」
「いいのよ。まずは灌仏会をみんなに楽しいって思ってもらわなくちゃ。クリスマスだって本来なら教会に行くべきところをケーキを食べる日として日本で定着したんだから、灌仏会もわざわざお寺に行くような信仰心のある人だけじゃなくてみんなで楽しめる方向で考えていきましょう」
「そ、そっか……分かった」
なんか一番大事な部分を切り捨てたような気もするが、まぁまだチャンスはある。何とか理由をこじつけて女子から何かをもらえるイベントを確立しなければ。とりあえず坊さんになるのはもういいや。女子、寺に来なくなったし。
「あっ!」
「ん? どうした、何か思いついたか?」
教壇に立つ向谷は突然あっ、と口を開けた。こいつがこういう動作を露骨にするから分かりやすい。
「灌仏会には和菓子を食えー!!」
「な、何だよ急に……びっくりするだろ!?」
それでいて急に声量が変わるから余計に驚く。分かりやすい動きの後に分かりにくい動きすんなっつの。
「わ、菓子……ですか?」
「そっ。和菓子よ! よく仏壇にお饅頭とかおはぎとかお供えするじゃない? だから仏教のイベントにはやっぱ和菓子が相性いいと思うのよ。甘いし、きっと女子受けもするはずよ」
「私も和菓子好きです。いいと思います、向谷さん」
「でしょでしょ? というわけで灌仏会は和菓子を食べる日ってことで、はいっ決定~!!」
「あっ、ちょ、ちょっと待っ「はいっ、静かにしてくださぁい!」……」
くそっ。やられた。自分がいいと思った案が出た途端これかよ。ったく、もう発言すら封殺される。これがこの
まぁ、しかたがない。ここはさらに軌道修正だ。俺は思考フル回転でとりあえず多野さんから和菓子をもらう方法を
「あっ、なら……」
「挙手!」
「……はい」
「はい、千賀君」
「な、なら色んな和菓子をみんなで持ち合って祝うっていうイベントにしたら盛り上がるんじゃねぇか?」
「ふんふん、なるほど。いいわね、それ。みんなで和菓子を持ち寄ったら色んな和菓子が食べられるし。よし、それを採用しましょう!」
よしっ、来たぁあ!! 俺は心の中で大きくガッツポーズをとる。これで灌仏会に参加した女子から自動的にお菓子をもらえるイベントの誕生だ。和菓子という特殊性から手作りでもらえることはないだろうが、この際そこは我慢しよう。俺の主目的である女子からお菓子をもらうという目的は達成したのだから。
「じゃあ、早速くじ引きでどの和菓子を買ってくるか決めましょう」
「分かりました!」
「……ん? えっ、と何? 買ってくるって?」
「何? じゃないわよ。聞いてなかったの?」
「あ、ああ」
聞いてなかった。女子からお菓子をもらえるイベントを作り上げた達成感で頭がいっぱいだったからな。
「まったく。だからぁ、ただ和菓子を持ち寄るんじゃつまんないからくじ引きで引いた和菓子を持ってくるイベントにしようってことよ。じゃあ今からくじ作るから」
「へ? い、今からって。今からするのか?」
「当り前じゃない! 今日は4月8日灌仏会当日なのよ? 今日やんないでいつやんの。ほらっ、バカなこと言ってないでさっさと紙切るの手伝んなさい」
やった。これは嬉しい誤算だ。まさか決めたその日にこのイベントが実行されるなんて。俺は喜んで、そして急いでくじ用の正方形の紙を量産する。10枚ほど用意したその正方形の紙に向谷が和菓子の名を書き記し、多野さんが持っているくじ用の箱に入れていく。
――どっから持って来たんだろうな、あの箱。そう思ってみたら、 ”目安箱” と書かれていた。目安箱というのは学校の廊下に設置されている意見箱の名前だ。きっとさっき向谷が廊下に出たときにかっぱらって来たんだろう。
机の端にくしゃくしゃになった紙が置かれている。きっと吐かされたのだろう。
そんな皆様のご意見を吐き出した目安箱に代わりの10枚の紙を食べさせ、俺たち3人は1枚ずつそこからくじを引いた。
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