第10話 花冷えのする、月影さやかな夜だった。

 指切りの後、縁側で遊んでいるうちに、遊び疲れて眠ってしまった。そう言えばあの時も、御白様の膝枕で眠ったはずだ。今日、御白様を見て初恋の人に似ていると感じたのだが、何のことはない本人だったという訳だ。

 夕暮れ時になって目を醒した僕は、御白様と奥内様を急かしてあわてて山を下りた。日が落ちるまでには、祖母の待つ家に帰らねばならないと思ったからだ。しかし傾き始めた陽の光は何時まで経っても沈むことはなく、明るいうちに村へと辿り着く事が出来た。

 村では、僕が神隠しに遭ったと大騒ぎになっていた。曲家に行ってから半日ほどしか経っていないはずなのに、神隠しに遭ってからもう三日が過ぎていると聞かされた。祖母が泣きながら抱きしめてくれたことを憶えている。

 何処に行っていたのかと問われ、山で迷ってしまい山中の家で休ませてもらったのだと説明した。迷家まよいがに行ってきたのかと、祖母は驚きの面持ちだった。

 祖母から、迷家のことを教えてもらった。隠世に迷い込み迷家に辿り着くことがある事、そして迷家からなにか一つ物品を持ち帰ることが許されている事、そして持ち帰った物品は富を授けてくれるのだと教えてくれた。

 指輪を持ち帰ったことは、祖母には内緒にした。御白様と僕だけの秘密にしたかったからだ。持ち帰ってから数日は、子供の指には余る指輪を薬指にはめてほくそ笑んでいたはずだ。夢かうつつか解らないが、ある日あの指輪はスッと溶けるように指に馴染んで消えてしまった。

 その後、御白様と奥内様は、あまり遊びに来てくれなくなった。二人との思い出は何故か徐々に薄まり、父母の元へ帰る頃にはほとんど思い出せなくなってしまった。


 どうしてこんなに大切な事を、綺麗さっぱり忘れていたのか……。

 眠りこける子猫を起こさぬよう、そっと布団を這い出る。思い出した興奮で身体が火照り、目が冴えてしまった。夜風に当たりたくて、障子と雨戸を開けて縁側に出た。

 花冷えのする、月影さやかな夜だった。

 縁側に腰掛け、渡る夜風に涼を取る。

 庭を見遣れば、煌々と照る月の明かりが彼岸桜の見事な枝振りを映し出していた。この寒さならば、満開の花も命を永らえるだろう。

 妖艶ようえんな美しさゆえか、どうにも桜は死を思い起こさせる。

 花は桜木、人は武士……そう言ったのは誰だっただろうか。古くから人は、桜の散り際に美しさを見いだしてきた。かつての武士たちもまた、桜の散り際に自らの死に際を重ね、いさぎよく死ぬ事に美を見いだしたのだという。

 僕の死に際は、どうだったのだろう。潔いと言えるものだっただろうか。突然の出来事ではある。しかし其処そこには、自らの意志は無い。潔く散ったのではない。散らされただけの事だ。自らの死に際すらままならないとは、我が事ながら不甲斐なく思う。

 両親に別れの挨拶すらできなかったのは、良かったのか悪かったのか……。この歳になってまだ、父や母とどう接すれば良いのか解らずにいる。娘が突然居なくなり、悲しんでいるだろうか。ゆくゆくは婿を取って、跡継ぎにと考えていたようだ。悲しんでいるかどうかはさて置き、惜しんではくれているだろう。

 しかしどうした事だろうか、自らの死を他人事のように感じてしまうのは。死んだと知った時は、さすがに衝撃を受けた。しかしその時から既に現実感が無く、何処か他人事のように感じていた。

「夜風は身体にさわりますよ」

 不意に声をかけられて動転した。

 声の方をあわてて見遣れば、御白様が障子戸のかたわらにたたずんでいた。

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