第18話 あー、腹減ったぁ! 何かないの?

 厩から物音がしたので見に行ってみれば、奥内様が帰ってきたところだった。

「お! 凛ちゃん、着物似合ってんじゃん!」

 馬留うまどめに轟天号を繋ぎながら、奥内様が言った。

「世辞を言う暇があるのなら、さっさと泥を流してくることだな」

 田んぼ仕事の帰りだけあって膝から下は勿論、上半身も泥跳ねで汚れていた。

「おー。そうするわー」

 轟天号の首を撫でて、奥内様は井戸へと向かった。

 昨日は単なるチャラ男にしか見えなかった奥内様だが、こうやって労働の跡が見えると何だが頼り甲斐が感じられるから不思議なものだ。

「奥内様が、帰ってきたぞ」

 台所へ戻り、お雪さんに告げる。

「どうせ腹減ったとか言い出すから、今朝のおにぎり出しといて」

「わかった」

 まだ六つほどのおにぎりが残る皿に、茶請けにしていた菊芋の漬物を添えていると、玄関から手拭で顔を拭きながら奥内様が姿を現す。

「あー、腹減ったぁ! 何かないの?」

 予見した通りの台詞を耳にし、思わず吹き出してしまう。

「なに? 俺、なんか変なこと言った?」

「いや、ちょっとな……」

 不思議顔の奥内様に、おにぎりの皿を差し出す。

 待ってましたとばかりに伸びる奥内様の手を遮るように、お雪さんの声が響く。

「ちょっと奥内! 手は洗ったんでしょうね?」

「洗ってまーす」

 そう言って両手を掲げて見せる。

「ならばよし」

 この二人の力関係は、何度見ても理解に苦しむ。

「いっただきまーす!」

 茶の間の上がりばなに腰掛けおにぎりを頬張る奥内様の目が、台所の一点で止まる。

「野蒜じゃん! 食べて良い?」

「良いけど、程々にしときなさいよ。夕食前なんだし」

「んー? 晩飯なに?」

「ひっつみ汁よ」

「おー、ひっつみかぁ。だったら、おにぎり三個喰っても大丈夫だな」

「ただし、凛ちゃん特製よ!」

「ま、マジか!!」

 屋内様が、突如として立ち上がる。

「な! 何を言ってる、お雪さん!」

 特製だなんて、そんな大層なものであろうはずがない。

「本当の事じゃない」

「だとしても……だ」

 変に期待させてしまっては困る。美味しく仕上がるかどうか、まだ解らないのだから。

「こうしちゃ居られねぇ。ひとっ風呂浴びてくるわ!」

 そう言うと屋内様は、風呂桶を引っ掴んで駆け出して行った。

「まったく、調子のいいヤツ……」

 呆れたようにお雪さんが溜息をく。

「今夜も寒くなりそうだから、囲炉裏を囲みましょうかね」

 そう言ってお雪さんは、居間の囲炉裏に火を入れる。丸めた新聞紙の上にしばを立てかけてマッチで火をつけた。

灰避はいよけ、被ったときなさい」

 渡された手拭てぬぐいを被りうなじで結ぶ。囲炉裏に火を入れると、舞い上がった灰が降ってくるらしい。長い髪に絡まると、取るのに難儀するそうだ。

 火が移ると更に柴を足し、火吹き竹で空気を送る。火勢が増した所に、まきを三本立てかけた。そして薪に火が移ったことを見届けると、かぎに鉄鍋を吊り下げる。

「さぁ、さばいちゃいますか。凛ちゃんにも今度、捌き方教えてあげるね」

 何の話かと思ったら、鶏の話だったようだ。小出刃を持ったお雪さんが、真菜板の上で鶏を捌いていく。

 羽はむしられわたも抜かれた、下処理が済んでいる鶏だ。とはいえ、関節を外し包丁を入れていく様子は見慣れたものではなく、自分に捌く事が出来るのだろうかと不安に思ってしまう。

 僕の不安を他所よそに、お雪さんはあっという間に鶏を捌いてしまった。腿肉ももにくと胸肉そして笹身は見慣れた形に開かれ、一口大に切り分けられている。手羽先と手羽元は、骨付きのまま切り分けられていた。

「笹身を少し分けて、猫ちゃんに茹でてあげましょうかね」

 鶏ガラは生姜とともに鉄鍋に沸いた昆布だしの中に放り込まれ、出汁を取るのに用いられた。まったくもって無駄がない。

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