向谷栞は日本を思考する



「でも、80億人も人間がいて新しい主義が生まれてこないなんて……。いったいどういう了見りょうけんなのかしら?」

 そう言って向谷は少し頬を膨らませてむっ、とした表情。



「あ、あのさぁ……」

「何よ?」

「つまりこの……思考部? ……は、その資本主義や共産主義に代わる第3の主義を思考するための部活ってことなのか?」



 俺は一気に核心かくしんに迫った。もし、この思考部という部活がそのための部活であればそれはもはや、部活ではない。向谷の答えが「イエス」なら、俺はすぐさまここを飛び出し、先生へチクりに職員室まで走る準備が出来ている。 



「ん? 違うわよ?」

「……へ? そ、そうなの?」

「うん。第3の主義は中学生の時に頑張って思考したけど思いつかなかったから、それは2番目の目標にすることにしたの」

「そ、そっか……。じゃあ、この思考部の活動の目的って言うのは?」

「ふふっ、それはねぇ」

「……それは?」

「ずばり! RTCを創設することよ!!」



 はて、RTC? 何だろうか。聞いたことのない言葉だ。何かの略称――!? そして俺は気が付いた。RTCの意味を。まさか、RTCとはRevolution Total Crisisの略称なんじゃないかと。 ”Revolution Total Crisis” つまり、革命によって国家を危機に陥れる団体。この女はまず、その団体を足掛かりに革命を目論もくろんでいるのではないだろうか。



「RTC……悪の組織か何かか?」

「ちっがぁーーうぅ!! Roroho Thinking Club、略してRTC。分かる?」

「……分からん」

「もうっ、本当にバカね。やっぱりその頭、とりなさい!」

「とれるか!!」

「企業よ、企業! RTCって言う企業を作るのよ! アルファベット3文字の企業っていうのはビッグになりやすいんだから!」

「――企業?」

「そうよ? RTCは将来、日本を代表する世界一の巨大グループ企業になるんだから!」

「……企業ならCはCampanyのCだろ。Clubじゃなくね?」

「うぐっ……い、いいのよ」

「なんで?」

「ん……っと…………っあ! RTCが目指すのは楽しい企業なの。思考を楽しんでそれを試し、そして世界一になっていく。いわば同好会みたいな組織を目指すんだから。だからClubでいいのよ」

「あと、Rorohoって何?」

「それは秘密よ! 自分で考えなさい」

「……ふーん、そっか。……じゃあ」

「あっ、ちょ、ちょっと! もうちょいしつこく意味とか聞かないの!? ねぇ!!」



 俺の反応が予想外だったのか、向谷は慌てて声を出す。

 RTCのCがCampanyでもClubでも、ましてやRorohoの意味もどうでも良いのだ。俺はこの女がこの思考部という部活で何か良からぬことを画策かくさくしていないかを確認したかった。それだけだ。そして、どうやらバカが放課後の教室でメトロノームごっこをしているだけということが分かった。それで十分だ。誇らしげにRTCの説明をする向谷の顔をちらりと見て、俺はくるりと向きを変え、扉へ帰る。



「ちょい待ち」

「おわっ! な、何だよ?」

「あんた、思考部に入んなさい……」

「は? なんで俺が……やだよ」

「あんた、何組?」

「えっ、C組だけど……」

「あら、なら良かったじゃない」

「何がだよ?」

「C組のCはRTCのCじゃない♪ これも何かの縁だわ、きっと」

 


 いや、C組のCはABCのCだ。それにこれは縁などではない。縁というのは両者が互いに不思議と惹かれ逢うこと。だが、俺は今、こいつに一方的に引っ張られている。とてつもねぇ握力だ。右肩に指が食い込んでる。



「は、放せって! 何で俺がこんなあやしい部活に入んないといけねぇんだよ」

「何言ってんのよC?」

「誰がCだ。組をつけろ!! じゃなくって、千賀だ! ちゃんと名前で呼べ!」

「いい? RTCはあやしい部活なんかじゃないの。人間において一番大切な思考をきたえる部活なのよ?」

「……思考を?」

「そうよ? 歴史上、人間は絶えず思考を巡らせて色々な物をつくってきたの。明治維新で活躍した志士ししだって、松下村塾しょうかそんじゅくでみんなであれこれ考えていたわけだし。この思考部はそう。令和の松下村塾みたいなものなのよ!」

 


 松下村塾。幕末に活躍した維新志士たちを数多く輩出した私塾だ。彼らの功績によって新たな時代、明治が訪れたわけだ。が、その過程では少なからず暴力的な活動があったことは間違いない。向谷はやはりそんな革命的な思想を持っているのだろうか。



「んで、この令和の松下村塾とやらで何するってんだ?」

「ふふっ、この思考部の部員の中から優秀な人材をそのままあたしが創設するRTCに入社させるの。そしてあたしはその優秀な社員たちとRTCを世界一の企業にしてやるんだから!」

