第24話 引っ越し

 やがて、ドアフォンのチャイムが鳴った。

「は〜い」と答え、モニターで確認すると栗山社長の姿が映っている。ドアを開けて上がってもらった。


「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、不本意な形かとは存じますが、弊社の提案にご協力いただけて大変恐縮です」と栗山社長が丁寧に頭を下げる。

「いえいえ、そんな〜」

「まあな」秀明は少し機嫌が悪そうな様子で短く答えた。


「何だよ秀明、今ならまだオレ1人だけ引っ越すって手もあるんだぞ?」

「そういうわけにもいかないだろ。ただな、あの間取り、どう見ても3人で一緒に住めって言ってるような作りなんだよな」

「そう思いますか? お勤め先の近くで2部屋並びの物件を探した結果、あれが唯一の選択肢だったんです。あくまで仮住まいとはいえ、各部屋にはシングルベッドを1台ずつ搬入する予定です。もちろん布団や毛布、枕もご用意しております」

「へ~手回しがいいな……さすがだよ、ほんと」相変わらずの秀明。


 秀明じゃないけどやっぱり、隅々まで準備万端だな……。

「じゃあ、今家にあるベッド以外の家具は全部運んでいただいて……あ、そうだ、栗山社長にお願いがあるんですが」

「はい、何でしょうか?」

「えっとですね、男ものの服や靴なんですけど、もう使わないので、処分していただけますか?」

「ああ、なるほど。そういうことですね。それでは……あ、もう分けておられるんですね」

 寝室の片隅に積み上げられた服を見て、栗山社長は納得したように頷く。


「あともうひとつすみません。冷蔵庫内の冷凍食品や冷蔵品を運ぶためのクーラーボックスと保冷剤を持っていないのですが……」

「承知しました。不用品の処分と、冷蔵庫内の物はクーラーボックスに入れて運ぶよう業者に手配いたします。それでは、ベッド、服、玄関の男性用の靴以外はすべて搬出してよろしいという認識でよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」


「そっちに乗せられたわけじゃないが、奥の1部屋だけを借りて、西側の洋室にはベッドを1台、反対側の部屋には2台置いてもらえないか?」と秀明が冷たい口調で言い放つ。

「え、秀明、さっきと言ってることが……」

「いいんだよ、乗り掛かった船だ。俺たちも忍と同じ部屋に仮住まいする」

「それで本当にいいの? 梓ちゃんも?」

「はい~」梓はにこにこと笑いながら答える。

「それでは、ご要望通りに手配いたします。では、そろそろ業者が参りますので少々お待ちください」

 そう言い残して、栗山は業者を呼びに出ていった。きっと、してやったりの顔をしてるんだろうな。

「あ、そういえば……ボディーガードって……」聞きそびれちゃったな……。


 数分後、栗山社長が5、6人の引っ越し業者を連れて戻ってくる。

「こちら、高岡様です。そして、」と栗山社長が引っ越し業者のリーダーを紹介してくれる。

「本日お引っ越しを担当させていただきます、AM社の田中と申します。よろしくお願いいたします。お困りごとやご指示があれば、何でもお申し付けください」

「高岡です。今日はよろしくお願いしますね。段取りは栗山さんからお聞きしてますか?」

 事情を知らないはずだから、あくまで女性として振る舞うことにした。しかし、見た目が美少女だから、ちょっと不審に思われるかもしれないな。

「はい、不用品――こちらの服と男性用の靴の処分と、冷蔵庫内の物はクーラーボックスに入れて運ぶことと、ベッド以外のものはすべて引っ越し先で、右側の部屋とリビング、キッチンなどへ分けて搬入し、開梱と設置ですね」

