向谷栞は暦を思考する1

 


 多野さんが思考部に入部した翌日。今日は4月6日だ。俺はいつものように放課後に思考部にやってくると向谷が廊下に持ち出した椅子の上で目一杯背伸びしていた。その手元には1年A組の文字が。俺がこの部屋を覗いたとき、教室の表記は ”思考部” になっていた。が、どうやらそれは向谷が放課後に思考部のプレートを取り付けていたからだったようだ。1年A組の教室だったんだな、ここ。



 その作業を流し見つつ中に入り、既に来ていた多野さんと談笑。と、プレート装着を終えた向谷が背中をさすりながら戻ってきた。手伝ってやるべきだったか。向谷は猫背ぎみの姿勢で黒板に何かを書きだした。



 ”4月6日”



 黒板には4月6日。今日の日付だ。黒板の前に立つ向谷は俺と多野さんを威圧するように堂々と仁王におう立ちしている。少しでもその小さな身体を大きく見せようとしているのだろうか。底の低いローファーでいっぱい背伸びをしているのがここからでもバレバレだ。また背中を痛めるぞ。



「それじゃ、今日の思考を始めるわよ? この文字を見て」

「はぇ? なんですか?」

「4月6日……」



 何の日だろうか? 俺がそんなことを考えながら頬杖ほおづえをついていると多野さんが先に発言をする。



「あ! もしかして向谷さんのお誕「それは昨日」――あっ。……そうなんですか。それは……おめでとうございます……た」



 会話にダイブされた多野さんはバツが悪そうにたどたどしく、最後の語尾を過去形にして黙ってしまった。



 あー、分かるわ。俺も4月27日生まれだから分かる。向谷の気持ちも多野さんの気持ちも。よく早生まれは不遇ふぐうなんて言われるが、4月生まれというのもなかなかに不遇だ。入学やクラス替えのある4月。



 ドキドキフレッシュ気分で過ごすのが4月だ。そして4月の終わりからゴールデンウィークが始まり、その連休後からがだんだんと仲が深まってゆく。が、4月生まれというのは大抵の場合、仲が深まる前に誕生日を迎えてしまっている。



「そういえば千賀君って、誕生日いつなの?」

「えっ……4月27日」

「あっ……そうなんだ。……もう終わっちゃってるんだね…………なんか、ごめん」



 こんな会話を何度してきたことか。だから俺もこのいたたまれない空気、気持ちはよく分かる。にしても4月生まれのわりに身長は小さいし、身体つきも多野さんの方が出ているところは出て――



「……何見てんのよ? あたしの身体になんか付いてる?」



 俺がうっかり向谷を観察していると、威圧的な目で見返された。付いてるというよりか、むしろ付いていなさすぎるというか。そんなことをぼうっと考えながら向谷の胸部を見ていると、そのほぼ平らな胸がだんだんと大きくなって――――――、バンッ、と目の前に拳が降りそそいできた。



「ちょっと!! 今は部活動中なの! ちゃんと集中しなさい!!」

「すんません……」



 ――違った。胸が大きくなっていたわけではなく、向谷が俺に近づいてきているだけだった。俺を叱責しっせきするとすたすたと再び教壇へと戻っていく。



「さて、質問です。あたし達がいるこの地球。この惑星はどんな惑星でしょうか?」

「はい!」

「はい、椎菜」



 馴れ馴れしく多野さんを「椎菜」と呼びつける。いつ仲良くなったんだ。昨日あれだけ威嚇して、ありえんだろ。まぁ、多野さんは気にしてないみたいだからいいけど。



「とっても大事な大事なかけがえのな「違います。そういうの今は求めてないから」――は、はぇええ……」



 元気よく手を挙げて積極的に発言した多野さんの言葉を一瞬にしてねじ伏せる向谷。どうやらご所望の回答ではなかったようだ。多野さんは困ったような、とても悲しそうな表情で右の席に座っている俺を見つめてくる。



「そういうんじゃなくて、今聞いてるのは地球っていうのは宇宙でどんな立ち位置の惑星かってことよ! はい! じゃあ、千賀! あんた答えなさい」



 向谷は左手の人差し指を突き出して俺に向かって何度もその指をさしてくる。人に向かって指をさすな、指を。と、以前の俺なら思っていた。小さいころから人に向かって指さすなと教育されていたから。



 だが、俺はならなぜ人間の指には人差し指が付いているのだろうと考え、そして調べた。調べたけれど決定的な答えは分からなかった。けど、人差し指で指さすことは失礼に当たるのだ。俺は今、その理由を思考している。そして分かった。



 目の前の教壇の位置から左手を何度も振り下ろして指をさしてくる動作。めっちゃ腹が立つ。きっと先人たちも思ったに違いない。この動作は人を本能的に不快にさせる。ゆえに人差し指で人を指さしてはいけないのだろう。



「ちょっと! 何、ぼうっとしてんの? ほらっ、早く答えて!!」

「え……ああ。えっと……太陽系の惑星ってことか?」

「そうそう、そんな感じ。もっと具体的に言うと?」

「……太陽の周囲を公転こうてんしてる……」

「そう! それよそれ。今日の思考にはその言葉が欲しかったの! 椎菜の言ってた『かけがえのない星ですぅ』、とかはどうでもいいの!!」

「はぇええ~~!!」



 どうやらご所望の回答が得られたらしい。向谷は嬉しそう左の人差し指で俺を何度もさしながら、右の人差し指で多野さんを同じように何度も指さし、先ほどの多野さんの回答を蒸し返している。



「地球が太陽の周りをまわってるっていうのとその黒板の4月6日っていうのがなんの関係があるんだよ?」



 俺は向谷の意識を黒板へと向けさせる。両手で振り下ろされているうざったい2本の手の動作を止めたかったから。



「ふふっ。気が付かない?」

「…………何がだよ?」

「もう~~、しょうがないなぁ♪」



 向谷はどこか勝ち誇ったような表情を俺に向かって浮かべると黒板の方を向き、4月6日の4文字になにか細工をし始めた。



「これで良し!」

「……は?」



 ”4日6月”



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る