第22話 示談成立

 20時きっかりに玄関のチャイムが鳴った――ドアフォンを見ると、そこには運営の栗山社長と崔さんが映っていた。

「お邪魔します」

「こんばんは」

「どうぞ、お上がりください」

 リビングに案内すると、梓ちゃんがさっとお茶を用意する。手際の良さはさすがだ。


「高岡さん、お身体の調子はいかがですか?」と崔さんが気遣わしげに尋ねる。

「あ、大丈夫ですよ。何か気になることでも?」

「いえいえ、男がいきなり女になったわけですから、どんな状態なのか私もよくわからなくて」

「あ〜 そ、そうですよね〜」


 軽い雑談が続いたあと、「では、始めますか」とオレが切り出した。

「はい。昨日の変更分を反映した示談書を2部ご用意しましたので、内容をご確認いただけますか」と栗山社長がファイルを差し出す。

「わかりました」


 秀明と梓ちゃん、オレの3人で変更点を中心に示談書をチェックし始めた。

 まずは――第2条第1項。

『金壱億円の支払義務があることを認める』に変更されている。考えてみれば、とんでもない金額だな……。

 次に、第4条第1項。

『甲は甲および甲の指定する者の身体の安全を確保するため、甲および甲の指定する者は甲が指定する居所に居住し、移転は乙の責任において行うものとする』に修正されている。

 最後に、第5条の禁止事項。

 第3項として、『乙は甲の指定する者に対し、一切の監視を行ってはならない』が追加されていた。


 2部あるので、もう1部も同じ変更が反映されていることを確認する。さらに、他に加筆修正されていないことも念入りにチェックして……大丈夫だ。


「秀明、梓ちゃん。確認オッケー?」

「ああ」

「はい、大丈夫です」

「では、確認完了ですね」

 栗山社長が書類を整えながら続ける。

「それでは、高岡様の印鑑をこちらにお願いいたします。認印で問題ありませんので、押印のうえ、割印もお願いします」

 乙の代表取締役欄には会社の実印、丙の欄には栗山さんの個人認印がすでに押印されている。さらに、割印も乙と丙の分がしっかりと押されている。

 ――うん、普通の契約書と同じだな。


 2部とも指定された箇所に押印し、割印も済ませる。

「はい、1部は私がお預かりでよろしいですね。これで、示談成立です」


 栗山社長は事務的な口調で確認を終えた。

「確実に履行しますので。それでは、次に高岡様の精密検査と再ログオンテストの日程を決めたいのですが」

「そちらの準備もあると思いますけど、今度の土曜か日曜では早すぎますか?」

「いえ、大丈夫です。当初、再ログオンテストは私どもアストラル・ゲームスで行い、精密検査は親会社であるアストラル製薬の日本中央研究所で実施する予定でした。ただ、それでは高岡様にご負担がかかりますので、研究所にて精密検査と安全確認のモニタリングを行いながら、再ログオンテストも同時に実施する形になりました」


