向谷栞は環境問題を思考する

 


「あっ……うう……」



 詰め寄られた多野さんは猛獣から逃げる小動物のように必死に扉の方へ後ずさりを始めている。が、猛獣がそんな小動物を逃がすはずもない。じりじりと詰め寄る猛獣。



「ねぇ!!」

「おいっ、やめろ。多野さんがおびえてるじゃねぇか」

「何言ってんのよ。あたしは別に何もしてないし。ただ、思考部に入るかどうか聞いてるだけだもんっ」

「あ……あの……」

「ん? 何? 入る気になった?」

「い、いえ……その。……入るかどうかはまだ決めてないんですけど……実際の活動を見たいなと思いまして……」



 やめた方がいいよ、多野さん。ちょっとでも隙を見せるのは。俺も成り行きとは言え、ちょっと後悔してるし。さっきまでだってほらっ、句読点の「.」がどうして「。」になったかを思考してたんだから。俺は教室の黒板に書かれた ”資本主義や共産主義、どっちもビミョーなんで第3の主義を思考しています。” の文字に目をやる。こんな部活よりもお料理部で楽しい高校生活を過ごしてください。俺は心の中で多野さんの幸せを願う。



「そっ! じゃあ我が思考部の活動を実践を交えて説明したげるわ。多野さんは今、何か考えていることはあるかしら?」

「はぇ? 考えてること……ですか?」

「なんでもいいわよ?」

「そう……ですね。あっ、環境問題とか……すごく興味ありますぅ」

「環境問題?」

「はい。私は地球のみんな。人間も他の動物さんも植物たちもみんなが笑顔になれる地球にしたいんです。でも、今の地球は色々と問題を抱えているじゃないですか? だからそれを解決する方法を考えてるんですぅ」



 多野さん。なんていい人なんだろう。この子はいい子だ。間違いない。こんな純粋な子をこんな危険人物に近づけてはいけない。思考部の生贄いけにえは俺1人で十分だ。多野さんは何とか逃がしてあげたい。俺はこの状況から多野さんを脱出させる方法を頑張って思考する。と、その時――



「そんなの無理じゃない?」

「…………ふぇ!?」



 多野さんの純粋な考えを全否定する声が部屋に響いた。

 


「おいい! なんてこと言うんだお前は!? 多野さんの純粋で素敵な思考を否定するんじゃない!」



 俺は全力で向谷に詰め寄り向谷と多野さんの間に割って入った。



「な、何よ急に!? なんでそっちの味方するわけ? あんたあたしの仲間でしょ!?」

「いや、仲間ではないが。てか、多野さんをいじめんな」

「だ、だってそうじゃない? 地球のキャパは限られてるんだし、人間が増えたら他の動物や植物の居場所がなくなるわよ? それに植物って楽しいとかって思うのかしら? 意識なんて――」

「思うんだよ。植物だって楽しいって思うんだよ! 俺、見たことあるもん。植物が笑ってるとこ!」

「う、嘘付くんじゃないわよ!!」

「嘘じゃねぇし!!」



 俺は向谷に自分の考えを否定されて見る見るうちに顔が青ざめている多野さんを横目に気にしながら全力で多野さんをフォローする。そんな俺の全力の無理やりフォローに向谷が半ばあきれ顔を向けてくる。



「あんた、頭大丈夫? 植物が笑うわけないじゃん」



 おいい! やめろやめろ!! せっかくの俺のフォローを無に帰させるな。思ったことをそのまま口に出すな、思いやりの心を持て! 多野さん困っちゃってるだろうが! 俺は慌てて向谷を多野さんから引っ剥がす。



「おいっ!」

「な、なによ?」

「せっかく入ってくれそうな多野さんの素敵な思考をお前はすり潰すつもりか!?」

「だ、だって実際そうじゃない? 植物が――」

「いいんだよ! 笑うんだよ植物は! じゃなくって……今のお前の目的はあの多野さんを入部させることだろ? だったら多野さんが入部したくなるようにしろ! おもてなしの心を持て!」

「ぐっ……わ、分かったわよ」



「……はぇ?」



 振り返ると多野さんが純粋な目で俺たちを見つめていた。ごめん、多野さん。本当は君をここから逃がしてあげたかったけど、それ以上に君がこいつに傷つけられるのを見ていられなかったんだ。君はとても良い子だ。こいつの言葉は気にしないでください。そいつはこの世界に革命を起こしかねない危険人物なんです。



「あっと……よ、よく考えたらす、素敵な考えね。そ、そうよね。今の時代、環境問題って世界規模で大事な課題になってる……ものね。じゃ、じゃあその、問題について……思考していきましょう」



