第06話 浴衣、良くお似合いですよ

 突然、御白様がチャラくなってしまった。そう思って唖然とした。

「湯上がり凜ちゃん。超カワイイじゃん!」

 纏わり付いてくる男を、反射的に張り倒そうとした。けれども手を振り下ろす刹那、するりと身をかわされ僕の右手は空を切った。

「だ、誰だ。君は」

 御白様から品格を減じれば、この男のようになるのではないだろうか。最初は御白様だと錯覚した。美しい顔立ちはよく似ているし、着流きながしの柄も似ている。

 しかし別人だ。髪の色が違うだろうか。御白様の薄鈍色うすにびいろの髪に対して、この男は黒髪……いや、茶髪だろうか。ランプの薄明かりでは判らないが、黒い御白様といった風貌ふうぼうだ。

「オックンだよ、オックン。忘れちゃった?」

「忘れるも何も。知らないな、君のことなんか」

「えぇ~。凜ちゃん冷たくない?」

 馴れ馴れしく肩を組もうとする男から、今度は僕が身をぁわす。

 風呂から帰り、ぼっこちゃんに案内されて茶の間に入った。その途端、御白様に似たこの男に絡まれたという訳だ。

「ちょっと見ない間に、大人になっちゃってまぁ」

「僕を知っているのか!?」

「知ってるも何も、昔よく遊んだじゃん」

「人違いでは? 君と遊んだ憶えなんてないのだが……」

 ヘラヘラと笑いながらにじり寄ってくる男に、思わず後ずさる。

 どうしたものかと困っていると、奥の座敷から声が響いた。

「あまり困らせてやるな」

 言いながらふすまを開けたのは、御白様だった。

「なんだよ。再会を喜んでるだけじゃん」

「凜華さんがお困りだ。それ位にしておけ」

「相変わらず堅いなぁ、御白は」

 男は肩をすくめると、奥の座敷へと姿を消した。

 僕へ歩み寄る御白様に訊く。

「もしかして今の男は、奥内様おくないさまではないのか?」

「思い出されましたか?」

「いや、察しをつけたまでのこと」

「相変わらず聡明でいらっしゃる。その通りですよ」

 聡明と言われて、悪い気はしなかった。けれども褒められて思わず、照れ隠しに悪態を吐きそうになってしまった。「これしきの事で聡明とは、君たちの程度が知れるな」声になる寸前で飲み込んだ。

 そうだ、奥内様に気を取られて忘れていたが、帰り道にすれ違った河童の事、御白様に聞こうと思っていたのだった。

「馬鹿な事をとわらうかもしれないが……」

「どうしました? 改まって」

「さっき河童の女性とすれ違ったんだ……」

「岩清水さんでしょう。この辺で河童の女性と言えばあの方だ」

 ぼっこちゃん同様、事もなげに答える。

「か、河童だぞ? え、岩清水さん河童なの!?」

 あわてる僕を、不思議そうな顔で見詰めていた。

「そう言えば彼方あちらには居ないのでしたか……」

彼方あちら此方こちらも無いだろ。河童だぞ?」

 成る程と言った風に、御白様が顎に手を添えて頷いた。

「河童のことは、改めてお教えしましょう。そんな事よりも、凜華さん……」

 僕の耳元に顔を寄せ、御白様がささやく。

「な、なに……かな?」

 不意を突かれてあわててしまう。

「浴衣、良くお似合いですよ」

 言われて大きく胸が鳴った。

「な、何が狙いだ。褒めたって何も出ない……ぞ」

 慌ててしまい、悪態を飲み込む余裕すらなかった。

 微笑む御白様から目を逸らし、思わず俯いてしまう。

「可愛らしい面差しが見られただけで充分です」

 頬が紅潮するのが判った。

 顔から火が出るという慣用句の意味が、初めて理解できた気がする。

「ぼ、僕なんかが可愛い訳があるか! 恥ずかしくないのか! そんな歯の浮くような……その……」

 言い淀む僕に、御白様は涼やかな笑顔で応えた。

「さぁ、夕餉ゆうげにいたしましょう。皆が待っています」

 そう言って御白様は手で座敷を示した。

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