第09話 でもそれ、婚約指輪だよ

 座敷に布団を敷いてもらい、休む事にした。

 御白様は、ふすまへだてた奥座敷で休んでいる。奥内様とぼっこちゃんは、寝床と中の間で休んでいるようだ。お雪さんと川波さんは、夕餉ゆうげの片付けが終わると自分の家へと帰っていった。

 助けた黒猫は、僕の腕の中で眠っている。僕の元を離れようとせず、布団の中にまで潜り込んでくる始末。まったく好かれたものである。

 そっと黒猫の背を撫でる。猫を助けて死んでしまうだなんて、猫好きの僕らしい最後だ。

 ふと祖母が飼っていた三毛猫の事を思い出す。あの頃の僕にとって、唯一の心の拠り所よりどころだった祖母の飼い猫。

 幼い頃、両親の都合で祖母の家に預けられた。小学生の数年間を、僕は遠野の祖母の家で過ごした。しかし祖母の家に居た頃のことは、何故かあまり憶えていない。祖母の飼い猫のことだって、今まですっかり忘れていた。今日はやけに遠野に居た頃の事を思い出す。この家が、祖母の家に似ているからだろうか。

 両親の教育方針に従ってか、はたまた地元の名士たる家柄故か、祖母は僕を厳しく躾けた。都会からの転校生だった僕は、学校でも友達がらず浮いていた。何処に居ても独りだと感じる僕に、唯一安らぎを与えてくれたのが祖母の家で飼っていた三毛猫だった。

 ……いや待て。あの頃の僕を助けてくれたのは、猫だけではなかったはずだ。

 祖母の飼い猫と、それからたまにやって来る……そうだ、どうして忘れていたのか! オシラサマとオクナイサマだ! 祖母が居ない時を狙って、こっそりと現れていた二人の男の子。あの二人こそ、御白様と奥内様ではないか!

 塞ぎ込んでいた僕を、外の世界へ連れ出してくれた。田舎の遊びを知らない僕を連れて、一緒に遠野の野山を駆け回ってくれた。考えてみれば僕の喋り方が男の子っぽいのなんて、全部あの二人の影響だ。

 それが何だ。御白様はやけに上品になってるし、奥内様なんかチャラになってるじゃないか。これでは憶えていたとしても、彼らだと気がつく訳がない。

 確か幼い頃この曲家まがりやに来たのは、僕が御白様の家で遊びたいとねだったからだ。

 駄々だだをこねる僕に、御白様は困り顔だった。

「ぼくの家、遠いよ?」

「遠くても良い。行くの!」

 渋っていたものの、結局は根負けしてこの曲家へ連れてきてくれた。

 遠いとは言ってもまさか境界の向う側だなんて、あの時の僕は思っていなかった。確か境界の祠を見て怯えていたはずだ。境界を超えてはいけないと、祖母からきつく言われていたからだ。

「ひきかえす?」

「……い、いやだ。行く」

 臆する僕の手を、優しく引いてくれたのは御白様だ。すぐに「自分だけズルいぞ」と、奥内様が反対側の手を引いた。三人で手を繋いで、なだらかな山道を登った。

 曲家に着いて庭を駆け回った後、家の中を探検して回った。御白様が一つだけこの家の物を持ち帰って良いと言うから、宝探し気分で家の中を探検したのだ。

 そして中の間の鏡台に金色に光る指輪を見つけ、ひと目で気に入ってしまった。

「これがいい! これにする!」

 そう言ってはしゃぐ僕に、御白様は困り顔だった。

「だめなの? なんでもいいって言ったくせに……」

「でもそれ、婚約指輪だよ」

「なにそれ?」

「結婚の約束をした人がつける指輪」

「この指輪したら御白様と結婚するってこと?」

「そうなるかな」

 不思議顔で問う僕に、オシラサマは照れた面持ちで答えた。

「いいよ! 僕、御白様と結婚する!」

 あの時の御白様の驚いた表情を、そして指切りした時のはにかんだ表情を、どうして忘れていたのだろうか。あんなに大事な約束を忘れていただなんて……。

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