向谷栞はオノマトペを思考する2

 


「むむ…………」

「…………向谷さん。真剣な表情ですね」

「え? あ、ああ。そうだね。ってか、多野さん?」

「はい。何ですか?」

「あんなにうねうね動いてるミミズ見ても大丈夫なの? 気持ち悪いとか思わない?」

「はい。大丈夫です。私も小さいころ色んな虫さんを触ってましたから。一番のお気に入りは、ダンゴムシさんです」

「へ……へぇ」

 


 ふと差し出された多野さんの右手にはビービーダンのような丸っこいネズミ色の物体らが乗っている。出た。子供に人気の定番であるダンゴムシ。触った時に咄嗟にクルンと身体を丸めるあのダンゴムシ。あの可愛らしいフォルムは幼いころの多野さんも魅了していたのだろう。



「ダンゴムシさんはとてもかわいいです。でも、たまにダンゴムシさんの偽物がいてそれは丸くなってくれないんですよね」



 多野さんは手のひらで頑なに丸まらない個体をつん、とつつく。



「ああ、ワラジムシね」

「はぇ? ワラジムシさんって言うんですか? 私はニセダンゴさんって呼んでましたけど。千賀さんの地域ではワラジムシさんって呼ぶんですね?」

「いや……まぁ、そうだね」



 「全国どこでもそうだよ」と言おうとしたが、せっかくの多野さんの幼少期の思い出だ。日常生活で支障が出るようなものでもない。そう思った俺は多野さんの中のニセダンゴさんをそのままにしておくことにした。そしてしばし、多野さんの手から解放され、草むらの方へ優雅に過ぎ去ってゆくニセダンゴさん見送る。

 ニセダンゴさんを無事見送り終えた俺たちが向谷に視線を戻すと、向谷の口が何やらと動き始めた。



「…………みゅ……」

「……みゅ??」



 向谷は口を尖らせ、そしてそのまま――



「みゅね! みゅねみゅね!!」



 という謎の言葉とともに立ち上がり、身体をくねくねとくねらせ始めた。



「お、おいっ。何やってんだよ。やめろ」



 向谷の突然の不思議な動きに俺は動揺した。慌てて周囲を見渡すと河川敷を散歩している人やサッカーをしている子供たちが向谷の奇矯ききょうを凝視していた。

 この周辺の住民であれば俺たちの着ている制服が翡翠高校のものであることは知っている人も多いはずだ。周囲から向けられる視線が痛い。



「やめろって!! 周りに見られてるだろ!?」

「ちょっと! 何すんのよ!? せっかくあたしがミミズのオノマトペを披露してるっていうのに!!」

「み、ミミズのオノマトペ?」

「その……ってした動きがですか?」

「そっ! これがミミズの動きを表現する新しいオノマトペになるの。頭を『みゅ!』って動かして、そこから後から身体の他の部分がゆっくりと『ね〜!』ってついてくる様子にぴったりじゃない?」



 頭と身体をダンサーのように器用にボディーウェイブさせた向谷にそう言われ、俺は地面にちょうど向谷の手から解放されていたミミズに目を凝らす。よくそれを観察してみると確かに頭の部分が先に動き、そのあとにその後ろの大部分が「にゅ~~」――いや、向谷的に言うと「ね~~」という具合に動いている。確かによくよく観察してみるとミミズは無造作にうねうねと動いているわけではないようだ。そこにはしっかりとした目的があるような動き方がある。ミミズもよくよく観察してみると今まで自分が知らなかった、いや、考えようともしなかった姿がよく見えてくる。見えては来るが――、



「新しいオノマトペって……ミミズの動き方がお前が考えたそのってオノマトペになるわけないだろう」

「もうっ! これから浸透していくんだからいいの! 『俺は目の前でと動く生き物に戦慄せんりつした』って言われても何に戦慄したのか分からないじゃない? でも、ミミズの動きはみゅねみゅねだって浸透したら、『俺は目の前でと動く生き物に戦慄した』っていう文章が使えるのよ? それだけで目の前にいるのがミミズだってわかるの。ねっ? すごくない??」



