第46話 百合の間とアマゾネス
発端は月曜のことだった。
仕事が一段落したので、「ちょっとトイレ〜」と梓ちゃんに声をかけて個室に入った。すると、開発2部の子たちと思しき話し声が聞こえてきた。
「尊い……」
「ア……ノ?」
「でも……さん、……の間に入って……」
「だけど……さんと……って付き合って……」
「……それって、百合の間に挟まる男……」
え? いま、「百合の間に挟まる男」だけはっきり聞こえたんだけど……これって、聞き間違いかな?
外の声がやんだころ、梓ちゃんの声が近づいてきた。どうやら、オレが戻るのが遅いのが気になって、様子を見に来てくれたらしい。
「忍さん、大丈夫ですかぁ〜」
「うん、だいじょぶ〜」
さっきの話を聞いたせいで、ちょっと出るに出られなかったことは黙っておいた。
戻る途中で梓ちゃんに話そうかとも思ったけど、内容がぼんやりしてたし、やめておくことにした。
百合の間って、つまりオレと梓ちゃんの間に挟まる男……秀明のこと? いや、考えすぎかなぁ。
2人で部屋に戻ると、さっき声を聞いた子たちと思しき2人が、コソコソ話しているのが見えた。あ〜、この子たちか〜
オレは身体は女の子になっちゃったけど、心はまだ男だぞ、と声を大にして言いたい気持ちになった。でも、本当にそうなのか?
心、つまり脳なんだけど、ここも女子化しちゃってるのかな?
よく「男性脳」とか「女性脳」とかいうけど、それって都市伝説みたいなもので、血液型占いと同じレベルだと思う。実際、男女の脳にサイズ以外の顕著な違いがあるって話は聞いたことがないし、たしか現在の科学では「性別による脳の差は大きくない」ってのが定説だったはず。
でも現実問題として、オレは女の子としての生活を送っているわけで――話し方もそれっぽくなってきたし、トイレも当然女子用を使うし。生理も来たしなぁ。そう考えると、オレはもうどう見ても立派な女の子なんだよね。
それでもオレは、やっぱり男より女の子のほうが断然好きなわけで。だから、秀明の彼女とはいえ梓ちゃんのことを、つい女の子として意識してしまう。
それに、「私、高岡さんの身の回りのお世話もしますけど、女の子としても守りますから」なんて宣言してからというもの、なにかと距離が近い。ベタベタくっついてくるのがイヤってわけじゃなくて、むしろ……好ましい、というか……嬉しい状況だったりする。
あれ? これってもしかして、はたから見れば百合なのか?
それにしても梓ちゃん、『きゃー! かわいい〜!』なんて叫びながら着替え中に抱きついてくることもあるし……。でも本人は『私、妹ができたみたいで嬉しいですよ〜』って言ってたから、それ以上の意味はない……よな?
いや、たぶん違う。たぶん……。
◇
その日の夜も訓練。
アズサちゃんのプレイヤーレベルでは、本来なら転送先を自由に選べないはずだった。だけど、プロ契約の恩恵で転送先の制限が解除されて、どこへでも行けるようになっている。
とはいえ今日は、次のPvP大会に備えて、3人で始まりの街のオヤジさんの店に武器を見に行くことに。
雑談の流れで、オヤジさんがこんな話をしてくれた――「チームS・S・Aの2人、どうやら中の人も本物の女性らしいって最近ウワサになってるぞ」
たしかに、女性アバターの九九パーセントは男プレイヤーだけど、オレとアズサちゃんはリアルでも女性だしな。
ウワサの元凶は、たぶんチームK・Yのカイかユーサク。前にPvPで倒された腹いせに、なにか言いふらしているんだろう。しかもシューメイのことまで、「百合の間に挟まる男」だなんて呼ばれてるらしい。
「なんかみんな、同じこと考えるんだな〜 まあ、人間がやってるんだから仕方ないよね〜」
あっ、つい会社の話を口にしちゃった。
「あ、それ私も聞きました~ たしかアズシノとか~」
「攻めがアズサちゃんで、受けがオレ?」
「BLじゃないんですから〜」
2人で顔を見合わせて笑ってしまった。
――と、「な、なんだおまえら! いつからそんな関係になったんだよ?」とシューメイが慌てだす。
「別に、そんな関係じゃなくても、女2人と男1人の構図だと、どうしてもその男はそ〜いう目で見られるもんだよ〜」
「ね〜」
アズサちゃんとまた顔を見合わせて笑い合う。
「それが嫌ならさぁ〜、シューメイも女性アバターにしちゃえば〜?」
