遠野かくりよ婚姻譚 ~ 神に娶られ花嫁修業。お料理と、山の恵と米づくり

からした火南/たかなん

第一幕 神に娶られ花嫁修業

第1章 凜華、神隠しに遭う

第01話 良く眠れましたか?

 最初に感じたのは、柔らかく包み込むような温もりだった。

 日溜まりの中に身体からだを横たえている感覚。閉じた目にもまぶしさが伝わってくる。

 微睡まどろみの中に居ると知り、目醒めざめようとした。けれども疲れ切った身体がこばんだ。それでも無理を押して目を開いたのは、聞き慣れぬ鶏の声を耳にしたからだ。

 寝ぼけまなこで様子をうかがえば、どうやら農家の縁側のようだった。夕日を受け朱に染まる庭で、何羽もの鶏が地面をついばんでいる。見知らぬ家であったが、どことなく祖母の家に似ていると感じた。

「何処だ、此処ここは……」

 目を擦りながら記憶を手繰たぐる。

 今日も朝一番から、新入社員研修の予定だった。うっかり寝過ごしてしまい、化粧もそこそこに家を飛び出したはずだ。いつも通り会社に向かったのだけれど、そこから先の事をまるで憶えていなかった。

 身を起こそうとして、頭上の気配に気づいた。見遣れば着流きながしの男性が、涼やかな笑顔をたたえて僕を覗き込んでいた。

 醒め切らぬ目で男に見惚れた。

 風に揺れる薄鈍色うすにびいろの長髪が、夕日を受けて金色こんじきに煌めいている。

 颯然さつぜんたる視線に射抜かれ、呆然ぼうぜんと見返すことしか出来なかった。

 素直に美しいと思った。

 美しいなどと、男性の容姿を表現するのに適当ではないことは解っている。しかし、そう表現する事こそが相応ふさわしいと感じた。人の世にこんなに綺麗な男性が存在するだなんて、全く信じ難い事だ。

「良く眠れましたか?」

 問われてようやく我に返った。

 あわてて飛び起き後ずさる。

 どうやら見知らぬ男の膝枕で眠っていたらしい。

 想定外の状況に、短く悲鳴を上げた。

「だ、誰だ。君は!?」

「おやおや、忘れてしまったのですか?」

 縁側に腰掛ける男が、寂しげに眉根を寄せる。

 見つめられて、思わず視線を外した。逃げるようにして、隣に座る男から距離を取る。

 まさか、見ず知らずの男性に身体を預けていただなんて。膝枕とはいえ、これはもう乙女のピンチではないか!

「お疲れでしょう。もう少し眠りますか?」

 そう言って男は、着流の膝を叩く。

「い、いや。結構……だ」

 思わず返答が尻すぼみになってしまった。

「それでは、湯浴みをされては如何です? 裏手に温泉がいていますよ」

 のんびりとした物言いに、思わず気が緩みそうになる。いや駄目だ。こんな状況で油断している場合ではない。落ち着け、落ち着くんだ……。

「ど、どうして僕は、こんな所に?」

「困りましたね。凜華りんかさんは、総てお忘れのようだ」

 不意に名を呼ばれて絶句した。

 僕の名を知っているだって!? 名乗った憶えなんて、無いはずなのに。

 状況がまるで理解できず、混乱は増すばかりだ。

祝言しゅうげんを挙げるのは明後日ですからね」

「し、祝言!?」

「それまでどうぞ、御緩ごゆるりとお過ごしください」

「誰の祝言……なの?」

 僕の問に、怪訝けげんな面持ちで男が答える。

「凜華さんですよ」

「ぼ、僕!? 誰と??」

「私です」

 答えて男は涼やかに笑った。

 いやいや、待て待て。待ってくれ。

 祝言だなんて、何を言っているのか。結婚に憧れがないと言えば嘘になるが、そんなの僕には早すぎる。まだ社会人になったばかりだというのに……。

 いや、落ち着け、落ち着くんだ。素数を数えろ!

 そもそもが早い遅いの話ではない。見ず知らずの男性から、求婚どころか祝言が決まっていると告げられているのだ。そんなもの「はい、そうですか」と受け入れられる訳がない。

 そうか、夢か! さてはまだ、夢を見てるのだな!

 思い切り頬をつねってみた。期待に反して、しっかりと痛かった。

 夢ではない……だと!?

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