 向谷は嬉しそうに右手に再びつまんだミミズを俺の顔に近づける。



「うおっ! いちいちミミズを近づけんな!」

「あんたの書いてるこのラノベ? とかにもミミズ女とか出てきたらあたしの考えたハイセンスなオノマトペを登場させていいわよ?」

「あっ! お、俺の書いてるラノベ!」



 意地の悪い顔で左手に持ったスマホで見せている画面には俺が描いているネット小説がさらされていた。向谷にキモイと言われてから名前を変えて判らないようにしていたはずなのに。一体どうやって見つけやがったんだ。まぁいい、俺の高尚なラノベにミミズ女などというキモイキャラは登場することはない。故に、を使うことはないのだ。



「いや、俺のラノベにそんなキモいキャラは出てこないし……」

「ふふっ、まぁいいわ。使いたくなったらいつでも使いなさい? あたしが許可したげる」

「……だから、登場しないんだってば」

「じゃあ、次は椎菜の番ね!」

「はぇ? わ、私ですか??」

「そうよ? みんな順番に1個ずつ考えていきましょう! 鈴虫やセミの声みたいに。虫の声に昔から関心がある日本人だからこそ! 今はオリジナルのオノマトペなき憐れな昆虫、略して憐虫れんちゅうに新しくオノマトペを与えてあげるべきなのよ!」

「なんじゃ、そりゃ……」

「と、いうわけで……椎菜の考える憐虫は~……これ!!」

 


 向谷は地面を歩いている黒いゴマのような物体を指さす。この昆虫のオノマトペは、何だろう。俺は自分の番が回った時のために思考する。?、いや、てくてくなら他の生き物でもいいか。――うーん、何だろうか。



 見ている地面には黒い5mm程度の物体が大量に動いている。そう、アリだ。

 向谷が多野さんに考えさせているオノマトペの対象だ。アリ。身近にいる昆虫ではあるが、アリに用いられるオノマトペとは何だろうか。――どれも違う気がする。



「はぇえ……」

「さぁ、思考なさい! 椎菜!!」



 ミミズを持ったままの向谷に迫られている多野さんは必死に地面のアリを観察している。まじまじと。多野さんはこのアリに達にどんなオノマトペを授けるのだろう? しかし、こうして思考してると従来のオノマトペというのは実に巧妙だ。ツクツクボウシ、ヒグラシ、マツムシ。どれも虫の声の特徴を的確に捉えている。昔の人々はよく虫を観察していたのだろう。であれば、目の前で必死にアリに目を凝らしている多野さんにだってできるはずだ。そいつらは鳴かないけども。頑張れ多野さん。ハイセンスなオノマトペを考えて向谷を「あっ」と驚かせてやれ。



「……う~~ん…………あっ!!」

「何なに? 思いついた??」

「りゃ…………」

「りゃ??」

「りゃ……りゃすりゃす~~!」



 多野さんはと言い放つと、両手の人差し指を頭に持っていき角のようなポーズをとっている。その様が何とも可愛らしく、思わず顔が、と崩れる。



「りゃすりゃす?? 何でアリのオノマトペがなのよ?」

「はい……えっと。アリさんを観察してたら他のアリさんたちと触覚を使って何かやりとりをしているのに気が付いて……それでこう、触覚をって重ねながら頑張って働いている感じを表現してみました」

「へぇ……」

「あ、あと、アリさんの触覚でのやりとりが『ありがとう』って感謝しているように見えたので……ありがとう、あ、ありゃっす! みたいな意味も込めてます」



 さすが多野さん。アリはただ地面を歩いているのではない。2割くらいはさぼっているアリがいるらしいがあとの8割のアリたちは頑張って日々働くアリたちだ。多野さんの考えたというオノマトペはそんな健気に働いているアリたちの仕事ぶりを表現した素晴らしいオノマトペだろう。


 

