第02話 僕は君に、拐かされでもしたのだろうか

 祝言を上げる等とのたまう男の顔を、改めて盗み見る。

 涼やかな目元、そして鼻筋の通った品のある顔立ち……嫌いじゃない。いや、むしろ好きだと言っても良いだろう。どことなく、初恋の人に似ている気がする。

 目が合ってしまい、あわてて視線を外した。

 こんなに美しい男性と祝言を上げるだなんて、きっと担がれているのだろう。僕を騙したところで、誰が得をする訳でもないだろうに……。

「ふん! 笑えぬ冗談だな。もっと洒落を効かせることだ」

 何とか動揺を隠し、できる限りの虚勢を張った。

「冗談ではありませんよ」

「しかし、会っていきなり祝言などと……」

 男が差し出した指先が唇に触れ、言いかけた言葉を塞ぐ。

「いきなり、ではないのですよ。凜華さん」

 そう言って微笑んだかと思うと、更に言葉を継いだ。

「先ずはお風呂に入っていらっしゃい。落ち着けば、次第に思い出すやも知れません」

 変わらずに笑顔を湛えてはいたが、言外に断り切れない雰囲気がにじんでいた。言い返そうと身構えてはみたが、空回るばかりで何も言葉が出てこなかった。

「やれやれ……」

 覚悟を決めて、小さく溜息をく。

着替きがえもないのに難儀な事だが、お言葉に甘えるとしよう」

 思わず口を突く悪態にも微笑を絶やさず、男は屋敷の中へ声を張った。応えて和装の少女が、縁側と座敷を隔てる障子戸を開ける。

 三指を突いた少女がうやうやしく差し出したのは、藍色あいいろの柄が染め抜かれた浴衣ゆかただった。

「……あ、ありがとう」

 そめの美しさに目を奪われ、呟くように言葉がこぼれた。

「ふん! 一応、礼を言っておくとしようか!」

 取り繕うように張った虚勢に、男が微笑みをこぼす。

「ぼっこ。案内して差し上げなさい。君も一緒にお風呂をいただいてくるといい」

 ぼっこと呼ばれた少女は玄関へ向かい、僕のために下駄を手に庭を駆けてきた。眼下に差し出された白木の下駄を履こうとすると、ストッキングが鼻緒に引っかかり、爪先が引きれた。親指と人差指の隙間へ前坪を押し込んで立ち上がってはみたものの、やはりストッキング履きでは足裏が滑ってどうにも歩き辛かった。

「こっち」

 少女が僕の手を引く。

 浴衣を抱えて数歩進んだ時、不意に立ち止まる。

 不思議そうな表情で少女が僕を見上げ、おかっぱの髪がサラリと流れた。ぼっこちゃんを待たせて、縁側の男を振り返る。

「まだ名を聞かせてもらってないが、君には名乗る名前が無いのかな?」

 問われて男は、成る程といった面持ちで頷いた。

「名が無いのかと問われればその通り。けれども皆からは、御白様おしらさまと呼ばれています」

「御白……様?」

 愛称のようなものだろうか。何処で耳にしたのか、聞き憶えのある名だった。

「では御白様、一つお教え願いたいのだが……」

「どうぞ、どうぞ」

 何でも訊いてくれとでも言わんがばかりに、御白様が両の掌を天に向ける。

「僕は君に、かどわかされでもしたのだろうか」

 今朝会社に向かったはずなのに、夕方にはこんな山奥で眠りこけているだなんて、薬を嗅がされて誘拐されたとでも考えなければ辻褄が合わない。

「拐かすなど、とんでもない」

 驚いた様に、御白様が首を振る。

 違うというのか。誘拐されたのでないとすれば、あとはもう出社途中にトラックに轢かれて異世界転生したくらいしか思いつかない。異世界とやらがこんな日本の山奥に在るだなんて、ついぞ知らなかった。

 いや、冗談なんぞ言っている場合ではない。

「それでは僕は、どうしてこんな山奥に居るのだろうか?」

「そうですね。凜華さんは……」

 御白様の表情に、うれいの影が差す。

 口元に手をやり、言葉を探している様子だった。

 やがて適当な言葉に行き当たったのか、おもむろに呟やいた。

「神隠しにわれたのですよ」

 そう言うと、涼やかな微笑みを再び僕に向けた。

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