第17話 出汁は鰹節で取るんじゃないのか?

 曲家に戻り、茶の間で一息つく。

 お雪さんが茶を淹れてくれ、茶請ちゃうけに漬物を出してくれた。

「塩抜きが終わったから、味見てくれる?」

 皮付きのまま輪切りになった漬物は、一見すると生姜のように見える。

「これは?」

「さて、何でしょうか」

 悪戯っぽく、お雪さんが微笑む。

 一切れ口にする。シャクシャクとした歯ごたえ。噛む程に微かな甘味が染み出してくる。牛蒡を思わせる強い土の香を感じた。

「芋……なのか? 長芋にしては風味が強いようだが」

「良い舌してるわね。菊芋きくいもの塩漬よ」

 岩手でよく食べられている芋なのだそうだ。生で食べられ、旬の頃であれば味噌漬が美味しいとお雪さんが教えてくれた。

「今度、漬物小屋を案内してあげなきゃね」

「漬物……小屋!?」

「氷室の横に小屋があったでしょ。あそこよ」

「もしかして、漬物のための小屋……なのか?」

「そりゃ、漬物小屋なんだし。味噌や醤油も在るけどね」

「え、ちょ! 味噌も自家製なの? 醤油も!?」

 今日一日で、どれだけ驚かされるのだろうか。暮らしの様式が違うとは言え、こんなにも常識が違うものなのかと驚いてばかりだ。

「さぁ、そろそろ始めましょうか」

 そう言ってお雪さんはたすきを掛け、僕にも襷の掛け方を教えてくれた。

 具材の野菜を桶に入れて井戸に向かう。さっき穫った野蒜、そして馬鈴薯ばれいしょ牛蒡ごぼうの泥を流して台所へ戻った。

「お出汁だし、お出汁……っと」

 鼻歌交じりに言いながら、お雪さんは鉄鍋に水を張り昆布を浸した。

「出汁は鰹節かつおぶしで取るんじゃないのか?」

 隠り世のことだ。てっきり削り箱で、鰹節を掻くところから始めるのだと思っていた。

「今日は鶏を入れるからね。昆布だけでいいのよ」

「そうなのか?」

「お魚を煮付ける時のお出汁もそうよ。鰹出汁だとお魚が重なって、味がぼやけるからね。お肉を煮る時も同じ考え方なの」

 旨味なんてものは、多ければ多いほど良いのだと思っていた。しかし、そういう物ではないらしい。味を重ねれば重ねるほど、ぼんやりとした味になってしまうのだそうだ。

 そしてお雪さんは、大きな鉢に小麦粉を取り塩を混ぜる。ひっつみをねるのは、僕がやらしてもらうことになった。

「少しづつ水を入れて混ぜてね。耳朶みみたぶくらいの硬さを目指してねようか」

 そう言って鉢を渡す。湯呑ゆのみに入れた水を少しづつ、入れては混ぜ、混ぜては入れ、おっかなびっくり生地を作っていく。

「まとまってきたら、台で捏ねるよ」

 台の上に、打ち粉をしてくれる。腰が出るように、台の上で力を入れて捏ね続ける。

「ちょっと硬いかな。指先に水をつけて、少し緩めよう」

 ほんの少しの水加減で、まるで硬さが違ってしまう。簡単そうに見えて、意外と難しい。おゆきさんの指示通りに作るだけでも難しく感じてしまう。

「捏ね終わったら、丸くまとめてね。夕食まで休ませときましょ」

 まとめた生地を濡れ布巾で包んで、涼しい場所に置いておく。

「じゃ、生地を休ませている間に、具材の準備ね」

「わ、わかった……」

「そんなに緊張しないで。気楽に行きましょ。包丁は使える?」

 首を横に振って答える。

 菜切り包丁の持ち方から教えてもらう。小指で柄をしっかり支え、薬指と中指は補助に。人差し指と親指で、峰を挟み込む。

「真っ直ぐに真菜板まないたに向かってみて。足は肩幅ね」

 真菜板に乗った玉葱に刃を当てると、丁度右手と左手が八の字になった。

「右脚を引いて、身体を斜めに」

 言われるがままに脚を引く。すると斜めに位置した包丁は、真菜板に対して直角に当たるようになった。そして玉葱を押さえる左手は真菜板と平行に。

「それが基本姿勢ね。真菜板から身体まで、拳二つくらい空けると切りやすいよ」

 教えられるがまま、玉葱をざく切りに、馬鈴薯を半切り、牛蒡を乱切りにした。

「椎茸は傘と軸を切り分けて。石突いしづきを落として、薄切りに」

 言われるがままに椎茸を刻んでいく。

「なかなか筋が良いわね」

「本当に?」

「この調子なら、すぐに上手になるよ」

 自分でも、たどたどしく、危なっかしい包丁使いだと思う。けれども、お雪さんから筋が良いと言われると、悪い気はしない。もっと包丁を使ってみたくなってしまう。

「他に切るものはないのか?」

「それじゃ、生姜を刻んでくれる? あと、野蒜の青いところを小口切りに」

「わかった」

「刻むときは、左手は猫の手でね。卵を握ってるようにイメージするとやりやすいかも」

 言いながら手本を見せてくれた。信じられない速度で、あっという間に生姜が刻まれる。真似をしてやってみたが、不揃いでマッチの軸より太く、いびつな仕上がりになってしまった。

「上出来、上出来。細かいことは気にしない」

 野蒜の根を落とし辣韮らっきょうのような根本を切り分け皿に盛ると、お雪さんが味噌壺から味噌をすくい皿に塗りつけた。男衆は、味噌をつけて齧るのが好きなのだそうだ。青い部分は小口切りにして、取り分ける。こっちはひっつみ汁の吸口にするらしい。

 そして水に浸していた昆布を引き上げ、一口大に切り分けた。昆布も具材として汁に入れてしまうようだ。

 こうしてようやく、ひっつみ汁の具材の準備を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る