第03話 おふろ、きらい?

 造りから見るに、共同浴場だろうか。

 僕たちの他には誰もらず、広い浴場を貸し切りの状態だ。あまりの開放感に、湯船を泳いでみようかなどと行儀の悪い考えが頭をよぎる。けれどもぼっこちゃんの手前、そんな子供じみたことをする訳にはいかない。大人は子供の手本たるべきだ。

 滔々とうとうと掛け流される湯は、温泉だと言っていたはずだ。青天井の半露天風呂で、岩で固められた湯船は目隠しの柵で囲われている。

 湯船に浸かり見上げてみれば、夜のとばりが降りた空に宵の明星よいのみょうじょうが輝いていた。薄闇の中、湯船の周囲に配されたランプの揺らめきが、心地の良い風情をかもしている。

「こんなお風呂に何時いつでも入れるなんて、ぼっこちゃんが羨ましい限りだ」

 僕の膝に乗り湯に浸かる少女が、コクリと頷く。

 歳の頃は、小学校の低学年くらいだろうか。此処への道すがら歳を尋ねてみたのだけれど、彼女は首を傾げるばかりだった。

 ちなみに『ぼっこ』というのは子供を指す言葉なのだそうだ。皆からそう呼ばれてるらしい。名前や名字を尋ねてみたのだけれど、これまた小首を傾げるばかりで答は得られなかった。

 口数が少なく不思議な子だ。しかし決して悪い子ではないと思う。湯に浸かる前も僕に気を使い、甲斐甲斐しく背中を流してくれた。お礼に髪を洗ってあげると、照れくさそうに身を任せていた。

 僕の髪も洗ってくれると言っていたのだが、流石にこの長さだ。少女の手には余るので、何時ものように自らの手で洗った。

 洗い髪をまとめて湯船に浸かると、少女は僕の膝に乗り身体を預けてきた。まったく、人懐っこい子である。

「僕がどうやって此処に来たか知ってるかな?」

 一息ついてみれば、どうにもこの事が気にかかる。しかし僕の問い掛けに、彼女は首を横に振って答えた。

「知らないか……」

「うん。しらない」

「どうして僕は、こんな所で風呂に入っているのやら……」

 膝の上で振り向いて、ぼっこちゃんが僕を見上げる。

「おふろ、きらい?」

「き、嫌いじゃない。むしろ好きだな」

「よかった」

 安心した表情で、再び前を向く。

 嫌なことに付き合わせているのではと、不安に思わせてしまったのだろうか。幼い子に心配をかけてしまうだなんて……。

 悪態をいてしまうのは、昔からの悪い癖だ。何とかしたいとは思っているのだけれど、何をどうすれば良いのかまるで解らずにいる。

 此処へ来る前、御白様にも憎まれ口を叩いてしまった。思い返すと、申し訳のない気持ちで一杯になる。後で謝ろうとは思うのだけれど、本人を目の前にすればまた悪態を吐いてしまうだろう。素直に謝ることができるのなら、こんなに悩んだりはしない。

 思わず、溜息がこぼれてしまった。

 悩むくらいなら、素直に謝ればよいのだ。解ってはいる。解ってはいるのだけれど、それが出来ないから困っているのだ。

 いかん、いかん。こんな気持ちのいい温泉に浸かってまで、落ち込んでいるだなんて。気持ちを切り替えよう。眼前の問題にこそ、集中するべきだ。

 此処に居る理由もせぬが、祝言の件が更に解せぬ。三日後に御白様と祝言などと、まったく冗談が過ぎるというものだ。担がれているのではないだろうか。たとえ風呂からの帰り道に、御白様が『ドッキリ大成功』と書いた看板を持って突っ立っていても、僕はきっと驚かないだろう。

 そう言えば縁側で御白様を初恋の人に似ていると感じた。けれども、肝心の初恋の事を思い出せずにいる。なぜ憶えてもいない初恋の相手と、似ているなどと思ったのか……まったくもって不可解なことだ。

 忘れてしまった記憶も落ち着けば次第に思い出す、御白様がそんな事を言っていた。初恋の相手は思い出せないが、実際にこうやって落ち着いてみれば、確かにいくつか思い出す事が在る。

 断片的ではあるのだけれど、此処に来る道中のことを思い出しつつあった。御白様は拐かしたのではないと言っていたが、確かにその通り。どうやら僕は、自らの足で曲家に辿り着いていたらしい……。

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