 オレの姿と、処分するものが全部男ものなのに、何も言わないのはプロ意識が高いなぁって、当たり前か。

 ――いや、そういえばAM社って言ってたな……もしかしてアストラル・ムービングの略かな? そうだとしたら事情を知ってるかもしれないな。なら気にしなくていいか。


「はい。よろしくお願いします」

「では、エレベーターからこちらの部屋まで養生シートを貼ってから搬出準備をいたします」

 早速、作業員が指示を受け、2人が部屋に残って段ボールを作り始める。手際よく小物類を壊れないように間に緩衝材を入れながら詰め込み、「本/洋室」、「CD/洋室」と書き込んでいく。

 家具も中身を出し、段ボールに入れてから毛布で養生して運び出していく。

 依頼主には、引っ越し当日はじっとしていてもらいたい――というのが引っ越し業者の本音だと聞いているので、できるだけ邪魔にならないようにリビングの端っこに移動する。

「俺たち、邪魔になりそうだから、出社するわ。忍、有給申請したよな?」

「うん」

「じゃ」

「いってきま〜す」と2人。

「いってらっしゃ〜い。あとで住所、メールしとくね〜」

「了解」


 田中さんと栗山社長が何やら話しているな〜と思ったら、「高岡様、こちらと洋室のエアコンは?」と栗山社長が声をかけてきた。

「あ、それは入居時から付いていたものを許可を得て買い替えた物なので、そのままでお願いします。もしかしたら、またここに戻るかもしれませんしね」

「承知しました」


 搬出作業が終わり、部屋の中に置き忘れた荷物がないか確認したり、床や壁に傷がないかを栗山社長とリーダーの田中さんとオレでチェックする。

「では、搬出作業が完了しましたので、新居に移動したいと思いますがよろしいでしょうか?」と栗山社長が尋ねる。

「はい。一応、まだここが現住所なので、戸締りとブレーカーを落としてから行きますね」

「では、お先に下でお待ちしています」


 1時間も経たずに、ベッド以外の物が運び出され、掃除も終わってがら〜んとした部屋――

 新居かぁ……現住所と、さっき言った通りだけど、おそらくここにはもう戻ることはないだろうな。そんな気がした。

 玄関には小さなスニーカーが1足だけポツンと置かれている――携帯や小物が入ったポーチを手に、引っ越しトラックが待つ1階へと向かった……。


 トラックは2トントラック1台。これにあの1部屋分の荷物が載っているんだなぁ。

 え〜っと、オレはどの車に乗るんだろう……と探していると、「こちらです」と栗山社長が声をかけ、4ドアの黒い高めの車高の大きな車――これってSUVっていうのかな?――の横に立っていた。

 栗山社長自ら運転してきたらしい。


「あ、は〜い、お願いしま〜す」と助手席にちょっと苦労して乗り込む。

「少し大きすぎましたね。申し訳ありません。では、引っ越し先にトラックを先導しますので、先に参りましょう」と、窓から後ろをついているトラックに合図し、車を走らせる。