「あ、いいねそれ! シューメイくん、アマゾネスタイプのアバターとか絶対似合うと思う〜!」
「それだ!」
「アハハハ!」
「くぅ〜……」
シューメイが悔しそうに唸るのを横目に、「たしか契約書には、アバター変更は禁止なんて書いてなかったよね?」と追い打ちをかける。
「いやいや、それはマズイだろ? あんなPVまで作られてるんだから!」
「あんなの、データ入れ替えるだけで済むじゃん〜」
「うるさいな〜!」
「お、シューメイ隊長、女性アバターにするのか?」
オヤジさんがいつの間にか話に加わってきた。どうやら聞き耳を立てていたらしい。
「ば、バカ言え! 俺はこのままで――」
「ん〜? でもさ〜、さっきからアマゾネスっぽい戦闘部族のカタログホロ、じ〜っと見てたよね〜? その気になったのかにゃ〜?」
「にゃ〜って、シノブは猫か! そんなわけないだろっ!」
「へ〜 シューメイくんって、そーゆータイプの女の子が好みなんだ〜 ふ〜ん」と、アズサちゃんが楽しそうに茶化す。
そのやりとりを横目に、崔部長に連絡を取る。ゲーム内での通信は直接会話も可能なんだけど、あえてインカムを使う。
「すみませ〜ん、ちょっと確認なんですけど、アバターのコンバートって契約的に問題ないですか〜?」
すぐに返事が返ってくる。
「契約上は全く問題ありません。それどころか、アップグレードするなら推奨しますよ」
「うん、シューメイも聞いてたと思うけど、アバター交換とアップグレードはオッケーだってさ〜?」
「う、うう……」
「じゃ、シューメイはこの TH-5980 に決まりだね! 身長も180センチだから、今と変わらないし違和感ないと思うよ〜」
「ふ〜ん? 私はシノブさんみたいなちっちゃい子が好みだけどな〜」と、またアズサちゃんがからかうように言う。
「ちょ、ちょいちょいちょいちょい!」
「おい、やっぱりおまえらぁ!」
「まあまあ、リアルの好みは置いといて。TH-5980 ならこの値段で……」と、オヤジさんがホログラムでシューメイだけに価格を表示する。
それを見た瞬間、シューメイは明らかに機嫌を損ね、
「俺、今日は先にログオフする!」と吐き捨ててその場を去ってしまった――
「あ……今日、帰ったら私何されちゃうんだろ……」と、アズサちゃんは頬を染めながらうつむいた。
「はいはい、ごちそうさま〜 じゃ、うちらもログオフしよっか?」
「うん……でも、ホントにちょっと怖いかも〜」
その夜、オレは耳栓をして寝た。
◇
翌朝、なんだか秀明と梓ちゃんがギクシャクしているように感じた。
3人で朝ごはんを食べてから出勤。仕事も昼食もいつも通りだったけれど、会話が少ない。昨夜のことで喧嘩でもしたのかな? まあ、犬も食わないようなことだし、放っておこうと思ったけど……。
そういえば、梓ちゃん、朝の着替えを手伝ってくれなかったな。もうヘアやメイクも少しは慣れたから別に気にしないけれど。
夕飯後、「今日も訓練するけど、何時くらいにする?」と秀明に言いかけると、冷たく「あ、俺らしばらくログオンしないわ」という答えが返ってきた。
「え? 何それ?」
「ちょっと片付けする」
梓ちゃんは黙ったままだった。
「秀明、何だよ? もう大会も近いっていうのに、どうすんのさ?」
「忍、おまえ言ったよな? 『オレ1人だけ引っ越してもいい』ってな」
「た、たしかにそう言ったけど、秀明も賛成してくれたじゃん!」
「ああ。でも気が変わった。ここはあくまでも仮住まいだしな」
「なんだよそれ〜! ここ出ていって前の家に戻るってのかよ?」
「ああ」
「梓ちゃんもそれでいいの?」
「……」
梓ちゃんはキッチンを片付け終え、オレをちらっとすまなそうに見てから部屋に行ってしまった。
そして、なにやら荷物を片付けし始める音が……。
「じゃ、落ち着いたらまたログオンする」とだけ言い放ち、秀明も部屋に戻っていった。
「な、なんだよ〜! プロだろ〜! くそー秀明め! 同じチームだろうが関係なくPvP仕掛けて倒してやるから待ってろよ!」
悔しくて頭にきたからログオンを諦め、頭から布団を被ってベッドに横になったんだけど全っ然、眠れなかった。
ようやく眠れたのは、おそらく明け方くらいだった。
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