向谷栞は思考する1

 


 俺は千賀せんが大地だいち。今年、この翡翠ひすい高校に入学した高校1年だ。自分で言うのもなんだがここ、翡翠高校は県内でも有数の進学校だ。

 名門中学でそこそこの成績だった俺はこの名門高校もまぁ、そこそこの成績で合格したのだった。

  


 が、流石に県内有数の進学校。4月1日の入学式を終えて早々に授業。普通、初日は授業なんてしないだろ。なんて思っていたのが甘かった。



 初日から難解な課題を与えられ、土日に必死にその課題をこなし、ようやく本日4月4日を無事終えたところだ。入学したばかりだというのに相当なスピードで授業が進んでゆく。



 中学ではバスケ部などという青春要素満載の部活に所属していた俺。もちろんモテて、――などいない。

 俺のバスケ部での役目はそう。ベンチを温めることだった。キャプテンやレギュラーの奴らが試合の応援にやって来ている可愛い彼女と試合後にイチャイチャしているのを眺めているだけだった。体育会系の部活において、弱い男にはそうした青春イベントは発生しないのである。



「はぁ……今日も疲っかれたなぁ~~っと」



 そして、今日も俺はいつものように1年C組の教室でのホームルームを終え、クラスで仲良くなった友人たちと教室で1時間ほどだべり終え、友人たちが帰った誰もいない教室で窓の外を眺める。



「これから3年間、またこうした毎日が続くのか?」



 沈みゆく夕陽を見ながら心に思う。夕陽。青春漫画なんかではよく出てくるよな、夕陽って。そんな青春の象徴であるような目の前の夕陽を見ていても、ちっとも青春しているような気分にはなれない。



 思えば中学の3年間もそんなことを考えていた。「青春ってなんだろう?」、って。同じ毎日。ガキのころは何も考えずにただ元気に走り回っていれば良かった。なのに、中学生になった途端にそんな生活は大きく変化した。



 勉強に追われて遊べる時間が少なくなった。   



 先生から褒められることが少なくなった。



 大人のような振舞いを求められるようになった。



 かと言って頑張って大人のような振舞いをすれば、「最近の子どもは元気がない。俺が子どものころは――」なんて古物語ふるものがたりを聞かされたりする。

 


「どうしろってんだ……たくっ……」



 そして高校に入って気がついたことが1つ。問題文が変化していた。



 中学までは、「――の値を求めなさい」、「――を述べなさい」だったのに。

 高校では、「――の値を求めよ」、「――を述べよ」と命令されるようになった。



 高校になるといきなり命令されるなんて誰も教えてくれなかったから少々面喰った。「先に言っとけ」、って話だ。



 大人は急にどうしてしまったのだろう。俺たちに一体何を求めているのだろうか。まぁ、考えても仕方がない。きっとこれから俺はこうして大人たちに命令され、やがて社会に出てからもその命令に従うのだろう。

 


「――て。俺は一体何を考えてるんだ。考えてもしょうがないし、腹もへった。……気分転換に今日はこっちから帰るか」



 俺は落ち込んだ気分を少し晴れさせようと遠回りではあるが、夕陽で明るくなっている廊下を選んで帰ることにした。



 ♦



「ん? 何だ?」



 廊下を歩いていると俺の視界に何かが入りこんで来た。まるで目の近くを小さな虫が飛んでいるかのようにちらちらと不快な何かが。だが、それは虫ではなかった。



「……なんだ、あれ?」



 廊下から見える部屋を覗くとその不快感の正体が分かった。部屋の中では制服を着た女子が椅子に座り、リズミカルに左右に身体を揺らしている。



 その様子はまるでメトロノームのようだ。吹奏楽部だろうか。そう思い室内を見渡したが、室内には制服を着た女子が1人、メトロノームのようにカチカチと揺れているだけだ。俺は目の前の奇妙な光景に思わず頭上を確認する。



「何だ? ここ……ん? ……思考部?」



 見上げた部屋の上には ”思考部” という見慣れない文字が書かれている。そんな謎の3文字を見上げていると、突然ガラッ、と勢いの良い扉の音がした。



「……何?」

「えっ……あっと」



 目の前には先ほどまでメトロノームのようにカチカチ揺れていた女子生徒が扉を開けて俺の前に立っていた。



 1年生だろうか。なんか、小さい。中学生みたいだが、ここは高校。中学生はいないはずだ。となれば、おそらく4日前までは中学生だった小さい高校生だと推測できる。女子生徒の頭頂部には特徴的なとんがった2つの角のような髪の塊がピンク色のリボンによってゆわかれている。



「……なんか用?」

「あ、あっと……い、いやっ……部屋の中で変な動きしてたから……な、何やってんのかなって、思ってさ……」



 目の前に唐突とうとつにやってきていたその女子生徒を前にしどろもどろ。何故こんなにしどろもどろになっているかというと、目の前にいる女子生徒が俺を鋭い目つきで見つめているからだ。どうやら気分を害したらしい。



「あ、その……ごめん。な、何やってたの? あっ、俺、千賀大地。き、キミは? あっ、もしかして俺と一緒の1年?」



 俺は頑張って目の前の女子生徒の機嫌をとろうと必死に質問を投げかける。すると女子生徒は俺にふっ、と笑みを浮かべてくれた。良かった。と思った瞬間――



「あんた……頭付いてる?」

「…………はぁ?」



 予想だにしない言葉が俺に投げつけられた。俺はそんな唐突な言葉に思わず口をぱくぱくさせたまま何も言い返すことが出来なかった。



「放課後に部室で生徒がやっていることと言えば部活動に決まってんでしょ? 何も考えてないんならその頭、とっちゃいなさい? 身体が軽くなるわよ? ふふっ」

「は……はぁ!?」



 目の前の女子生徒は俺に暴言を吐くと、笑みを浮かべてさっさと室内に戻ってしまった。



「……あ、ま、待てよ!!」



 突然の言葉に再びしばらく呆気に取られてしまったが、ようやく湧き上がった怒り感情に従い、生意気な女子生徒を追って室内へ入る。



「おいっ、いくら何でも失礼すぎんだろ!!」

「失礼って……本当のことじゃない。あたしは部活動をしているのに、何をしているのか聞くなんて。ほんとバカ。それに頭がなくても1年半くらいなら生きられるらしいわよ?」

「えっ! ま、マジかよ!?」

「……ニワトリは」

「に、にわっ!! ふ、ふざけんな! 人のことバカにしやがって! ……それに、部活してるっていうけど……何もしてないじゃねぇか」

「してるわよ。思考してるの」

「…………思考?」

「そっ、思考。部屋の外、見てきなさいよ?」



 女子生徒に促された俺は部屋から出て、再び部屋の上を確認した。



 ”思考部” 



 部屋の上にはやはりそう書かれていた。その文字を確認し、再び部屋に戻る。



「思考部って書いてあったけど……」

「そう。で、あたしが今何してるか……分かった?」

「……考えてる。頭の中で思考してるってことか?」

「そっ。それがこの思考部の活動なの」

「い、意味が分からん。……何なんだ? そのキモイ変な部活は? ってか、そういやお前名前は? さっき俺、名前聞いただろ」

「向谷。向谷むかいやしおり

 


 目の前の女子生徒は憤る俺とは対照的に冷静にそう呟くと再び椅子に座り、メトロノームのように左右に揺れ出した。


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