「なるほどね……なかなかにいいオノマトペね。ナイスよ、椎菜!」

「はいっ、あ、ありがとうございます」

「よしっ、じゃあ最後は千賀!」

「お……おう…………」



 やっぱり俺も考えなきゃダメか。俺の考える昆虫は、何だろうな。簡単そうなやつ、来い!! 俺は地面を見渡す。と、なぜかそこには1匹のカマキリがいた。なぜ? カマキリって普通草むらにいるだろ。それが何でこんな何もない砂利にいるんだよ。どっか行け! そう思った時には時すでに遅し。ふと見る向谷の視線は俺同様に砂利にたたずんでいるカマキリを捕捉していた。



「じゃあ、あんたの考えるオノマトペはこのカマキリのオノマトペ!! さっ、思考してして?」

「千賀さん、ファイトです」

「お……おう…………」



 向谷に促され、俺は再びカマキリに視線を戻す。カマキリ……今までのパターンではミミズが『みゅねみゅね』、アリが『りゃすりゃす』。どちらも何となく名前とオノマトペが似ている。――であれば、


 

「き……」

「き?」

「何々?? き……何なの??」

「き……きゃまきゃま」

「きゃ……きゃまきゃま……ですか?」

「きゃまきゃま~~!? ……千賀」

「ん?」

「きゃまきゃまはダメよ……。もっかい考えなさい」

「は!? な、何でだよ!!」

「……カマキリが一体どういう憐虫なのかをよく考えなさい! それが分かっていたらなんてふざけたオノマトペは出てこないわ」

「ふ、ふざけたって……」



 俺のオノマトペはあっさりと向谷に却下された。なぜだ。なぜ、ダメだった? 俺だってこいつや多野さんのオノマトペのように名前からとったのに。なぜ、は――――!



「はっ!!」

「……理解したようね」



 向谷は、とした俺の表情に語りかけてくる。そう、俺は気が付いたのだ。カマキリという昆虫の性質に。カマキリ、それは昆虫界の強者だ。カマキリは昆虫界において圧倒的な強者。様々な昆虫を狩るだけではない。



 時に交尾が終わった際には雄を捕食し、時に密閉空間においては共食いに興じるような生粋の昆虫界のハンターだ。そんな強者であるカマキリに対し、俺の考えたというどことなく可愛らしい字面じずらのオノマトペはそぐわない。



 そういうことなんだな、向谷。なら、こいつに相応しいオノマトペは、もっとこう――「狩る!!」って強い意志を感じるオノマトペだ。――狩る――――狩る――――――狩る!!!



「か……」

「か?」

「ふふ、今度はどんなオノマトペかしら?」

「か、カッシャリ、カッシャリ」

「か……カッシャリ……」

「カッシャリ…………」



「「おお~~~~!!」」

「え? な、何?」

 


 カマキリのオノマトペを発した途端、向谷と多野さんの口から歓声が上がった。その突然の歓声に俺は思わず身体を引く。



「いい! すっごくいいわよ、千賀!!」

「流石です。千賀さん」

「へ? そ、そう……?」

「うん! なんかこう……カマキリの好戦的な『狩る!!』っていう感じ? ほらっ、今も『来るならいつでも狩ってやるぞ!』っていうこのカマキリの鎌をよく表現したオノマトペだと思うわ」

「カッシャリカッシャリ……。カマキリさんの不気味さがよく表現されてると思います。鎌を合わせたときに聞こえてきそうな素敵なオノマトペですね、千賀さん」

「えっ……あ、ありがとう……」



「カッシャリ、カッシャリ♪」

「カッシャリ……カッシャリ……」

「………………」



 俺の考えたオノマトペがよほど気に入ったのか、2人は立ち上がり、両腕をカマキリの鎌のようにし、右腕、左腕と交互に振り下ろしながらと楽しそうに踊っている。その様子は再び河川敷の人々の注目の的になり、砂利の上のカマキリはそんな女子高生たちに対し、臨戦態勢りんせんたいせいをとっていた。


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