 声が上ずっている。絶対に思ってもいないことをしゃべっているに違いない。少しは思えよ、今どきの高校生は。憂えよ、地球環境を。大丈夫だろうか。またショートしたりしないよな? 念のため俺は机に置いてあった向谷の塩こんぶを3個くすねておく。



「それじゃあ始めましょう」

「ん? なんだ?」



 向谷は「始めましょう」と言う宣言とともに俺の机のメモ用紙を1枚とり、手の中でくしゃくしゃ、と丸め始めた。 



「何してるんですぅ?」

「……ぽいっ!!」

 

 そしてその丸め終えた紙をぽいっ、と教室の床に投げ捨てた。



「じゃあ始めましょう。環境問題について思考しましょう。今、あたしが床に投げたあの紙はゴミは否か。さぁ、思考の時間だぁ!!」

「…………」

「………………」



 また始まった。向谷の思考は突然始まる。3人しかいない部屋の真ん中に丸まった紙ごみが1つ落ちている。無論、紙ごみと言っている時点で俺はあれをゴミと認識しているということだ。多野さんはどう思っているのだろうか。ふと顔をみると多野さんは首をかしげて不思議そうに向谷と紙ごみを交互に見ている。



「ほらっ、何してんの2人とも! ちゃんと思考して、して!!」

「お、おう……」

「は、はいぃ!」



 向谷に促され、俺と多野さんはとりあえずへやの真ん中に転がる紙を拾い上げる。



「……よっと。ん? なんだこれ?」

「何か描いてありますね。……可愛いですぅ」



 向谷にくしゃくしゃに丸められた紙ごみを拾い上げ、再びくしゃくしゃして元に戻す。拾った紙を開くと中には何かが描かれていた。これは、人だろうか。紙の中には何となく女子に見えるキャラが描かれていた。髪の毛の頭頂部に2本の角のような特徴があり、そこにリボンのようなもの。それは何となく今いる向谷の特徴を捉えていた。

 中を確認した俺はその紙を再びくしゃくしゃ、と元の状態に戻す。



「さぁ、どうかしら? その紙はゴミ? 違う? どっち?」

「どう思います? 多野さん」



 俺はとりあえず多野さんにも意見を求めてみる。俺の結論が変わることはないが、多野さんがしっかりと思考しているところを見せないとまた向谷が「思考してない。思考停止!」とか言って多野さんに食って掛かって来そうな気がしたから。 



「う~~、そうですね。この紙に描かれてるキャラを消しゴムで消せばメモ用紙とかで使えるんじゃないでしょうか?」

「いや、これ油性ペンで描かれてるっぽいけど」

「はぇ……そ、そうですか」



 そう。紙に描いてあった向谷っぽいキャラはご丁寧に油性ペンで描いてあった。まぁ、多野さんのメモ用紙という使い方もあるだろうけど、高級な紙という訳でもないし、これがゴミか否かと問われれば俺はやはりゴミだと思った。



「どう? 答えはでたかしら?」

「……俺はゴミだと思う。紙はくしゃくしゃになってるし、変なラクガキが描かれているからな」

「ちょっと! 誰が変なラクガキよ! それはあたしが描いたミニ栞ちゃんよ」



 やっぱりお前かい。あの短時間のいつ、こんなラクガキを描いたんだ。



「……で? 多野さんはどう思うわけ?」

「はい。えっ……と、裏面をまだメモ用紙として使えるので……ご、ゴミじゃないと思います」



 さすが多野さん。環境問題に関心を持っているだけのことある。こんな変なラクガキが描いてあるくしゃくしゃな紙の裏面をメモ用紙として使おうというのか。俺ならこんなくしゃくしゃな紙はそのままゴミ箱へ、ポイだ。



「まぁ、そういう考えもありなんじゃない?」

「何だよ、その上からな物言いは? 違う答えがあるってのか?」

「ふふっ、二人とも甘いわね。思考力がまだまだ足りないわ。あんた達はあたしがなぜ部屋の真ん中にくしゃくしゃに丸めた紙を投げたか理解していないようね」

「……何?」

「い、意味ですか?」



 向谷は誇らしげに俺と多野さんに向かって話してくる。正直、こいつの頭の中などどうでもいいが、このゴミがゴミかそうでないかという結論以外の思考があるというのだろうか。



