第19話 明日の祝言は、ぜひこの打掛で
鍋が煮詰まらないよう水を足していると、背後から不意に声をかけられた。
「ほぉ、鶏鍋ですか?」
慌てて振り向いてみれば、御白様が興味深そうに覗き込んでいた。
「お、驚かせるな。いつの間に帰っていたのだ……」
「今し方、帰ったばかりですよ」
「鶏鍋ではなくひっつみ汁だ。僕が作っているから、味は期待しない方がいい」
「凜華さんが? それは楽しみだ」
「だから、期待しない方が良いと……」
「解りました。楽しみにしております」
そう言って御白様が微笑む。
僕の言う事が聞こえていないのか、
「着物、とてもお似合いですよ」
僕の思考を
「に、似合ってなど……」
奥内様といい御白様といい、どうしてこうも恥ずかしげもなく世辞が口を突くのか。
「せ、世辞を言っている暇が在るのなら、その……風呂でも浴びてきては如何か」
世辞だと判っていながら、どうにも顔が
「その前に少しよろしいですか?」
御白様が奥座敷を指し示す。
何事かと思い彼に続いて奥座敷に入る。
一瞬で目を奪われた。
あまりの
白打掛と色打掛。見事な色彩の対比に、言葉すら出てこなかった。
「明日の祝言は、ぜひこの打掛で……」
呆然としたまま
色打掛は黒の地色に
そして色打掛に輪をかけて素晴らしいのが白打掛だ。暮れ時の薄闇の中に在ってなお、まるで自身が虹彩を放つかの様な真珠が如き光沢。素人目にも、素材からして良いものであることが判る。
「触っても?」
「えぇ、
咲き乱れる桜を背景に、幾羽もの鶴が舞い踊る
指先が珠に結ばれた絹糸をなぞる。
「素晴らしい打掛だ。僕なんかが着ても、良いのだろうか……」
「えぇ。凜華さんのために仕立てたのですから」
「こんなの、僕には
「何を言っているのですか。一生に一度の花嫁姿ではありませんか」
そう言って御白様は色打掛を手に取り、僕に羽織らせてくれた。
「思った通り良くお似合いだ。赤と迷ったのですが、黒打掛にして良かった。凜華さんの雰囲気によく合っている」
「でもやはり、僕には勿体ないだろう……」
黒の地色も燕子花と蝶の柄だって、とても僕好みだ。もしかしたら御白様の言う通り、似合っているのかもしれない。それでもこんなに素晴らしい仕事が施された打掛を僕が着るだなんて、恐れ多い気がしてならない。
「妻に着飾ってもらうのは、私の楽しみでもあるのですよ」
そう言われてしまっては、返す言葉がなくなってしまう。
「君の為だと言うのなら……そうだな。ありがたく使わせてもらうとしようか」
聞けば今日は、この打掛を取りに懇意にしている呉服屋まで出かけていたと言う。以前から仕立てを頼んでおり、預かってもらっていたのだそうだ。
「祝言を挙げるかどうかも解らないのに、打掛を仕立てていたと言うのか?」
「約束ですから」
「そうは言ってもだな……」
「実際こうやって、祝言を挙げることになった」
「いや、そうなのだが……」
神故に、未来を見通せるという事なのだろうか。さすがに幼き日の約束を律儀に守って、打掛まで用意したとは思えない。
「神と言えども、未来までは見通せませんよ」
「だから、思考を読むなと……」
僕の抗議に、涼やかな微笑みで答える。
本当に狡い。
思考を読まれることがではない。こうやって邪気のない笑顔を向けられると、僕は何も言えなくなってしまう。こんな微笑みで返すなんて……本当に狡い。
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