 研究所か……場所は遠いのかな。それに安全確認のモニタリング? ちょっとヤバい話かもしれない。でも、ま、いっか。


「移動に時間がかかりますので、土曜の9時にお迎えにあがりますが、いかがでしょうか?」

「わたしは大丈夫ですけど、秀明と梓ちゃんは?」

「ああ、大丈夫だ」

「はい、問題ないです〜」

「あ、お2人も同行されるんですね。承知いたしました。それでは土曜の9時にお迎えにあがります」

「はい、わかりました」

「なお、検査とテストが長引く可能性があり、当日中に終了しない場合もございますが、よろしいでしょうか?」

「え、それって、もしかして泊まりがけになることも?」

「はい。ゲストルームをご用意しておりますが、ご都合が悪ければ再ログオンテストは別日に変更可能です」

「ん〜 予定通りで大丈夫です」

 秀明と梓ちゃんもうなずく。


「では、崔くん、土曜日の再ログオンテストの準備をお願いできますか。私は中央研究所に連絡を入れておきます」

「承知しました」


「あとは、高岡様が指定する居所に移転する件ですが、場所はどのあたりをお考えでしょうか?」

「まだ具体的には何も決めていませんが、できれば今の場所からあまり離れず、会社に少し近いところが良いですね」

「皆様の会社の最寄駅はTS市駅でしたね。それでしたら、駅から徒歩5分圏内のマンションを2戸並びで仮押さえしてありますが」

「えっ?」とオレは思わず声を上げる。

「おい、なんだよ、その手際の良さは? まさかもう監視カメラとか盗聴器でも仕込んであるんじゃないのか?」

 秀明が半分冗談めかしながらも鋭い視線を向ける。


「いえいえ、示談書通り、お2人に対する監視は一切行いませんし、高岡様に関しても同様に監視カメラや盗聴器の使用はいたしません。ただ、その代わりといってはなんですが、示談成立後、つまり今夜からVRMMORPG BulletSへの復帰までの間、高岡様には24時間体制でボディーガードを付けさせていただきます」


「え……? 今夜から?」

「おい、ボディーガードって、やっぱり監視の一環じゃないのか? それに、会社にも付いてくるのか?」

 秀明がストレートに質問する。

 ボディーガードはもう手配済みってことか……。


「いえ、主な目的はマスコミなどが高岡様へ接触するのを防ぐことです。同行したり、密着するものではありません。例えば、トイレの中や周辺に不審者が潜んでいないかを確認し、排除するといった警護活動がメインです。居所や勤務先周辺でも警護は行いますが、高岡様の行動を制限するものではありません。この件については、すでに御社上層部とも合意を得ています」

 うわっ……巨大資本企業って、怖い。


「そ、そこまでして……」

「だとしても、忍に付くということは、俺たち2人も自ずと監視下に置かれることになるんじゃないか?」

 秀明が納得いかない様子で口を挟む。

「いえ、あくまで監視ではなく警護です。そして、その対象はあくまで高岡様です。私共の目的は、高岡様が一刻も早くVRMMORPG BulletSに復帰できるように支援し、さらにマスコミ対策を行うことです。ですので、高岡様には未登録や番号非通知の電話には絶対に出ないようお願いできればと思います。皆様が第三者、特にマスコミと接触するリスクを避けるため、こういった措置を取らせていただいています」

 なるほど……。


「また、できるだけ早めに弊社が準備したマンションに転居していただければ、安全性が高まるかと存じます」と栗山社長。

「ん〜、物は言いようだな……」

 秀明は少し皮肉げに言った。


 オレはしばらく考えて、こう答えた。

「……そうですね……じゃあ、明日にでも御社の用意されたマンションに移ります」

「えっ、おい、忍、気は確かか?」

「そ、そうですよ〜」


「まぁちょっと2人とも待って。オレに考えがあるんだ」

 オレは秀明と梓ちゃんに説明を始める。

「実際に今のオレ、この状態でここにいるのはちょっと周りの目が気になるし、これまでの栗山社長、アストラル・ゲームスの対応を見てる限り、悪意は感じられないんだよね。マスコミに気づかれているかはわからないけど、早くVRMMORPG BulletSに復帰することが、マスコミ対策になるってことですよね? 栗山社長?」

「おっしゃる通りです」

「それに、うちの部長は会社として一切関わらないって言ってたけど、ボディーガードの件まで上層部に手を回してるとなると、言い方悪いけど、これってもう従うしかないんじゃないかな?」


「う〜」

 悔しそうな秀明。

「幸いオレは単身だし、身寄りもないから、どこに移っても問題ないよ。新しい場所でも不自由はないし。それに、居所を変えるだけで、住所を変えるわけではないですよね?」

「はい、基本的には一時避難的に居所を変更していただくだけです。高岡様は今までのお話からすると、将来的には住所も移されるご予定だと思いますが、他のお2人は数日分のお荷物だけお持ちいただき、高岡様のお隣に住んでいただければと思います。生活必需品はこちらで用意いたしますので」と栗山社長。


