第05話 お風呂、明日もいっしょ?

 森を歩いていたことと、曲家に着いた時のこと、思い出せるのはこれ位のものだった。縁側に転がった後、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。そして知らぬ間に膝枕をされていたという訳だ。

 神隠し……。ふと、御白様の言葉を思い出す。

 幼い頃、祖母からよく神隠しの話を聞かされた。祖母が住む遠野とおのでは、昔は神隠しに遭う人が多かったのだそうだ。

「カクラサマのほこらより向こうには行っちゃ駄目だよ。神隠しに遭うからね」

 祖母から口酸っぱく釘を刺されたものだ。祠が建てられている辺りが、現世うつしよ隠世かくりよの境界なのだと教えられた。境界の向こう側、つまり隠世かくりよは神様やあやかし達の住まう世界なのだという。

 カクラサマ……。そうだ、境界の祠にまつられていたのは、確かカクラサマと呼ばれていたはずだ。そして祖母の家にも確か、神様を祀っていたはずだ……。

 そうだ! オシラサマ!

 祖母の家には、オシラサマとオクナイサマが祀られていた!

 神棚に鎮座ちんざする、雛人形ひなにんぎょうの如き二体の御神体ごしんたい。二体で一柱の神様、それがオシラサマだった。桑の木を削って作ると言っていただろうか、質素な造りの御神体は棒状で細長く、一体は馬の顔が、そしてもう一体は女性の顔が彫られていた。いずれもオセンダクと呼ばれる絹布けんぷの衣を、幾重いくえにもまとっていた。

 そしてオシラサマと共に祀られていたのが、オクナイサマだ。木彫りの御神体には赤い着物が着せられ、頭には赤い頭巾が被せられていた。

 年に何度か、いつもは触れることも許されないオシラサマを両手に持たせてもらい、「遊ばせてあげて」と頼まれる事があった。その隣では決まって、祖母が祭文さいもんを上げていた。こうやって年に何度か、オシラサマを祀るのだと教えてくれた。そしてオシラサマを祀る事を『遊ばせる』と言い、この行事のことを『オシラ遊び』と呼ぶのだとも。

 御白様の名前を聞いた時、何処かで聞いたことがあると思ったのだが……どおりで聞き憶えがあるはずだ。

 という事は、御白様は神様なのか!?

 僕は神様に膝枕をしてもらったのだろうか。

 驚愕の事実に辿り着き、思わず湯船に立ち上がりそうになった。けれども、そんな馬鹿なことがあるかと自らを戒め、静かに湯に身を沈めた。


 ぼっこちゃんと手を繋ぎ、下駄を鳴らしながら帰路についた。

 日は既に暮れ闇夜に染まった小路に街灯なんて無いけれど、東の空に昇った月が帰路きろを明るく照らしてくれた。

 手を繋いだぼっこちゃんが、僕を見上げて言う。

「お風呂、明日もいっしょ?」

 小首をかしげる少女に、答えあぐねる。明日も此処に居るかどうか、解らないのだから。

「そうだね。明日も一緒に来れたら良いね」

 そう答えるのが精一杯だった。出来るかどうか解らない約束をするのは、誠実さを書いているように思う。子供が相手だからこそ、適当な言葉で取りつくろうような事はしたくない。

 ふと行く手を見れば、こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。薄闇の中に目を凝らしてみれば、どうやら女性のようだ。もんぺ姿に風呂桶を抱えている。畑仕事を終えて、風呂に入りに行くのだろうと思った。

 女性は僕達に気付くと、軽く会釈した。

「こんばんは」

 すれ違いざまに、柔らかい声でそう言った。

 挨拶を返そうと、女性を見遣った瞬間に絶句した。

 見間違いかと思い目をこする。

 既に後ろに行き過ぎる女性を振り返る。

 追いかけて確かめようかと思った。しかし迷っているうちに、女性は闇夜の中に溶けて見えなくなってしまった。

「どうしたの?」

 不思議そうな顔で、ぼっこちゃんが見上げていた。

「今の人って……」

 いや、そもそもが人だったのだろうか。

「岩清水さん」

「ぼっこちゃん、知り合いなの!?」

 少女がコクリと頷く。

「え、でも、あの人……」

「どうかした?」

「か、河童じゃなかった!?」

 そう、すれ違いざまに月明かりが照らし出した姿は、河童のように見えた。まるでかもの様な幅広のくちばし。肌の色は赤っぽく見えた。見間違いなのかもしれないけれど、いや見間違いだと思いたいけれど、あの容姿は僕の知る河童によく似ていた、

「そう。岩清水さんはかっぱ」

 事もなげに言うと、ぼっこちゃんは僕の手を引いて歩き出した。

「え、でも、河童って……」

「早く帰らないと、ごはんの時間」

「そ、そうか」

 ぼっこちゃんを問い詰めるのも、なんだか可愛そうな気がしてそれ以上は訊けなかった。釈然としないまま、二人で帰路を急いだ。

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