「作業していた人たちは?」

「トラックの後ろのワンボックスに乗ってますよ」

 全部で何人だったんだろうな……「お礼とか全然言ってないし、心付けとかいいんですかね?」

「それはまったく気になさらずに」あ〜なるほどね……。


「そうですか……あ、あと……」

「はい、何でしょう?」

「そういえば、ボディーガードの人って?」

「ええ、今は私がおりますので、配置はしていません。引っ越しが完了したら、マンション周りに配備します」

「そ、そうですか……じゃ、栗山さんがいない間、例えば昨夜から今朝は?」

「ええ、おりましたよ」

「……」

「それにしても、高岡様に条文の穴を突かれたのは想定外でした」

「な、何のことですかね〜?」

「いやいや。それにしても皆さんの絆の強さには頭が下がります」

「はぁ……」


 そんなことを話しているうちに、近所なのであっという間に仮住まい先に到着。

 エントランスドアを抜けて、オートロックのドアを栗山社長がカードキーで開け、ホールを抜けて「6階ですよ」と言いながらエレベーターのボタンを押してくれる。

 かなり高級なマンションだな〜、秀明が言うように家賃が高そうだ。

 エレベーターも結構大きめだから、これならダブルベッドでも余裕そうだな〜って思ったけど、独身だし関係ないか。


 あ〜6階か〜 なんか好きだな。

「奥の西側、606号室ですので、降りて右側です」

「また606って、なんか栗山さん狙ってます?」

「いえいえ、高岡様。偶然ですよ、偶然」

「……」


 606号室のドアもカードキーで開けてくれて、「では、業者を入口に誘導してきます。ベッドは搬入済みですので、そちらでお待ちください」

「はい……」

 ん? もうベッドは搬入済み? いつの間に……朝は搬入予定って言ってたけど。

 しかも、もうひとつの秀明と梓ちゃんカップル用の洋室を覗くと、すでにベッドが2台あるし……示談書持参時――いや、もっと前から搬入されていた? このマンションの部屋自体が事前に用意されていたのか?

 そんなことを考えながらタバコを吸い、ぼーっとベッドにぺたんこ座りで待っていると、引っ越し業者たちが玄関から室内の壁を養生し始め、荷物が搬入されてくる。


「高岡様、段ボールは各場所に置いて、開梱と中身の配置を行います。大きい家具の配置は基本的に引っ越し元と同じにいたします。変更があればお申し付けください」と田中さん。

「あ、はい。大丈夫です」 何が大丈夫なんだろうと、自分で言っててちょっとおかしくなる。

 ベッドにいると邪魔になるから移動しようとすると、「あ、高岡様。そちらが安全ですので。不明なことがあれば伺いに参りますので」と田中さん。

「はい」

 やっぱり、依頼主には……っていうのは本当だったんだな。


 開梱と設置もほとんど終わったのに、栗山社長の姿が見えないな。

 支障なく進んだようで、まだ13時ちょっと過ぎだ。

 しばらくして、栗山社長が部屋に入ってくる。

「少々席を外して申し訳ありませんでした。こちらカードキー3枚です」あ、オレとあと2人分を用意しにいってたのか……って、ベッドの件を考えるとちょっと違うな。何か別の用事があったんだろうな……ボディーガードへの指示とかね。


「引っ越し、もうそろそろ完了ですね。トラックも空なのを確認しましたので。お疲れ様でした」あ、トラックからの積み出しのチェックに行っていたのか。

「いえいえ、わたし何もやってないですが」

「いやいや、居場所を変えるというのは意外と精神的に疲れるものですよ。今夜はゆっくりとお休みになってください」

「はい、ありがとうございます。明日、明後日は出社しますしね」

「そしてあとは土曜日が本番ですね」

「そ、そうですね……うゎ、ちょっと緊張してきた」

「すみません」

「だ、大丈夫です」


「引っ越し完了いたしました。ご確認をお願いします」と田中さん。

「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした〜」

 再び3人で配置ミスや傷の有無を確認し、栗山社長が作業完了確認書にサイン。

 そうだよね、正式な依頼主は栗山社長、というかアストラル・ゲームスだったな。

「それでは、失礼します」と田中さん。

「お世話になりました。お疲れ様でした〜」と挨拶し、送り出す。


 栗山社長から「電気・ガス・水道の開通・開栓は済ませてありますので、使用可能です」と、今日から暮らせることを説明される。


「あと、光回線ですが、最大10ギガbpsを2回線を引いてあります。実効速度10数パーセント程度は低下すると思いますが」

「え、10ギガbpsを2回線もですか? あ、わたしと秀明たちの分ですね。それだけ早ければオッケーですね。今までは下り最大1ギガbpsでしたから」2回線が同室にそれも10ギガ……ますます怪しい。

「それは何よりでした。では、また土曜日にお迎えにあがります。お打ち合わせ通り、9時でよろしいですか?」

「ええ、お願いいたします」

「では、失礼いたします」


 栗山社長はおそらく会社に戻っていった。

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