「いえ、秀明と梓ちゃんは一緒に移転する必要はないですよ?」

「えっ?」

「?」


 2人とも、呆気に取られたような顔をしている。当然、栗山社長もだ。

「だって、第4条の第1項と第5条の第3項で、甲の指定する者が具体的に誰、と、どこにも明記されていない以上、秀明と梓ちゃんの必要はないですし、指定もしなくていいんですよ。ね? 栗山社長?」

「!」

 栗山社長が、しまったという顔をするが話を続ける。

「つまり、第4条の第1項の甲の指定する者に、わたしが秀明と梓ちゃんを指定しなければ、2人は移転の必要がない。逆に第5条の第3項で、甲の指定する者に秀明と梓ちゃんを指定すれば――条文の解釈に誤りはないですよね?」

「……おっしゃる通りですね……」

 くぅ〜栗山社長、悔しそうだ! 一矢報いた感はバッチリある。


「……よし、いいだろう。そのボディーガードとやらが気にはなるが、俺と梓も明日当座の荷物とPCだけ持っておたくらのマンションに移動する。梓、いいか?」

「はい、大丈夫ですよ〜」

「おい! 秀明せっかく……」

「忍! 俺たちチームだろ? 乗りかかった船だ。こうなりゃとことん付き合ってやるから安心しろ!」

「そうですよ、忍さん! 私には忍さんを立派な女の子にする使命があるんですから!」

「う〜そこまで言うんなら好きにしろよ〜もう!」

「……では、明日高岡様のお宅のお荷物は業者に委託してすべて移転先に引っ越してもかまいませんか?」

 こころなしか安心したような栗山社長。


「はい。特に見られて困る物は……なくはないですけど、すべておまかせします。何をどこに置くかは、現状を元にしていただければ」

「はい、もちろんそのようにいたします」

「じゃ秀明、明日はオレ有給ということで……」

「わかった。俺と梓の荷物は朝一で持って来ることにする」

「では、明日は何時ころにお伺いすればよろしいですか?」

「こちらも9時くらいですかねぇ」

「はい、9時にお邪魔して引っ越しの段取りをいたします。私共は準備がありますので、そろそろ失礼します」

 そんなに急に準備できるわけがないから、引っ越し業者ももう手配済みだろうけどな〜

「じゃ、よろしくお願いします」

「お疲れ様でした〜」

「失礼します」


 ◇


 運営の2人が帰ったあと……。

「秀明、本当にオレ1人でも良かったんだよ? もう少しでむこうを出し抜けそうだったのに……」

「なに水臭いこと言ってるんだよ。もし別々になってもどうせヤツらのことだ、なんだかんだで俺たちも監視下には置かれるさ」

「すべてはむこうの計画通り、手配済み……ってわけだね」

「ああ」

「梓ちゃんもごめんね〜」

「いいですよ〜 同じ場所で暮らすの楽しみですね〜」

「ん〜 そうだね……そうだ、明日の準備とかしないとね」

 時計を見るともう22時だ。

「そうだな。荷物まとめなきゃいけないな」

「じゃ、忍さんまた明日〜」

「おやすみ〜」


 さぁ〜ってと、おっ風呂、お風呂〜♪

 でも部屋の外かマンション付近にボディーガードがいるなんて思うとちょっとゾッとしないな。


 ◇


「一時はどうなるかと……」と崔。

「ああ。条文の穴を突かれたのは想定外だったけど、勝野さんの親分肌に助けられて3人一緒に引っ越してくれるから良しとしよう。すべては計画通りだな。ボディーガードのブラフも効いたかな」と栗山。

「え、ブラフだったんですか? ま、そうですよね。私は明日、中央研究所に行ってダイブの再ログオンテストの準備を始めますので、引っ越しの立ち合いは社長にお願いして、」

「ああ、わかった。研究所に連絡はしておくけど、進捗は伝えてくれよ」

「はい、承知しました。それでは失礼します」

「うん、お疲れさま」

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