「……なんで?」

「なんでって、決まってんじゃないの! 日本の危機を救うためよ!」

「えっ。……日本の……危機?」

「そうよ。今の日本、何も考えてない人間が多すぎる! 他人を思いやることのない自己中心的なバカ、他人を攻撃してストレスを発散するバカ、場当たり的な本能むき出しな行為をするバカ、何を考えているのか理解不能な犯罪をするバカ。今の日本、バカが多すぎる!」

「そんな……人をバカ呼ばわりするなんて」

「だってそうじゃない。バカはバカよ。バカバカ! しかもバカはそもそも自分がどうしてバカって言われたかも思考しないでいきなり怒り出すから厄介なのよね。このままじゃ日本が腐るわ!」

「く……腐る」



 ずいぶんな言いようだ。向谷は興奮気味に右のこぶしをぶんぶんと振り回しながら説明している。拳によってあおがれた周囲の空気が俺の顔にひしひしと当たってくる。



「そう。腐るの。思考しない思考停止人間たちのせいでね! だからあたしはこの思考部をつくったの! ここでこれからの未来を担う若者である高校生の思考力をきたえ、あたしが創設するRTCに入部させ、この日本を救うのよ!」

 


 救う。向谷は何とも自信に満ちあふれた表情で言葉を放った。それは予想外の言葉だった。俺はてっきりこいつが日本を危機に陥れる元凶だと思っていたが、どうやらその考えとは逆に、この思考部によって日本の危機を救うことを目標としているらしい。



「思考部、そしてRTCは日本の救世主になるんだから!」

「……ふーん」



 救世主。それは周囲が言うものであり、あまり自分から言うものではない気がする。が、どうやら向谷は本気だ。大真面目にこの日本の危機を救おうとしているらしい。とりあえず俺はこの思考部が危険な部活ではないことに安堵あんどした。



「それでまずはA組のみんなを思考部に誘ったのに、みんな苦笑いや愛想笑いするだけなんだもの。A組のエリートって言っても所詮しょせんあの程度なのね……」



 いや、きっとA組の生徒は優秀に違いない。こんな得体のしれない謎の部活に「はい、是非ぜひ一緒に日本の危機を救わせてください」、と入部するわけがない。高校生と言えば青春真っただ中。そんな貴重な青春をこんな謎の部活に捧げるわけがない。


 

「まぁ、この際Cで妥協するかぁ」

「だから誰がCだ! まぁいい、分かった。なるほどな。じゃ、まぁ頑張って……」

「え!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あたしの話聞いてた!?」

「聞いてた。……でも、別に俺、興味ないし……」



 俺はくだらない時間を過ごしたことを後悔しながら再び部屋をあとにしようとした。と、その時である。



「そう……残念ね。思考部に入部すればRTCの役員になれるチャンスもあるって言うのに」

「……何?」



 その言葉を聞いた途端、俺の足はぴたりと止まり向谷の目の前に戻っていた。


 

「その話、詳しく聞かせてもらおうか?」

「今説明したようにこの思考部はあたしがこれからつくるRTCの前組織みたいなものなのよ」

「ふんふん。それで?」

「で、そこで優秀な思考をしてくれた部員をRTCの最初の役員にしようと思ってるのよ」

「や、役員……。その役員とやらの報酬はいくらくらいなんだ?」



 俺は知っている。役員とは会社や団体における重要ポジションである。故に貰える金の額も破格なのだ。



「えっ、まだ決めてないけど――そうねぇ。1000万くらいかしら?」

「い、1000万!?」

「決定ではないけどそれくらいの報酬が出せるようにはなるはずよ? もっとRTCが大きく成長したら金額ももっとアップできるわね」

 


 1000万。その根拠がどこから来ているのかは分からないが、1000万という金額は魅力的だ。このご時世、そんな大金を稼げる仕事はそうはないだろう。だが、そのチャンスが今、目の前にある。この思考部に入ることでそのチャンスが手に入る。得体のしれない部活ではあるが、思っていたよりヤバい部活って感じでもなさそうだ。



 どうせ失うものもないのだから、試してみる価値はある。



「分かった。俺、入部するよ」

「本当!?」



 まんまと向谷の口車くちぐるまに乗った感は否めないが、俺は思考部に入部することにした。



「ようこそ、思考部へ! 歓迎するわ。はいっ、これ」

「ん? ガムか?」



 俺は向谷が差し出したうすべったい板状の何かを受け取る。何だろうか。深緑色をしたそれは透明な袋に包まれている。



「塩こんぶよ?」

「塩こんぶかよ!! ってか何でこんなん持ってんだよ!?」

「何でって塩こんぶは我が思考部の必須アイテムよ?」

「ひ、必須アイテム?」

「そっ。塩こんぶにはねぇ頭にいいアルギン酸がたくさん含まれてるの。さらには噛むことによって脳を活性化させてどんどん思考を巡らせることができるのよ。あと、お腹も満たされるし」

「あっ……そう…………ありがとう」

 


 塩こんぶ。今の時代、それも学校に塩こんぶを持ってくる女子高生がいるなんて。これが向谷の成績抜群の秘密なのだろうか。

 もぐもぐ……もぐもぐ。ちゅぱちゅぱ……ちゅぱ……。俺は向谷としばらくの間、ただ無言で塩こんぶを噛みしめ続けた。


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