「……意味が分からないんだが? お前が出した問題だろ?」

「私もよく分からないですぅ」

「ふふっ、分からない? 仕方がないわね。この問題で思考しないといけないのはその紙がゴミか否かだけじゃない。その紙をどの視点で捉えているかということなのよ?」

「どの視点で捉えるか? そんなもん俺たちの目で捉えるしかないじゃねぇか」

「本当にそうかしら? 多野さん、丸めた紙には何が描いてあった?」

「え? ……あっ、はい。可愛いキャラが描いてありました」



 あの変なラクガキを可愛いなんて表現するとは、やはり多野さんは優しいな。多野さんが思考部に入部してくれたらきっと俺の高校生活ももっと楽しいものに……。いや、いかんいかん。俺は何を考えているんだ。多野さんには多野さんの幸せ、料理部に入って料理を作る楽しい高校生活を送ってもらうのだ。そのためにもこの思考部がいかにくだらない部であるかを理解してもらわねば。



「そっ。あのキャラはミニ栞ちゃんよ」

「さっきも聞いたよ。お前だろ、これ」



 俺は先ほど丸めなおした紙をもう1度開き、向谷がミニ栞だというキャラの顔をまじまじと見る。何となくこの人をバカにしたような笑みがミョーに鼻につく。中身を確認後、再び右手でくしゃりと握りつぶす。



「それはあたしの分身。そしてその丸めた紙は地球を表していたのよ」

「…………はぁ?」

「はぇええ!? こ、この紙ってち、地球だったんですかぁ!?」

「そっ。つまりその紙は地球でこの部屋は巨大な宇宙! そうして考えればそのミニ栞ちゃんにとっては大切な紙でも、私たち宇宙的視点から見れば、あら不思議! ただのゴミに見えてしまうということなのよね。うんうん」

「……つまり、どういうことなんだ?」

「ん? 分かんないの千賀? つまり、ミニ栞ちゃん視点で見れば地球は大切な資源。宇宙的視点で見れば地球はただのゴミってことよ」 



 ――――――俺の想像の遥か遥か遥か、ず~~っと遥か上を行くぶっ飛んだ回答。――――怖えよ。何だよ宇宙的視点から見た地球って。どこから目線で思考してんだよ。お・ま・え・は・う・ちゅ・う・じ・ん・か? 違うよな? 人間だろ? 地球人だろ? なら、もっと人間らしい、地球人的視点で思考してくれよ。



「環境破壊推進論者か? お前は……」

「ちっが~~う!! あたしはただ、地球というのはあたし達にとっては大事な星でも、宇宙にとっては取るに足らない1つのゴミよってことを教えたかったの!」

「……なんか……危険な思想な気がします」

「うぐっ!」



 多野さんナイス。よく気が付いてくれました。そう。こいつはヤバい奴なんです。だから今すぐここから逃げなさい。今ならそれができる。「この人怖いですぅ!!」って、泣きながら部屋を出ていくんだ。



「そ、そんなことないもん!! ダメよ? 千賀、多野さん。決めつけるのは良くない。あたしはただ純粋に多角的な視点で思考しただけなの! 人間は常に思考し、それが正しいのかを試すことが大事なの。そして最終的に自分の思うベストな考えに至った時、最高潮の気分に達することが出来る。これこそが思考部の醍醐味だいごみ、至高の時なんじゃないの!!」

「いや、知らねぇし」



 やはりヤバい。ヤバすぎる。言っていることの半分以上が理解できない。まぁ、これで多野さんも気味悪がってここを去っていくだろう。こんな可愛い子が思考部に入ってくれたら俺的には華やかな高校生活を送れそうだったが、やはり諦め――――

 


「はぇええ!! な、何かすごいですぅ」

「え! あれ!? た、多野さん!?」

「ふふっ。そうでしょうそうでしょう。思考を極めれば新しい料理だって思いついちゃうんだから」

「そ、そうなんですか!?」



 騙されちゃだめだ多野さん。新しい料理は思考部に入らなくたって作れる。それこそ、料理部の方が作れるはずだ。料理部の先輩たちと一緒に楽しく料理を――――いや、だが! このまま向谷が多野さんを上手く引き入れてくれれば俺の高校生活が華やかに。いや、しかし。が、がんばれ向谷――――じゃない。騙されてくれ多野さん――――じゃなくて!



「あの……もう少しこの思考部についてお話、聞かせて欲しいです」

「もちのもち! もっちもちのろんよ! ようそこ、思考部へ♪」



 こうして俺の頭の中で天使が悪魔にメッタ打ちされている間に多野さんは向谷にあっさり騙されてくれていたようで思考部の部員は3人になっていた。

 ――ありがとう、向谷。


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